[#表紙(表紙.jpg)] 松本清張 陸行水行 別冊黒い画集2 目 次  形  陸 行 水 行  寝 敷 き  断  線 [#改ページ]    形      1 「高山地帯観光株式会社」という観光道路建設の会社ができた。  同社は或る新興財閥を中心として、一年前に発足した。同社が建設省、農林省、運輸省、国鉄などに、許可請願書と一緒に提出した計画書によると、山梨県|塩山《えんざん》市から群馬県|伊勢崎《いせさき》市まで有料高速道路をつける。その中間にあたる群馬県|万場《まんば》町から長野県松本市までは別の道路を通す。将来は、これに沿って、スカイラインをつけようというのである。まことに未曾有《みぞう》の壮大な計画だった。  この立案者の意見によると、新しい道路の沿線は観光的に全く未開発の土地で、しかも幾多の名所を抱え込んでいる。  まず、塩山から伊勢崎までの線は、広大な小金沢《こがねざわ》県有林の麓を通り、大菩薩《だいぼさつ》峠の横を通って奥秩父に達する。この辺は秩父多摩国立公園地帯だ。この線は埼玉県に入って甲武信《こぶし》ヶ岳《たけ》の山麓を通り、群馬県境の志賀坂峠を経て万場の町に達し、神流川《かんながわ》沿いに大利根川の上流に出て伊勢崎に達する。  そして、万場町から松本市までは、下仁田《しもにた》町を経て妙義山麓を通り、軽井沢に出て、これから信越線を避け、奈良原温泉、真田《さなだ》町を経て松代《まつしろ》に通じ、松本に合するのである。この間も上信越高原国立公園を掠《かす》めることになる。  全線の開通には約十五年間を見込む。第一期工事に五年、第二期工事に十年と予定し、当面の資本金は六十億円であった。  これを受付けた各省の役人も眼をまるくした。こんなことが出来るかというのだ。  しかし、出願者は自信満々だった。現在の状況でものを考えてはならない。われわれは十五年先、二十年先、三十年先のことを目標にしている。二十年先なら、莫大《ばくだい》な設備投資をしても立派に黒字となってゆくというのである。(事実、設備投資過剰の鉄鋼界も同じようなことをいっている)  ただ人間の輸送だけではない。沿線の木材、鉱石、農産物を輸送することによって都市との交流がはじまり、今まで関東チベット地帯だったこの地方も急速に開発されるというのだ。つまり、観光だけでなく、国家的見地からもぜひ許可してほしい、という趣旨が麗々しくタイプに打たれていた。  高山地帯観光株式会社では、所管関係各省から許可が下りるものと見込みをつけて、早くも土地買収にかかった。それは南側の山梨県塩山市付近と、北側の群馬県伊勢崎市付近の両側からはじまった。そして、分岐点になる万場町にもその工作がはじまった。  この計画に対して各県の反響をみると、会社側に対して大そう好意的だった。ぜひ県の不毛地帯の開発に当ってほしいというのである。熱心な県は、多少の補助金を出してもいいとさえ云った。  したがって、会社側から用地課長や係長が現地に出張したときは大歓迎をうけた。会社側でも、土地の市長や助役、または町村長、それに土地の顔役といった連中を招待した。懇談はスムーズに行われた。 「ところで」  と、課長はその席上で土地買収の時価を訊《き》いた。塩山からは笛吹川《ふえふきがわ》沿いに北の山峡を通り、大菩薩峠の麓に出るという当面の計画である。 「さあ、場所によって違いますが、山間部のほうに入ると、大体、坪当りの時価は三千円ぐらいでしょうな」  と、市長は実際値より高く云った。 「しかし、これは時価ですからね。会社のほうで半強制的に買収なさるとなれば、この五倍ぐらいははずんでもらわねばなりませんな」  五倍といえば、坪一万五千円である。 「いや、市長さん、それは少し高いですな。会社も施設に相当金がかかるので、せめて土地代でも安くしてもらいたいですな」  と課長は笑いながら云ったが、会社の予算では最高二万五千円までは見込んでいる。だから、一万五千円は十分な許容額だが、課長はそんなことは顔に毛筋ほども出さなかった。 「しかし、あなたのほうは、一度、土地を買込んだら、それで未来永遠に儲かってゆくんですからね」  市長は応じた。 「いや、市長さん、これは一会社の営利事業だけではありませんよ。この道路をつけることで沿線の土地が開発されるんですからね。いわば、国家的な事業でもあるわけです。輸送と産業が開発されると、ほかの土地だって騰《あが》るでしょう。県民諸氏は喜びますよ。国家事業と県民の利益と両方を兼ねているわけです。一つ、ご協力願いますよ」 「そういわれると、弱いですな」  と、市長、町長、村長は異口同音に苦笑するのだった。  とにかく、この買収交渉は個々の折衝に入る前、自治体側の協力を得た。  次には、設計図に基づいてコースに当る土地の所有者との折衝だ。  用地買収といっても、ダムなどの補償とは違って細長い土地を買うわけだから、所有者にもあまり迷惑をかけないで済む。それで、その交渉は初めから和《なご》やかに行われた。  部落ごとに集った土地所有者は、会社側の招待で塩山市の料理屋に招かれた。ここで鱈腹《たらふく》飲まされたが、その席では補償額の大体の基本が会社側から示されたにすぎなかった。所有者側から何一つとして意見が出ない。つまり、値上げの交渉は一対一の場でなければうかつにはいえないところだ。誰しもが抜け駆けの功名を狙っている。  しかし、この交渉が和やかな雰囲気で進められていることは間違いなかった。塩山から笛吹川の東側を通るのが予定の計画なのである。ここだと土地がわりあい平坦《へいたん》で、工事もスムーズに進む。西側は山の斜面が急に川に落込んで、工事がやりにくい。  個別交渉に入ってからも事態は円滑に進んだ。大体の基本額から、それほど値上げを要求する者はいなかった。結局、この辺の土地価格で落着いたのが一万八千円だった。  もちろん、これには市町村側からの応援もあった。実際のところ、土地の者は高速道路の新設で大そう喜んでいたのである。今にも東京の都民を初め全国からの観光客が押し寄せて、莫大な金を落すような夢をみていた。だから、部落の中には早くも旅館、土産物屋などのもくろみをする者さえあった。  このぶんでは塩山市から大菩薩峠に至るまでの第一期測量は何の故障もないように思われたが、意外にも佐原部落で、会社側は頑強な抵抗を受けたのである。  その男は川口平六《かわぐちへいろく》という養豚業者だった。彼は四十三歳になる。会社側に都合の悪いことは、川口の所有山林が南北に相当長く伸びていることだった。この間は約四キロくらいある。  川口の家は、佐原部落でも人家の集ったところから離れた一軒家である。これは養豚業ということから、臭気その他で人家の多いところを遠慮したのかもしれない。  川口は、訪ねて行った会社側の用地係員に、 「ほかの者は何というか知らねえが、おらは絶対に土地を売らねえからな。なに、理由だって? わけも何もねえ。そういう自動車が走る道をつけられるのが嫌《きれ》えなのだ。おめえらがどのように買収価格を奮発しても、おらだけはいやだね」  と、そっぽを向くのだった。  会社側では、川口平六が買収価格の吊り上げを狙っているのかと思った。 「川口さん、そいじゃ、ここだけの話じゃが、ほかの人には坪一万八千円で契約している。塩山市に近い繁華な土地でさえその額です。どうでしょう、二万円ほど出すから、それで手を打ってもらえませんか。ほかの者には黙っておいて下さいよ」  と勧めたが、 「いいや、おらは前から云っている通り金が欲しいんじゃねえ。そんな道をつけられるのが嫌えなのだ」  と頑張り、 「おめえら、そんなに道路をつけたかったら、川の向う側に道をつけたらよかんべえ。川に鉄橋を架けるだけの造作で済むずら」  と云った。  しかし、不便なことに、笛吹川の西岸は斜面が急勾配《きゆうこうばい》で川床に落込んでいるため、これを切り開いて道路をつけるのは大へんな難工事となる。川口の所有地を避けるためには、その手前から鉄橋を架け、約一キロばかり西岸の道路を過ぎたころ、また鉄橋を渡して東岸に戻らなければならない。川口が頑張る限り、こんな意味のない浪費と手間をかけて迂回《うかい》しなければならないのだ。  会社側では、川口平六が口先ではあのようなことを云っているが、事実はあくまでも買収価格の吊り上げを目的としていると考えていた。よくあるケースだ。ダムの補償問題や道路の新設には、こういう手合が必ず二軒や三軒は出てくる。  それというのが、近所の噂で川口平六は爪の先に火をともすような吝嗇家《りんしよくか》だと分っていたからである。  川口には梅子《うめこ》という五つ年上の女房がいる。子供がいないので夫婦だけの生活だったが、梅子はぼんやりした女で、会社側に頼まれて亭主を説得するような性質《たち》ではなかった。 「わたしでは何にも分らねえ。よけいな口を出すと、亭主から怒鳴られますでな」  と呟《つぶや》いて一向に役に立たない。年上だけに平六には遠慮しているようであった。会社側では、遂に二万二千円まで値を上げて説得にかかった。 「駄目駄目。たとえ三万円が五万円でもこの土地は売らねえから、そう思え」  しまいには会社の用地係員が来ると怒り出す始末だった。  川口の土地を相当な価格で買うほうが、西岸沿いの開発をやるよりずっと安い。会社としては、そういう利益の上からも、また川口を真似るゴテドク組が出ないためにも、なんとかして彼を陥落させたいところであった。 「川口め、今ごろになってあんなことをいっているが、奴《やつ》は会社側の招待の宴会にはちゃんと顔を出したじゃねえか。はじめから売らねえつもりなら、振舞酒も飲みに行かなければよかんべえ」  という蔭口が他の売却承諾組からきかれるようになった。これは彼らからみると、安い補償金で会社側に一札を取られた口惜しさと、もし自分らより高額で取引が行われた場合の嫉妬からである。  そのうち会社側にとってまことに不手際なことが起った。  というのは、用地係員の一人が川口平六の抵抗は大したことはないと踏んだか、それとも平六の依怙地《いこじ》が憎かったのか、勝手に測量隊を引き連れて来て、彼の所有地にあらましの測量をしたことであった。  川口平六は、それを知ると烈火のように怒った。 「おめえら、一体、誰の承諾を得ておらの土地に入り測量したのだ?」  と、彼は塩山市にある会社側の仮事務所に怒鳴り込んできた。 「いや、どうも、それはこちらの行違いでして、何とも申し訳ございません」  臨時の出張所主任は平謝りに謝ったが、川口は一向にその詫びを聞き入れなかった。 「ふん、おめえらはすぐ手落ちだの、行違いだのと言訳を云う。だがな、おらはちゃんとおめえらがたかをくくって測量をしたことを知っている。これからはどんな奴がやって来ても、おらは絶対に退《ひ》かねえから、そう思ってくれ」  川口は腹を立てて叫んだ。 「山奥の豚屋だと思って、あんまり人をなめるな」  彼の怒りをなだめようと、出張所主任は当事者を伴《つ》れて川口の家に行き、平謝りに謝ったが彼の怒りは解けなかった。 「なにもおらの土地ばかり無理をすることはねえだろう。少々金がかかるかもしれねえが、川の西側に道路をつけたほうが、まあ無事だろうな」  川口は洋服の膝をきたない畳にきちんと揃えている主任たちに云って、そっぽを向いた。豚の餌の臭気が小屋からしきりとにおってくる。夏の終りだが、その強烈な臭気は、外から来た客には居たたまれないくらいだった。  しかし、詫びに来た主任は、川口の機嫌を損じないために、ハンカチを鼻に当てることさえできなかった。      2  川口平六は豚を七頭飼っている。今年の春に仕入れた仔豚がいつ売ってもいいように大きくなっていた。  このところ豚の値段がいい。普通の年で仔豚一頭四千円ぐらいで買って、一万四、五千円で売る。しかし今年は養豚業者が仕入れを手控えたので、市場は供給不足となっている。そのため、仔豚を買うのに八千円もかかるが、売値は三万円まで騰貴している。  大体、豚の値段の高騰には三年周期説がある。田舎の五、六頭くらいの養豚は農家の副業なので、豚を世話するのは老婆や主婦の仕事となっている。老人や主婦など、いわゆる、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんが豚の飼育に当るので、「三ちゃん業」の呼名がある。  つまり、「三ちゃん」は、豚が安くなると飼育を手控えるのだ。そろそろ市場価格が騰るなと見込むと、飼育の頭数をふやす。これが大体三年ごとに繰り返されるというのである。  もっとも、川口平六の場合は、女房よりも平六自身が豚の世話に当っていた。女房は年上だが、身体も頑丈なので主として畑仕事に使われている。  平六のような七頭くらいの養豚業者には、馬喰《ばくろう》のような仲介業者が入ることはない。口銭がうすいからである。また、農協のような組織を通すほどのこともなかった。それで、たいてい町から肉屋など業者が直接に入り込んで来て取引をした。  今日も甲府の肉屋の浅川治作《あさかわじさく》がオート三輪車を運転して、山路を難儀しながらやって来た。  ここで、豚一頭を二万九千円で売ることに商談が成立した。  浅川は三十をちょっと出た働き盛りの男で、甲府の肉屋も相当繁昌している。一昨年から店頭で売るだけでなく、二階に座敷を三つほど増築し、そこでスキ焼などの料理を出す商売をはじめた。これも今のところまあまあの成績である。 「なんじゃそうだな、川口さん。おめえ、こんど出来る道路会社の買収には応じんそうだな?」  と、浅川は煙草を喫《の》みながら、平六の家の濡縁《ぬれえん》に腰をかけて云った。 「ああ、ほかの者はどうか知らねえが、おらは断っただ」  川口は水桶《みずおけ》に手を突っ込んで洗いながら云った。 「どうしたんだべえ、買上値に不足かえ?」  浅川は煙の環を吹いた。 「それもあるが、一体、会社の奴らの出方が気に入らねえのだ。はじめから、おらが云うことを聞くと思って高飛車に出ている。この前《めえ》も無断でおらの土地に入《へえ》って測量をしただ。なんの承諾もなしによう。こうなりゃこっちも意地だ。誰が来て頭を下げようと、おらは一坪の土地も売らねえだ」 「無断で測量するのは会社が悪いな」  と、浅川は相槌《あいづち》を打った。 「しかしな、ほかの部落の奴は、おめえがそんな因縁をつけて、土地の買収価格をつり上げるように蔭口を利いてるぜ」 「なんと云おうと、云いたい者には云わせておけ。他人《ひと》の口には戸が閉《た》てられねえでな。だがのう、浅川さん、この土地はおらのものだ。おらが売るのにどんな値をつけようと勝手だ。早《はえ》えとこ売った奴は、おらがよっぽど高《たけ》え値で売ると思って僻《ひが》んでいるずら」 「しかし、おめえのところが土地の売却を断ったら、会社も痛手だんべえ。この笛吹の向う河岸《がし》は断崖絶壁だで、トンネルを掘るか、途中で路を開くかしなきゃなんねえ。それに、余計な橋を二つ造るから太《ふて》え金がかかる。おめえが会社の値より三倍取っても、まだ会社側としちゃずっと安くつくからのう。結局は折れて出るずら」 「浅川さん、おらア、なにもそんな会社の足もとにつけ込んで値上げを企《たくら》んでるんじゃねえ。あいつらがおらをバカにして、すぐにでも云うことを聞くと思い込んでいる態度が気に食わねえだ。ほら、それが無断測量というかたちですぐ出たじゃねえか」 「まあ、しっかり頑張りな」  と、肉屋は激励して腰を浮かした。 「おや、今日はおかみさんの顔が見えねえな。畑かえ?」 「ああ、上のほうの畑に朝から出かけている」 「おめえが豚の世話で、おかみさんが野良仕事だ。まあ、食うぶんにゃ十分だし、金も余ってしようがねえだろうから、それだけ会社側に頑張りが利くんだべえ。ひとつ、どこまで頑張れるかやってみるんだな。ほら、いつか新聞や週刊誌に出ていたじゃねえか。九州のほうにある蜂の巣城とかいうやつよ」 「なんでえ、蜂の巣城というのは?」 「おめえ、知らねえのか。新聞もあまり読んでいねえようだな」 「ラジオが一つあれば、新聞は要らねえだ」 「蜂の巣城というのは、なんでも、熊本のほうで土地の地主がダムの建設を断って、測量隊を一切入れねえで長い間闘ったという話だ。部落内の人を多勢頼んでな。前の川を渡ってくる測量隊に、上から小便や糞《くそ》を投げつけて寄せつけなかったそうだ。役人連中が来ると、鉦《かね》や太鼓を鳴らしてみんなを集め、まるで籠城《ろうじよう》のような恰好《かつこう》だというので、そんな名前が付いているだ。知事や建設大臣が面会を申し込んでも断ったそうだから、えれえもんだ。……まあ、おめえも頑張るなら、そこまでやってもらいてえな」  肉屋の浅川は縁から腰を上げると、三輪車に跨がり、エンジンをかけた。  高山地帯観光株式会社塩山出張所では、最初、川口平六の抵抗を大したことはないと観測していた。結局はほかより多少色をつける程度で解決できると信じていた。  しかし、川口平六は案外に頑強だった。出張所長自身が云っても聞き入れないとなると、東京の本社に報告をしなければならない。  会社側は川口の地所が買収できないとなると、工事費に大変なロスを来す。直線でスムーズに通じる道路を、コの字型に曲げて造らなければならぬ。難工事だし、鉄橋を二つ架ける余計なことまでしなければならない。一出張所長の手に余ることはもちろんだった。  彼は東京本社に出向いて、このことを用地部長に報告した。用地部長は専務の部屋で出張所長を交えて会議を開いた。青写真の計画図を前に開き、さまざま検討した結果、やはり川口を説得して予定通りに工事を進めるほかはないと判断した。  試みに工事を請負わせているH組の技術者を呼んで、川口の土地を避けた場合、一体、どれくらい余計に経費がかかるかを算定したところ、予算額の十倍という数字が出た。これは大変なことである。  会社も創立早々だし、余分な冗費は一切|省《はぶ》かなければならないときでもある。 「一体、その川口という男は、前からその土地に住みついているのかね?」  と、専務は所長に訊いた。 「いや、それは調べてみましたが、そうではないんです。川口平六は終戦後の入居者で、昭和二十四、五年ごろに、なんでも、よそから入って来て、それまで土地の所有者だった畠山行雄《はたけやまゆきお》という人間から現在の土地を買取ったのです」  所長は答えた。 「すると、ヤミ成金かな。昭和二十四、五年ごろだというと、終戦後の荒稼ぎで儲けた奴が、そろそろ財布の底をはたきはじめたころだ」  と、重役は云った。 「つまり、その川口は利口な男なんだな。ほかのヤミ成金と違って、彼はその土地を手に入れたおかげで、元の木阿弥《もくあみ》にならなくて済んだわけだ」 「その土地というのは、杉、檜《ひのき》、その他材木として値打ちのある山林かね?」  これは部長だった。 「いいえ、あの辺は、そんな良材はありません。川口の山はほとんど雑木《ぞうき》ばかりで、立木を売ったところで大したことはありません」 「やっぱり補償額のつり上げだな」  と、重役は云った。 「こうなれば仕方がない。最初、測量隊を無断で入れたのがこちらのミスだった。えてして豚みたいなものを飼ってる奴は始終人にバカにされているという僻みがあるんだ。だから、これは、君、部長自身が川口の家に行って謝れば、彼の気持も和《なご》むと思う。要するに向うの虚栄心を満足させればいい。様子を見て川口を誘い、甲府へでも東京へでも連れ出して一ぱい飲ませる手もあるよ」 「そうすると、買上価格ですが、どの辺に限界を引きましょうか?」 「そうだな、当初の予定価格が、みんなの努力で大幅に下回って買収できている。だから、全体からいえば、少々|弾《はず》んでも、予算額からそう足が出ないわけだ。もちろん、一ぺんにそこまで行くのではなく、折衝した上でそこに落着くということでは?」 「それなら、いくら川口でも応ずるでしょうな」  こうして会社側では、礼を厚くして川口平六に懇願することを決めた。  ただし、この場合、問題になるのは、川口の土地買上価格を他の既に契約済の地元民には絶対秘密にすることであった。もし、それがバレると、彼らは一斉に値上げの再交渉をはじめるに違いない。契約の調印後だから彼らの交渉は無効だというものの、工事開始後に妨害が起る危険がある。これは会社側として絶対に避けなければならなかった。  値段の点は川口には強く口止めをしておく。川口も自分さえ得をすれば満足なわけだから、この秘密協定は成功すると思われた。  用地部長は塩山市に帰任する出張所長を伴い現地に着き、それから、出張所長と一緒に川口平六の家を訪問した。  これは目立たない行動にしなければならない。なぜなら、川口の頑強な抵抗が値上げにあると見ている土地の者は、川口方に行く会社側の車を極度に監視しているからであった。  だから、部長もあまりいい恰好はせず、わざと出張所から借りた作業服の上張《うわつぱり》をつけて出かけている。  一行が川口方に着いてみると、彼の年上の女房が畑から帰って、抜いて来た大根の土を落していた。 「うちの人は裏で餌を混ぜているので、ちょっと待って下さい」  女房はそう云って客を汚ない座敷に上げ、裏の豚小屋に行った。  暗い中で平六は、豚の飼料になるさつまいもにフスマをぶちこんで、混ぜていた。 「ふん、来たか」  平六は一口つぶやいただけで、その作業を三十分も止めなかった。  女房が客に気の毒がって二度目に呼びにくると、 「どうせ向うが頼みに来ただ。一時間でも、二時間でも待たせておくがええ」  と云った。 「あんた、そう待たせちゃ悪いよ。忙しいなら、ちょっとでも顔を出したほうがいいじゃないか」 「おい、梅子。今度のことはな、おらの考えがあってやるだで、おめえ、余計なことをしゃべるでねえぞ」  と睨《にら》みつけた。  川口平六と高山地帯観光株式会社との間に和解が成立したのは、いうまでもなく値段の点で折合いがついたからだった。それがいかなる単価であったかは、当事者だけの秘密として、外部から知る由もなかった。それに、用地部長が、わざわざ東京から甲州の山中まで出向いて来たのが、平六の心証をよくしたようであった。  とにかく、その話合いのあと平六は女房を呼び、焼酎《しようちゆう》と|つまみもの《ヽヽヽヽヽ》を出したのは、よほど彼を上機嫌にさせた証拠であった。もっとも、焼酎は都会から来た用地部長の口に合わなかったし、|つまみもの《ヽヽヽヽヽ》に至っては沢庵《たくあん》であった。これにはなんと豚の飼料の臭いがつきまとっていて、口にしただけでも吐き気が来そうだった。  ところが、この話合いの成立は、たちまち近隣に知れ渡った。交渉の成行を村民は虎視眈々《こしたんたん》として注視していたのだから、たとえば、用地部長がにこにこ顔で車で通過したのを目撃すれば、すぐにそれと察知できた。 「平六の奴、法外な値で土地を売りつけ、一人で大儲けをしやがった」  という噂がひろがり、その値段も実際の契約書を見てきたかのように吹聴された。もとより、その噂が伝播《でんぱ》するごとに金額はうなぎ上りに騰ってゆく。それは、他の既契約の値よりも三倍近くなっていた。  もはや、平六は完全に村から孤立していた。前からそうだっただけに、今度はいっそう輪をかけた。  しかし、もともと平六は村の者とは往き来しないので、「村八分」はあまり効果がなかったようである。  そこで、契約済の者だけがさまざまな噂を撒《ま》き散らしただけでなく、匿名で川口平六の家に悪口雑言の手紙を投げ入れるようになった。 「村の奴らがいくら喚《わめ》こうと、勝手に喚かせればええ。奴らはおらが困ったところで一銭の金も貸してくれるわけでもねえ。おらはおらだ。それが不服なら、道路会社に掛け合うがええだ」  と、平六は甲府からくる肉屋の浅川治作に喚くのであった。 「平六と特別に契約したそうだが、もし、それが事実だったら、われわれも平六と同じ値段で買上げてもらわなければならない」  と既契約組の代表が出張所にねじこんだりもした。 「いや、まだ契約したわけではありません」  所長は弁解した。 「ただ、会社側が川口さんの土地を無断で測量したため、あの人の気持をたいへん悪くし、それで売却をことわられたんです。それを宥《なだ》めに用地部長がお詫びに上っただけで、別に値段のことにはふれませんでした。……もし、それが信用できなければ、こんど川口さんと契約した額をみなさんにお報《し》らせします」 「それは何で証明するだ?」  と代表の一人が云った。 「契約書をお見せしてもよろしいです」 「そんなものはアテにはならねえ。表と裏と両方つくるにちげえねえずら」 「そう疑われては仕方がありませんけど、なんでしたら、登記所で売却価格をお調べ下さい」 「冗談云っちゃいけねえ。登記価格が実際の売買価格より低くしてあるのは常識だ。そんなものがアテになるけえ」  と、代表もなかなか強硬だった。都合によっては、この問題がすっきりするまで契約済のものを破棄する、と云い出した。それでは法的に違反すると云うと、ではこちらはほかの手段に訴える、と相手は威《おど》かした。それだけではない。東京の本社にも頻々と投書がゆく。その大半は川口平六の悪口だった。その中にこういうのもある。 「川口平六はよそ者だ。どこの馬の骨とも牛の骨ともわからない男だ。今から十三、四年前ひょっこりとこの村に現れ現在の土地を買った。その金もどうして儲けたのやら知れたものではない。多分、あいつはうしろ暗いことをしてきた男かもしれぬ。一度警察にでも洗ってもらったら分るだろう。会社側もそんな男と単独に契約したら天下の笑いものになるから、十分に気をつけるがよい」  この投書の文句は、しかし、村人全体の気持を代表していたといえる。たしかに川口平六には、村の者もこれまで云わず語らずに疑惑の眼を向けていたのだった。それは単によそ者を冷眼視するという排他的な意識からだけではなく、川口平六の孤立的な姿勢がそんな暗い過去を想像させていたのであった。  そんなことが、いつのまにか川口平六の耳に入ったらしい。彼は、或る日、塩山出張所にぬっと現れた。 「所長さん、せっかくだが、おらアあの土地を売るのはやめただ」  と彼は汚ない恰好で応接間に入るなり云った。 「村の奴らはおらのことを悪口雑言している。奴らは僻んでいるんだ。おらだけが特別に高い値で売りつけたと思ってな。だが、それだけならまだ我慢もする、だけどよう、おらのことを何かうしろ暗いことでもしたかのようにいろいろと云うそうじゃねえか。おらは痛くもねえ腹を探られてまで会社に土地を売ることはねえ。おめえ、東京の用地部長さんにそう云ってくれ、もう金輪際《こんりんざい》おらの土地は売らねえとな」  彼は所長の止めるのもきかず、肩を怒らして出て行った。      3  川口平六が再び会社側の用地買収を蹴ったことは、村人の間にすぐに伝わった。  一時は最初の拒絶を彼の値上げ目的にあると解釈し、次の妥協を会社側との歩み寄りだと推察し、今度はまた交渉を一方的に拒絶したことをどう解釈すべきか、問題になった。 「平六の奴、村の評判を気にして断ったところをみると、あいつ、片意地を出したに違《ちげ》えねえ」  と云う者もいた。 「いや、そうではねえ。それをいいことにして、いったん決めた値段以上につり上げを考えたに違えねえ。どこまで欲が深い奴か、底が分らねえな」  と云う者もいた。  しかし、会社側もそうそうは平六だけの要求には応じられないであろう。ほかとの振合もあることだ。平六もその点は分っているに違いなかった。してみると、彼が村人の悪口を怒って会社側に怒鳴り込んだのは、ただの強欲とだけで片づけられないものがある。  平六の怒りを正直にそのまま受取るべきか、あるいは別な魂胆が彼に潜んでいるのか、解釈の岐《わか》れるところだ。  こうして二週間ぐらい経った。  会社側では平六の再度の拒絶に遭っておどろき、出張所長は何度も平六のところに説得に行った。 「世間は何とでも云います。そんなことを気にするのはあなたらしくもありませんね。どうせ無責任な雑音に違いありませんから。なあに、放《ほ》っとけばいいことですよ。それとも、あなたはいったん決めた買上値段にまだ不満がおありなのですか」  こう打診してみると、 「いや、所長さん、そう気を回さんでもらいてえな。おらはいったん決めた値段以上にビタ一文もふやしてもらおうとは思わねえよ。そのためにゴテているんじゃねえ。ただ、村の奴らの蔭口がいかにも気に入らねえからよ。おらをよっぽどの悪人に云っている。おらのところにも差出人の名前を書いてない手紙が何通も来ただ。みんな、おらが山を売らねえのは何かうしろ暗《ぐれ》えところがあるからだと思わせぶりに書いてある。おらは正直者だ。痛くもねえ腹を探られてまでおらの土地を売ることはねえからな。それをおまえたちに頼まれて売る気になっただけだが、こうなれば、この話は無かったことにしてもらいてえな」  値上げのためではないというのである。そうなると、買収値に多少の値段の色をつけても無駄ということになった。平六は、村の者のことになるとひとりで息巻いている。所長も手がつけられなくなって、ふたたび東京の本社から部長に来てもらって、一緒に平六と会った。しかし、彼の返事は同じことである。それで、このままだと、会社の予定線は変更せざるをえない。  だが、会社は最後の努力を惜しまなかった。もし、平六を説得することができたら、そこに莫大な予算が浮くのである。部長は、一度東京に来て直接首脳部と話をしてもらえないか、と云った。その心は、彼に往復の汽車賃を出し、東京で歓待し、ご馳走攻めで攻め落そうという魂胆であった。しかし、それも効《き》き目《め》はなかった。 「おらは忙しいでな、東京へ出てゆく閑《ひま》なんぞねえ」  と、平六は横を向いた。  平六が頑として聞き入れないとなると今度は奇妙な噂が立ちはじめた。 「平六が相当な値段でも首を横に振っているのは、あの買収予定地に何か秘密があるのかもしれない。それで彼は売りたがらないのだ」という臆測《おくそく》は、 「その土地には他人《ひと》に見られては困るものが埋めてあるのだろう。あそこに道路が作られるならば、そのところは全部掘り返されることになるからな。平六は、それを発見されるのを怖れているずら」となり、さらに、こういう蔭口に発展した。 「埋めてあるものは、大方、人間の死体かもしれねえ。それも平六が人知れず殺して埋めた死体だ。それが道路工事で見つかるのを怖れて、なんのかんのと因縁をつけて断っているに違《ちげ》えねえ」  こんなふうにみると、なるほど、そう思われても仕方がないくらいの雰囲気《ふんいき》を川口平六は持っていた。  ──彼は村人と交際しない。よそ者である。この土地に住みついたのが終戦後の混乱期である。山を買ったのもどういう金だか分ったものではない。女房と二人きりで、雇人を置かない。ときたま平六を訪れるのは、甲府からくる肉屋や、豚の売買で話にくる他の養豚業者ぐらいのものだ。その場所も、家の密集した村の中心地からは離れている。……  条件は、悪い噂を無理なく肯定するように揃っていた。  噂は村人の間だけでは済まなかった。いつか、このことが塩山の警察署に所属している村の駐在巡査の耳に入った。  巡査は捨てても置けないので、本署に連絡の用事で行ったとき、このことを上司の耳に入れた。上司は首をかしげ、 「どうも奇怪な噂だな」  と云い、とにかく、それとなく平六の持山を見てくるように云った。  駐在所の巡査は、一週間後にその結果を報告している。 「本官は、川口平六のもとに他の用件を装ってゆき面会したが、同人は用地買収拒絶の理由については、村の悪評のためだとし、断然断る旨を本官に話した。彼の妻梅子は彼より五つ年上で、無口な女である。すべて川口の頤使《いし》に甘んじているように見受けられた。もし、村人の噂が真実ならば、殺人並びに死体埋没は平六ひとりの犯行と推定される。本官は、彼が村人との交際をわざと疎遠にしている点、並びに夫婦だけの生活を他人に窺《うかが》わせまいとする作意の点を重視するものである。平六所有の山林の一部約二百平方メートルばかりを踏査してみたが、現地は雑木林と灌木《かんぼく》とに鬱蒼《うつそう》と蔽《おお》われ、死体埋没には最適の条件なりと思料する」  塩山署では、駐在巡査の報告に基づいて対策を協議した。  村人の噂や、駐在巡査の所感では、川口平六は十分に怪しまれてよい。そこで大急ぎで取寄せた川口の戸籍謄本を見てみると、彼は栃木県宇都宮生れで、両親は死亡し、郷里では実兄が一人、下駄の製造業に従事している。  平六には子は無いが、実兄には五人の子供があり、すでに長女の生んだ孫までいる。  平六には、前科は無かった。署員を宇都宮まで派遣して実兄に会って訊き合せると、平六は、昭和十七年に召集されて宇都宮連隊に入隊、満州に移動し、中国南方からフィリッピンに渡り、そこで捕虜となって帰されている。前の女房は、同じ宇都宮の左官の娘だったが、平六の出征中に別な男が出来て留守中の彼から去っている。現在の妻は、平六が勝手に東京の街から拾ってくっ付いたという。 「拾った」というのは、当時平六はヤミ商売をしていて同じ仲間のその女と一緒になったという意味の実兄の表現だった。この言葉でも分る通り、実兄は平六と全然交際をしていなかった。 「あいつは業突張《ごうつくばり》で人間が変っているから、とてもつき合いきれない。それに、向うからもいつとはなく寄りつかなくなりましたよ」  と、孫を抱えた実兄は語ったという。  もし、例の山林中に死体が埋まっていると仮定すれば、平六から逃げた前の女房が被害者の候補に推定される。そこで、捜査員が苦労して彼女の行方を捜すと、その女は眼と鼻の先の小山《おやま》に住んでいることが分って捜査員をがっかりさせた。  しかし、平六に対する疑惑は解けない。彼がその山林の一部を会社側に売ることを拒絶した裏には、たしかに何らかの秘密がひそんでいそうである。会社に訊いてみると、一度成立した妥協案は他の買収価格の三倍近いことがわかった。これ以上値上げできないことは平六も知っているはずだ。といって、彼の拒絶が村民に対する反感から出たとするには、実兄の証言を見ても分る通り、その強欲な性格から現実感がうすい。  ただ、ここに署内で異論が出た。 「もし、平六が殺人死体を埋めていたとしても、会社側は彼の山林の全部を掘り返すわけではない。それに、彼の持山のどこを掘るかということも平六は計画図によって知らされているわけだから、死体の埋没場所を変えればいいわけだ。運悪く路線に当っている所が埋没場所だとすると、そこから死体を掘り出し、全然手をつけない所に埋め変えれば、犯行は発覚せずに済む。それなのに彼が頑強に抵抗しているのはどうかな」  たしかに一理ある意見だった。  だが、別の反論も出た。 「平六は、その死体の埋没場所を忘れたのではなかろうか。彼が山に移って来たのは今から十数年前である。してみると、繁殖力の強い雑木や灌木は、埋没した死体の上に根を張り、葉を茂らしているわけだ。犯人自身がそこがどこだったかすでに見当がつかなくなったのではないか。だから、彼は漠然《ばくぜん》と工事予定路線がその個所に当るのを恐れているのだとも考えられる。なにしろ、開通工事となれば、ブルドーザーで、その辺をメチャメチャに掘り返すからね」  これも理屈だった。また、こう云う者もいる。 「死体は一個だけでなく、各所に散らばっているのではないか。一個だけだったら、いくら木が茂ったところでも大体の見当はつくからね。その辺一帯を掘り返せばいい。それが出来ないのは、数個の死体がいろいろな地点に埋没されているから、手がつけられなくなっているのではないか」  つまり、平六は稀代の殺人鬼ということにもなりそうであった。  いずれにしても、村人の噂は高くなるし、投書も会社のほうにしきりと舞込んで、警察のほうでも捨てて置けない心理状態になった。  けれども、警察が平六の土地を強制的に掘り返すとして、どのような法的根拠があるのだろうか。この点になると、当局も行詰るのである。ただ噂だけを頼りに強権をもって濫《みだ》りに個人所有の土地を掘り返すわけにはいかない。確認がない限り、手も足も出ないのである。  そこで、所轄署は、このことを県警捜査一課に相談してみることにした。あるいは相談というかたちで責任の一半を県警に負わせるつもりだったとも云えなくはない。あとで実際に犯罪が存在していたと分ると、所轄署の手落ちは免れないのである。 「弱ったな」  と、県警でも首をひねった。「たしかに証拠無しに発掘することはできない。家宅捜索だってちゃんとした理由がなければ、判事が令状を出さないからね」  一応、山林内を検分してみては、という案もあった。これなら土地に手をふれるわけではないから、あまり不法とは云えないようである。 「しかし、それはむずかしいな。なぜなら、雑木の生い茂った所を無闇《むやみ》と歩いたところで分るはずはないからな。これが四、五日前に土を掘り返したというなら、すぐにも眼に止まるが、十数年前の犯行だと、今では雑木と雑草に蔽われて見当もつかないよ」  まさしく、その通りだった。それに、平六は強欲ではあるが、別に悪いこともしていない。警察は得意の「別件逮捕」を発動することもできなかった。  県警の一警部補の思案が、平六の元の地主畠山行雄のことに行着いたのは当然であろう。 「平六に山林を売った男は、今、どうしているずら?」  この疑問が捜査陣を俄かに活発にさせた。  登記所を調べてみると、売買が成立したのが昭和二十四年の七月一日である。登記価格はアテにならないから、正確な金額を知ることはできなかったが相当な金である。とにかく、その畠山を捜してみようということになった。  畠山行雄は、その後河口湖町で小さな旅館をいとなんでいるという村人の話から、所轄署と県警との捜査員は県内の河口湖町に飛んだ。壮麗な富士を映した河口湖畔には夥《おびただ》しい俗悪な旅館や土産物屋が取巻いていた。  刑事二人は遊覧の団体客の間をうろうろして、ようやく湖の見えない場所で「塩屋」という旅館をいとなんでいるのが畠山だと突き止めた。  出て来たのは世帯窶《しよたいやつ》れした畠山の女房である。 「うちの主人は無事でいますよ」  と、女房は云った。これで一ぺんに捜査員の意気込みは失われたが、次の問答は再び彼らに希望を持たせた。 「ご主人に会わせて下さい」 「はあ、あいにくといま留守をしておりますが」 「何時ごろお帰りですか?」 「さあ、それが少し遠い所に行っているので、まだ一カ月ばかりは戻って参りません」 「一カ月ばかり? どちらにおいでになったんですか?」 「それが北海道だと聞いていますが、詳しいことは分りません。この土地の商売が思わしくないので、向うで新しい土地を物色して商売替えをすると云って出かけました」 「出かけられたのはいつごろですか」 「そうですね、三カ月ぐらい前です」  三カ月前──十四年前の行方不明という見込みと大ぶん違っていた。 「その間、ご主人から便りはありましたか?」 「全くありません。ちゃんとした土地が決るまで何も報らさない、と云っていました。未だにその便りがないところをみると、まだ決っていないようです」  刑事二人は顔を見合せた。 「で、ご主人は、たしか十四年前に佐原部落の山林を川口平六さんにお売りになりましたね?」 「売りました」 「平六さんとは、その後往き来はありますか?」 「ええ、主人はよく会っていました」  捜査員の顔が緊張した。 「ご主人が行方不明……いや、北海道に渡られる前にも平六さんと会っていましたか?」 「はあ、主人が出かける前日にも、平六さんに会うと云って家を出ています」 「それはどういう用件でしょうか?」 「いま申しました通り、商売替えをするつもりで、主人は平六さんと相談すると云っていました」 「平六さんに商売替えの知恵を貸してもらっても仕方がないでしょう?」 「いいえ、それが養豚業を大仕掛にやると云いましてね。北海道に大きな牧場をつくるつもりで、平六さんに豚を飼う方法など教えてもらっていたのです」 「なるほど。で、その話で平六さんとはよく相談していたのですね?」 「そうです。いつもどこかで待ち合せて会っていました」 「その場所は?」 「よく分りません。大月あたりと思いますが……」 「そうすると、北海道に行かれる前日に平六さんにご主人が会われたなら、出発の日もどこかで平六さんと大月で落合う予定があったわけですね」 「さあ、それは聞いていません。わたしは河口湖駅まで見送りにゆきましたが、そのときは平六さんは来ていませんし、主人が一人で汽車に乗りました」  このような事実が報告されると、当局は俄かに色めき立った。  畠山の妻の話では、北海道の牧場を買う手付金として懐ろに百万円以上持っていたという。これは伸《の》るか反《そ》るかの商売替えなので、無理によそから借りた金だったそうである。  よくある手だ。平六が畠山を騙《だま》して大金を持たせ、どこかに誘い出して殺し、自分の山林中に埋没したかもしれない。畠山の姿は、河口湖駅では主人が一人だったというが、この線は中央線の大月まで行ってそこで本線と連絡している。大月と塩山とは極めて近い距離にある。  うかつな畠山は、平六の言葉を信じて大月駅で降り、平六に誘われて殺害されたのかもしれない。ただし、平六は畠山の行方不明によって家人が怪しむのをあらかじめ警戒して、土地が見つかるまで家族には何も報らせないほうがいい、と畠山に云い含めたかもしれない。  死体運搬の方法はどうだろうか。いくら近いといっても、大月から塩山の奥の平六の山林までは相当な距離だ。しかし、平六は豚運搬用のオート三輪車を持っている。どこからか中古品を買ってきたものだが、この三輪車の中に仔豚などと一緒に死体を積めば、ちょっと外からは分るまい。  警察では急いで畠山の妻に夫の家出人捜索願を出させ、それに生命の危険がある旨を記載させた。参考人として取調べを受ける川口平六の義務がここで成立した。  畠山の行方不明が三カ月前というのは、山林を売買した十四年前の想像とは大ぶん開きがあったが、犯罪の臭いは強い。三カ月前の埋没でも、その上に樹木の葉や草は茂るに違いなかった。      4  川口平六は、塩山警察署に「参考人」として出頭させられた。  捜査課長は、そのまま畑で鍬《くわ》を握らせてもおかしくはないくらい農民的な顔をしていた。 「君は畠山行雄を知っているね?」  課長はたるんだ眼つきで平六を見た。 「はい、知っております」  平六はいつも着ている作業服で来ていた。  彼はさすがに警官の前に出たせいか、村人に向うような傲慢《ごうまん》が消え、緊張していた。しかし、精いっぱい平気を装っているところが課長の鈍《にぶ》い眼にもよく分った。 「どういうことで知り合ったのかね?」 「それは、今わたしが持っている畠山さんの山林を売ってもらったときに知り合いました」 「うむ。君は、あの山を買うとき、そこまで出かけて行って直接本人に会ったのかね?」 「ええ」 「それはいつごろかね?」 「昭和二十四年の六月ごろでした。なんでも、畠山さんがシャツ一枚になっていたのを憶《おぼ》えています。わたしはそのころ、多少ヤミ商売で金を儲けていたので、なんとかこれからは地道な仕事に就こうと思い、あの辺の山を買いたかったのです」 「商談はすぐに出来たのかね?」 「はあ。畠山さんは、こんな山を持っていても仕方がない。立木も売れるものは一つもないから、河口湖町に行って小さな旅館でもやりたい、と云っていました。それで、わりと格安に買いました」 「いくらだった?」  平六が述べた金額は、登記所のそれとあまり変りはなかった。 「そりゃずいぶん安く買ったものだなあ。……その後、それが縁で畠山とは始終会っていたんだね?」 「はい。彼が河口に居るものですから、向うからもときどき訪ねて来ていました。そのうち、河口湖のぐるりには新しい大きな旅館がどんどん出来るので、あまり流行《はや》らなくなった、とこぼしていました。そして、わたしの豚の値が、仔豚を八千円で買ってきても、秋には三万円になるということを聞くと、畠山さんは、それなら自分も養豚業をやりたい、もっと沢山の豚を飼って本格的にやれば確実に儲かるだろうと、大ぶん乗り気でした」 「それはいつごろからの話かね?」 「去年の暮あたりからだったと思います。そして、畠山さんはいろいろなことをわたしから聞きましたが、とうとう真剣になって、豚を飼う土地はどこがいいだろうなどと、わたしに相談するようになりました」 「その相談をしたところは畠山の家かね」 「いいえ。畠山さんは、自分の女房の前では商売替えの話をしたくない、女というものは煩《うるさ》いから、どこか途中で会おうということになって、両方で往き遇うのに都合のよい大月で出会いました」 「大月のどこで会ったのかね?」 「駅の待合室で話したり、そこを出て山のほうに行ったりして話しました。また、誰もいない鎮守の森で煙草を喫《の》みながら話し合ったこともあります」 「どうして、そんな所ばかり択《えら》んだのかね? 何か秘密でもあるような気がするじゃないか?」 「別に秘密はありませんが、わたしの家に来ても忙しいばかりだし、ゆっくり話ができないので、途中で、お互いが往き遇うことになったのです。飲食店に入っても宿屋を借りるにしても金がかかりますから」 「なるほど、駅の待合室や鎮守の森では一文《いちもん》もかからんわけだな」  平六も吝嗇《けち》な男だが、畠山もそれに負けない性格だ、と課長は思った。もともと、田舎の人間は浪費を好まない。 「君が最後に畠山と会ったのはどこかね?」 「それは大月駅の街から離れた野道でした」 「そのとき、畠山はどういう話をした?」 「わたしが、北海道あたりなら土地も広いし、あの辺がいいのではないか、と云うと、畠山は乗り気になって、一応、下検分にゆく、と云って出たのです。前のときに、その汽車の時間も分っていたので、もう一度、そこで落合うことになりました」  課長は、畠山が乗ったという列車番号を一応書き取った。 「なぜ、そのとき駅の構内で会わなかったのかね。汽車に乗るのだったら、そのほうが都合がいいはずだがな?」 「いや、あのときは駅の待合室がいっぱいだったからだと思います」 「畠山は北海道に行くのにいくらぐらい金を持っていると云っていたかね?」  課長は肝心なところをさりげなく訊いた。 「知りません。わたしの考えでは、大体、二、三十万円じゃないでしょうか。手付のつもりですから」 「君が相談を受けながら、畠山に金額も訊かなかったというのはおかしいじゃないか?」 「でも、実際はそうですから、仕方がありません」 「君は畠山がその汽車に乗るのを見送ったかね?」 「いや、それも面倒なので、その場で別れました」  ここで課長は平六に、両人《ふたり》の別れた地点を略図に書かせた。 「それからのち畠山とは会っていないのかね?」 「わたしも忙しいものですから、そのままになっています」 「畠山はまだ家に戻っていないのだよ」 「そうですか。でも、彼は土地が見つかるまでゆっくりと探し歩いてくると云いましたから、別にふしぎはないでしょう」 「君は畠山が家に戻っているかどうか、一度も彼の細君のところに訊きに行っていないね」 「畠山が戻ってくれば、わたしの家に彼がくるはずですから、こないところをみると、まだ戻っていないと思っていました。だから、別に訊きに行く気持もなかったのです」  と、平六は云った。 「君は嘘をついているだろう?」  と、農民的な捜査課長の眼が急に光った。 「いいえ、嘘はついていません」 「こちらで前に調べたところによると、畠山は君の云う時間に大月駅から汽車に乗っていない。それは駅員に当ってみたのだ」 「そうですか。でも、あのときは乗客が大ぶん混んでいましたから、駅の人も気がつかなかったのじゃないですか」 「畠山は河口ではもう十何年も暮して顔の売れている男だから、駅員には分るはずだよ」  と、課長は無理なことを云った。 「何と云われても、わたしは今云った所で彼と別れただけです」 「君は畠山と別れてから、どういう順序で家に戻ったかね?」 「さあ、よく憶えていません」  心なしか平六の声が震えたように思えた。 「たった三カ月前のことを憶えていないのかね? 殊に最後に畠山と出会ったときのことだ、分るだろう?」 「さあ」  と、平六は首をかしげている。課長には、彼が嫌疑を免れるため返事を考えているように思われた。 「どうしても思い出せません」  と、彼は頭を下げた。 「そうか。ところで、君の商売のほうはどうかね?」 「はあ、まあまあです」 「もっと商売が繁昌したほうがいいと思わないかね?」 「そりゃ金の入るには越したことはありません」 「その君が相当いい値段であの土地を道路会社に売らないのは、どういうわけかね? 大金が入ったほうが都合がいいではないか?」 「村の奴がいろいろ妙なことを云うからです。わたしはそんな奴に腹が立ってならないから、頑張っているのです」  平六は、このときだけは昂然《こうぜん》たる眼つきをした。 「君は、そんな土地を売らなくとも金があるんじゃないかね?」 「いいえ、金はありません」 「金が無くては、誰しもそこまでは頑張らんと思うがね。貧乏だったら、いくら意地でも背に腹は替えられないからな」  金のことは、暗に平六が畠山の百万円を奪ったように匂わせた。 「とんでもありません。どうしてわたしに金がありましょうか。養豚業は儲かるようで、なかなか儲からないものです」 「君は昭和二十四年にあの土地を手に入れるまで、どういうヤミ商売に従っていたかね?」 「それはいろいろです。ヤミ屋の親分から品物を分けてもらって、兵隊靴、外套《がいとう》、ズルチンなどなんでも売りました」 「そのとき、商売の上で憎い人間はいなかったかね? そんなヤミ商売だと、いろいろといざこざがあるそうじゃないかね?」 「いやな奴はおりましたが、だからといって、それをどうすることも出来ませんよ。まさか殺すわけにはいきませんからね」 「殺す? ふん」  と、課長は鼻の先を指でいじった。 「そうかね。ところで、川口君。君の山林の一部を少し捜させてもらいたいんだがね」 「捜しものですって?」  川口は不安そうに課長の顔を偸《ぬす》み見た。 「それはどういうことですか?」 「実をいうと、君には或る嫌疑がかかっているんだ。それで、道路会社が予定地にしている場所を中心に、雑木を倒し、草を刈ってまでも真実を捜し出したいんだがね」 「すると、その辺一帯を掘り返すつもりですか?」 「気の毒だが、川口君、君にかけられた疑いを晴すためにも、あそこにブルドーザーを入るれよ」 「困ります」  と、川口平六ははじめて強い意志をもって否定した。だが、動揺はかくし切れなかった。 「しかしね、警察としては、行方不明になっている畠山行雄に生命の危険を感じているんだ。畠山の細君も家出人捜索願に、そう意見を書き添えている。君が畠山に会った最後の人間だし、今も云う通り、畠山が君の云う列車に乗っていない事実を考え合せると、どうしても君の土地を掘る必要がある」 「つまり、わたしが畠山を殺したとでもおっしゃるんですか?」  平六の声は慄《ふる》え、顔は蒼《あお》ざめたが、眼だけは異様に光っていた。 「いや、そう決めたわけじゃないがね。とにかく、君にはそういう疑いがかかっているんだ。だから、人を疑うのはいくら警察でもよいことではないが、村人の蔭口もだんだん強くなっている今、君の潔白を証明するためにも、山林の一部を掘らせてくれたほうがいいと思うがね」 「困ります。どんなことがあっても、わたしの土地には指一本つけてもらいたくねえです」  平六は昂奮した。 「しかしね」  と、睡《ねむ》そうな課長はごそごそと横の書類から、裁判所から取った検証許可証を見せた。 「こういうふうに法律的にも、その捜査ができるようになっているよ。気の毒だが、まあ、調べさせてもらいたいね。君が潔白だったら、断ることもないじゃないか」  警察では、平六の山林の大がかりな発掘作業をおこなった。  現場は、雑木と、灌木と、伸び放題の草に蔽われた地帯だ。高山地帯観光株式会社の買収予定地だけでも相当な長さだった。これは平六の住んでいる場所から裏山に三百メートルぐらい離れ、地形的には川沿いにかけて南から北にやや西寄りに傾いている。警察では、平六の頑強な買収拒絶が死体の埋没場所をふくんでいるからであろうと考えた。夥しい人夫がその山林に入り、邪魔になる枝を払い、灌木を除け、草を刈った。細長い線だが、総面積にするとかなりなものだ。人夫賃だけでも、その年の大月警察署の捜査費年額予算の半分近くは食うことになる。  しかし、警察の意気込みは激しかった。平六を何度も呼んで、最後には、おまえが畠山を殺したのだろうと詰問してみたが、平六は頑強に否認した。しかし、彼は額から脂汗《あぶらあせ》を流していた。  もし、畠山の埋没死体が発見されたら、これは署の大手柄ということになる。村人の噂は高いし、県警でも積極的になってくれた。いわば、死体無き殺人事件である。日ごろ平六に反感を持っている村人の中には、この山狩りに自ら協力を申し出る者もいた。人夫の数が不足なので、協力したいというのだ。これは死体発見の現場を見たいという好奇心も手伝っている。  山の切り開き作業は順調に進んだ。それは幾日間もかかった。しかし、現場の状況から、必ずしも円滑に進んだとはいえない。二百メートル進むのに二日かかる場合もあった。意外に山林の樹木は繁茂し、灌木も、雑草も、これを取除くのに骨が折れたのである。  きれいに刈られた帯がだんだんに長くなった。捜査員たちは、その裸にされた地面を蚤取眼《のみとりまなこ》で歩いた。土を掘り返した所はないか、一部だけ柔らかい部分は見えないか、シャベルや鍬を入れた跡はないかと、丹念に調べた。一度刈っただけではよく分らない地点は、入念に二度、三度と樹の根掘りや除草をおこなった。  帯がだんだん長くなる。あと残りが五百メートルぐらいになった。それまでは何一つ変化がない。  一方、平六は家の中に軟禁状態だったが、見張の警官の眼にも彼の不安は隠しようがなかった。豚に餌をやる動作も、どことなくぎごちない。募《つの》る心配で落着かないようだった。ただ、年上の彼の女房だけは、どこ吹く風と斜面の上の畑仕事に出て行った。  警察では毎日人夫を督励して、作業に当らせた。刈った樹木や草が人夫たちの背やリヤカーに載せられて、麓に待っているトラックに積まれた。そういう運搬の費用だけでもバカにならない。警察では少からぬ捜査費にひやひやしたが、それでも犯罪の確証を得るために張切っていた。  遂に残りの場所も刈り取られた。予定地に当る所に裸の長い溝が出来上った。それは到る所で掘り返されたから、赤土のために、遠くから見ると赤銅《しやくどう》の線が青い山に走っているように見えた。  何も出なかった。  警察は焦った。そんなはずはない。すべての状況からみて、平六が畠山行雄を殺害し、この辺に埋めたことは確実だと思った。それも強硬に買取を拒否しているところをみると、その予定地に当ることは確実なのだ。  しかし、どう捜しても、死体はおろか靴一足出なかった。 「おい、川口、あんまり強情を張らないで、素直に云ったらどうだ?」  刑事の中にはむしゃくしゃして怒鳴る者もいた。 「何を云われても知りませんな。それとも、おれの山から人間の片脚でも出ましたかい?」  と、平六は涼しい顔をしていた。  彼は毎日のように山で働いている警察の動きを、その豚小屋の中や茅屋《あばらや》の中で眺めていたのだ。彼には次第に自信らしいものが泛《うか》んできていた。もはや、捜査前のおどおどした様子や、奇妙に不安を隠すような表情はなかった。  もう一度徹底的に掘り直してみよう、というのが捜査会議での悲壮な最終結論だった。 「死体は案外、離れた所かも分りません。そっちのほうを掘っては?」  と云う者もいたが、こうなると、平六の持山を全部丸裸にしなければならない。大変な費用だ。それに、もし、現物が出なかった場合、警察は囂々《ごうごう》たる非難を浴びなければならない。それも考慮しなければならなかった。  今や、死体無き殺人事件は、完全に死体を幻影と化した観があった。それが確実となったのは、最終の山狩りが徒労に帰したときである。 「さあ、おれの山に勝手に入って立木や草を刈った始末をどうしてくれるんだ?」  と、川口平六は警察にねじ込んだ。 「おれはあれだけでもあらぬ汚名をきせられた。それも人殺しの疑いだから、ひどいものだ。さあ、あの一筋の刈られた跡が残っている限り、おれはいつまでも世間から疑われるのだ」  捜査本部の主任が出て来て平謝りに謝ったが、平六は一向に聞き入れなかった。そのぶんだけ賠償すると云っても、あの裸の溝が残っている限りは承服できないというのだ。 「では、どうしたらいいかね?」  と、主任が意見を訊くと、 「そうだな、あの路から西寄りのほう、つまり、川に向った崖ぶちまで全部刈ってくれ。そしたら路は無くなって、その辺だけ一様になるから、おれも気が済むだ」  と主張した。      5  川口平六の主張も無理はない。  自分の山林に一筋の発掘跡が残れば、これは誰にも彼の嫌疑が永久に記憶されるに違いなかった。いわば、「姿無き殺人事件」の記念ラインみたいなものだ。これがある限り川口夫婦は一生いやな思いをしなければならない。  だから、彼は、その忌《いま》わしい軌跡を消すために西側の川ぶちに至るまでの立木を払い、草を刈って均《な》らしてくれというのだ。それでも、いやな記憶の跡形が消えるわけではないが、筋が残っているよりもまだましだというのであった。  この理屈は正しい。土地の者でさえ、警察が何の確証も握らずに、いきなり予断をもって買収予定地を掘り返したのは行過ぎだという非難をした。人間の死体を埋めているなら、歩いて見ただけでも分るはずだ。畠山行雄の行方不明は三カ月しか経っていないのだ。草が生えたにしても、周囲とは歴然と区別がつくし、たとえ、犯人がその上をほかの草や木をもって蔽っても、捜索のときに分りそうなものだ。それを糞丁寧に草刈りするとは芸のない話だというのである。警察はあまりに念を入れすぎたわけだった。  警察がこの世論に弱っているとき、決定的な敗北が来た。行方不明になっていた畠山行雄が、ひょっこり北海道から河口湖町の自宅に姿を現したからである。 「そんな騒動があったとは、ちょっともわしは知らなかった」  と、帰宅した彼は人々に取りまかれて語った。 「川口さんとの約束で、北海道に行って適当な豚の飼育場が見つかるまでは家にも便りをせんことにしていたからな。わしがどこの旅館に泊っているか女房も知らないから、手紙を出そうにも出せなかったわけだ。えっ、なぜ、匿《かく》していたというのかね? そりゃ、あんた、河口のような町は狭いから、もし、わしの計画が失敗したら、すぐに人にバカにされるからな。つまり、これという候補地が見つかるまでは秘密を保っていたんじゃ」  それから彼は、その候補地として十勝《とかち》平野だとか、帯広の近郊だとかいろいろ述べて人を煙に巻いた。  警察は色を失った。こうなると、完全に川口平六の要求を呑むほかはない。どのように謝ろうとも彼が絶対に聞き入れないことは、前の買収折衝の例でも分っている。警察は今まですでに年間捜査費予算の半分を失ったのに、今度はその何倍もの負担を背負わなければならなかった。  そこで、県警の偉い人や署長などが「了解」という名で詫びを入れたが、平六は強硬だった。 「今さらそんなことを云っても、おれの名誉は回復しねえだ。見ろ、殺されたはずの畠山は無事に帰って来たじゃねえか。おれの山林の疵《きず》をどうしてくれる? 警察も国民の人権は尊重しなければなんねえはずだ」  彼は息巻くのだった。  遂に、土地の顔役なども間に入ったりして、川口平六の主張を三分の一に縮めることにどうにか成功した。つまり、筋のついている全域の西半分を平らにすることで、忌わしいラインを消せというのが彼の要求だったが、それを全域ではなく、川口が希望する個所だけ樹木を伐採し、除草してきれいにすればよいという妥協案だ。もっとも、それだけでも大変な費用だが、それ以上は相手も一歩も退かなかった。  川口平六が希望するその地点というのは、笛吹川を見下ろす崖の上の端まで、約千二百平方メートルの面積だった。この妥協が成立すると、今度は川口が自ら高山地帯観光株式会社の塩山出張所に出向いて所長に交渉している。 「なあ、所長さん、おれも今まで頑張ったが、今度の災難で、つくづくあのままにして置くのがいやになった。あそこに草や木が育って筋の見境がつかなくなるまでは、あと十年も二十年もかかるずら。それまでいやな思いをしたくねえから、はじめの取りきめ通り、おめえのとこに買ってもらおうじゃねえか。幸い警察のほうで木や草を払ってくれたから、そのぶんだけあんたのとこの費用も安くなるわけだからな」  会社側ではいまいましかったが、結局、川口の申し込みを呑んだ。社としても予定通りやったほうが路線を変更するよりも楽に予算内でやれるし、川口の云う通り山林の伐採費用がいくらかは助かる。それに川口はこうも云い足した。 「おれも村の悪評はこれ以上買いたくねえから、いったん契約はしたが、あの値段でなくてもええだ。みんなと同じ値にしてくれ。おれだっていつまでもいやな気分でいたくねえからな、早いとこ道路がついたほうがましだべ」  もとより、会社も歓迎するところである。  こうして川口の云う通り、川に臨んだ千二百平方メートルの地面は木が除かれ、草が刈られた。その上、その作業に便利なために、麓からその地点に行くまで僅かながら路らしいものもつけられた。  ただ、不思議なことは、畠山行雄が実にタイムリーに北海道から戻って来たことだ。もし、川口平六に対する最初の淡い嫌疑の段階で畠山が姿を現したら警察もここまでひどい目に遭わずに済んだに違いない。その出現の仕方が全く川口にとって好都合だったのである。  なぜ、幸運だったか。──  そのことは、やがて、そのきれいになった土地に××建設という土建屋の人夫が入るに及んで分った。 「おれはあそこにちょっとしたホテルを建てるだ。あそこは笛吹川の真上になっているから景色のいいことはこの上ない。ほら、向い側は断崖絶壁で、見晴しは申し分ねえ。今度出来る観光会社の道路が横を走っているから、東京の者はきっとあそこに泊ってくれるだ。観光会社もゆくゆくはスカイラインを造るというから、これまた車がどんどん入ってくるずら。そしたら、そのホテルがドライブ・インにもなったり、若い者の休み場になったりする。なに、ホテルといっても、初めから大きなことはしねえ。様子を見て、小さいところからだんだんにひろげてゆくつもりだ」  川口平六は得意そうに話した。  川口は、観光会社に売りつけた土地の金全部をこれに投入するといった。  すると、妙な噂が立った。あれは初めから川口と畠山行雄とがグルになって企《たくら》んだことだという。つまり、今度の事件は東京の新聞にも大々的に報道されて宣伝効果百パーセントだ。ホテルがそこに出来れば、別に広告しなくとも人は好奇心で一度は遊びにくるに違いない。  そこは川口平六が云う通り、笛吹川の断崖に面した風光絶佳な所だ。初夏は新緑、秋は紅葉と、まさに観光地として申し分はない。  次は、川口がそのホテル建設予定地をまんまと警察に地均《じなら》しさせたことだった。立木の伐り払い、雑草の刈り取り、それらの運搬、これだって費用はバカにならない。現に地元の警察では二年間の捜査費予算を使い果してもまだ足りなかったくらいだ。  この共謀説は、聞く者をうなずかせた。だが、川口と畠山とが否定する限り、どこにもそれを証拠づけるものはなかった。畠山行雄が北海道の各地を四カ月に亙《わた》って養豚場捜しに旅行していたことは事実だし、これには詐欺という証拠もなかった。また、たとえ、その疑いはあっても、詐欺罪は構成しない。川口平六は一物も他人のものを取得したわけではなし、自己の山林に警察が手入れをするのを彼は初めから拒絶していたのである。それを強引にやってのけたのは警察側で、これはわざわざ判事から令状まで取って強行している。文句の持ちこみようがない。 「平六の奴、うまいことしよった」  という噂が、会社の土地買収のときよりももっと強い声になった。一度は彼に同情しただけに、その非難と嫉妬とは極めて調子の強いものになった。  しかし、川口平六の様子は、どこ吹く風と云わぬばかりであった。相変らず女房は山の斜面の段々畑を耕しているし、平六は仔豚の飼育に余念がなかった。  彼の姿はいよいよ基礎工事がはじまるころから、絶えず現場に現れていた。まず、警察であらまし刈り取ってくれた山林の跡が地均しされ、断崖面には土砂崩れがしないように補強工事が行われた。  このときも平六は、請負の土建屋と口喧嘩の交渉をおこなっている。金が無いから工事費を極力切り詰めてくれというのだ。 「あんなシブチンを見たことがない。だが、こっちも初めから約束をしたことだし、資材や人夫賃の値騰《ねあが》りで合わないから手をひいたといえば、やはり組の名折れになるからな。やることはやるが、ちっとも儲けにはならない」  と、土建屋はこぼしていた。  ぼつぼつその敷地が仕上ろうとしているころ河口湖町の畠山行雄が北海道に移住することになった。畠山も川口平六とグルになって姿無き殺人事件の片棒を担いだというので、土地の者からひどく評判が悪い。彼の北海道行きは養豚業をはじめるのが目的だが、一つは土地の悪評に追立てられるような結果でもあった。 「こんな料簡《りようけん》の狭い町に住むのは、こっちのほうがごめんだ」  と、畠山行雄も悪態《あくたい》をついた。 「北海道はいい。なにしろ、汽車で一時間ぐらい走っても家一軒見られない土地があるからな。こんなせせこましい所に、東京の客相手の旅館や土産物屋が犇《ひし》めいているのから較《くら》べると、それこそ人間の気持が天地の違いだ。もう、こんな所には二度と戻らねえ」  畠山の悪態を聞いた者は、多分、彼は川口平六から相当な金を貰っているに違いないという臆測を立てた。川口の打った芝居は相棒の畠山無しには成立しないからである。牧場の金も、彼が以前平六に売りつけた山林の金だけではあるまい。そんな金は流行《はや》らない旅館を建ててとっくにスってしまっているはずだ。あれは、川口が畠山にいくらか出す金をアテに北海道移住を計画したに違いないというのである。 「みなさん、お世話になりました」  と、畠山は、その旅館を高い値で隣のホテルに売りつけ、|しこたま現金を握ったあと《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、近所の者に挨拶した。  しかし、土地の者は畠山行雄を憎んでいる。夫婦が出発する夕方、みなは、かたちばかり別れを惜しむ言葉を述べただけで、|誰も駅まで畠山夫婦を見送ろうとしなかった《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》。これもやはり人情といえた。その晩、夫婦がどこに泊るつもりでいるのかも分らなかった。  考えてみると、この出来事は一つの「形」に囚《とらわ》れたため、錯覚が起きたといえる。  つまり、新しく道路がつけられる。買収予定地の土地所有者が値段の吊り上げを行う。会社は応じない。そこで悶着《もんちやく》が起って地主が売渡しを拒否する。どこにも見られる平凡なケースである。  川口平六の場合は、まさにその「形」だと思われた。ところが、奇妙な噂が立って、平六が土地を売らないのは買収予定地のいずれかの地点に犯罪が隠されているからだという臆測が行われた。恰度《ちようど》、川口に山林を売渡した畠山が、北海道で養豚業をいとなむと称して土地の物色に出発したまま行方不明となっている。これが川口への疑惑と具体的に結びついた。  地元の噂が高くなる。警察もじっとしてはいられない。これもまたよくある「形」である。いわゆる「死体無き殺人事件」が人の噂や投書などで警察の捜査となり、実際に白骨化した殺人死体が発見されることはしばしば起る実例である。前の買収拒否の「形」にこの犯罪の「形」が連結した。  川口平六は、まんまとその心理の裏をかいたわけだった。畠山と共謀して彼の消息を三カ月間絶たせ、あたかも第一の「形」に当てはめて、見事にホテル建設の地均しを警察にさせたわけである。  見かけによらない知恵の働く奴だと、云う者もいる。吝嗇《けち》になると悪知恵も働くものだ、と呆れる者もいる。警察がかつがれたのだから見事なものだ、と称讃する者もいる。  川口平六のホテル建設の基礎工事は着々と進みはじめた。もっとも、その計画はホテルのイメージからはほど遠いもので、せいぜいドライブ・インかユース・ホステル程度のものだった。しかし、川口自身は、様子を見てこれを大きく拡張すると云っているから、まだ道路も出来ない今から、いち早くここでホテルの名乗りを上げるつもりに違いない。  実際、高山地帯観光株式会社が事業に着手するのは、まだ三年も四年も先だ。したがって、平六のホテル出現もそう急ぐことはない。工事は、整地と基礎までの土台が造られただけでひとまず終った。その上に壮麗な建物が建つのは、ここを自動車が走るころであろう。今は、その上に形ばかりのバラックが建った。 「平六の奴はうめえことをやりおった。あそこなら、きっと流行《はや》るに違いない」  他人《ひと》のやることはなんでも成功するように映るものだ。川口が描いている幻想と同じように村の人にも、白堊《はくあ》の建物に東京の旅行者が群がり、夥しい車がそこに並んでいるさまが想像されるのであった。前には断崖絶壁の山を控え、下には笛吹の上流が岩を噛んでいる。首を回すと、大菩薩峠の山嶺《さんれい》の上に白雲が悠々《ゆうゆう》と遊んでいる。── 「それにしても、あの工事を請負った土建屋がぶつぶつ云っていたっけ。平六が吝嗇で、どうしても約束以上の金を出さなかったそうだ。いかにも平六らしいな。土建屋はホテルの建設も契約していたそうだが、今は呆れてそっちの約束を破ったそうだよ」  そんな話も伝わってくる。  川口平六は、なんと云われようと知らぬ顔だった。彼はせっせと豚の世話をしている。女房は段々畑に匍《は》い上っている。川口夫婦は、数年後のホテル社長と専務とを夢みているのかもしれなかった。  一方、川口の片棒を担いだといわれた畠山行雄は、北海道に渡ったまま、土地の者に便り一つ出さなかった。彼が出立するとき近所の者が一人も駅に見送らなかったことでも分る通り、彼は平六と組んだことでひどく評判を落し、いわば、石もて町を追われたと同然の移住だった。 「畠山は川口からいくらかせしめたにちげえねえ。それに、あの河口湖町の旅館を他人《ひと》に売るときもしこたま吹っかけたそうじゃねえか。なにしろ、あの横にある××ホテルは近ごろ景気がよくて、前から畠山の敷地を手に入れたくてしようがなかったからな。大ぶん高い値で売りつけたにちげえねえ。畠山の奴は両方の金を合せて相当大金を握っているから、北海道の安い土地を思うまま買付けたずら」 「悪い奴は、どこまで悪運がついているかしれねえな」  そんな噂がひそひそと囁《ささや》かれる。  ここでも人々は、十勝平野だか、帯広の近郊だかの青草の上で豚を飼っている畠山夫婦の牧歌的な姿を想像するのだった。  しかし、なかには畠山行雄にどうしても連絡を取りたい人間もいた。畠山が逃げたことを知らずに借金取りに行った甲府の人間だ。 「畠山はおれたちにはなんにも云わねえで行った。もしかすると、平六だけには便りを寄越しているかもしれねえ」  というわけで借金取りが平六の家に行くと、平六は豚の餌で汚れた手を握り、地面に唾《つば》を吐いて罵《ののし》った。 「あんな恩知らずの奴は知らねえな。さんざん養豚業のことで世話してやったのに、向うに着いても葉書一本寄越さねえ。はじめからあんまり人のいい夫婦ではねえとは思ったが、これほど義理知らずとは知らなかった」  誰も畠山夫婦の行方を知らない。当人夫婦も、白い眼で自分たちを追出した土地の者に一切連絡を好まないようだった。すると、また妙な噂が立った。 「川口平六だけは畠山夫婦の行先を知っている。口先ではあんなことを云っているが、本当は川口のところには手紙が来ているずら。川口は前に畠山に片棒を担がせているので、今度はあいつを庇《かば》っているのだ。それに二人とも土地の者を嫌っているから、金輪際、川口が畠山のことを云うはずはない」  こうして秋が過ぎ、年が改まり、春が来た。高山地帯観光株式会社の買収は着々と進んでいた。塩山から大菩薩峠の麓を過《よぎ》り、長野県に入ったところまでは完全に測量が終った。  夏が来た。そして台風が来た。  川口平六がホテル建設用として××組にやらせた崖上の整地は、その基礎の上に建ったバラック小屋と共に笛吹川に崩壊した。多分、××組の技術が未熟だったというよりも、平六が金を惜しんだため工事側が手を抜いたせいかもしれない。  台風が静まってから、村の者がその崩壊現場に駆けつけた。すると、川口平六は、崩れた崖下の途中で、たった一人、しきりと土を鍬でいじっている。彼は畠山行雄の腐爛《ふらん》死体の頭を土でかくそうと努力しているのだった。それから二メートルばかり離れた所には、女の片脚が崩れた赤い土の中からのぞいていた。 [#改ページ]    陸 行 水 行      1  九州の別府《べつぷ》から小倉《こくら》方面に向って約四十分ばかり汽車で行くと、宇佐《うさ》という駅に着く。宇佐神宮があるので有名な町だ。  この宇佐駅からさらに北へ向って三つ目に豊前《ぶぜん》善光寺という駅がある。そこから南のほう、つまり山岳地帯に支線が岐《わか》れていて四日市《よつかいち》という町まで行っている。この辺は山に囲まれた所で、さらに南に行けば、九州アルプスの名前で通っている久住《くじゆう》高原に至る。四日市の駅で降りると、バスは山路の峠を走るが、その峠を越すと山峡が俄かに展《ひら》けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地にも靄《もや》が立籠《たちこ》め、墨絵のような美しい景色となる。  ここの地名は安心院と書いて「あじむ」と読ませる。正確には大分県宇佐郡安心院町である。  正月をすぎたばかりの午後だった。一人の中年男がバスを安心院の町で降り、盆地の縁をなしている西の山麓に向って歩いていた。風采《ふうさい》は上らない。それほど健脚でないとみえて、ときどき田舎路で休んだ。ただの旅行者なら、こんな場所に来ることはない。といって農家相手の農機具や肥料の外交員でもなかった。片手に鞄を提《さ》げているが、大ぶんくたびれている。浅黒い顔に眼鏡をかけているが、眼差《まなざし》はどこか思索的に見えた。──これは私である。  私は東京の某大学の歴史科の万年講師で、川田修一《かわだしゆういち》という。目立たない雑誌にたまに雑文を書いている程度だから、それほど名前を知ってくれている人はない。学閥にも乗れず、社交も下手だから、講師の位置に置かれたままである。研究心は自分では旺盛《おうせい》だと思っているが、学界に認められるような論文を発表したこともないから、学者といっても片隅的な存在である。風采がよくないのもやむを得ない。気の利いた教授だと、こんなのろまな鉄道やバスの利用などせず、別府あたりのホテルに泊ってここまで車を飛ばして来るであろう。実際、別府からは裏街道ながら、かなりいい路がついている。  私がこの土地に来たのは、実ははじめてではなかった。まだ助手だった頃(それは戦前だが)一度足を運んだことがあった。  もし、私がもう少し名の売れた講師だったら、学生を二、三人ぐらいは引きつれて調査の助手ぐらいに使ったかもしれない。しかしウダツの上らない講師では、頼んでも従《つ》いてくる学生もいなかった。私はそんなことには馴れている。地方の寺や神社、旧家を訪ねて古文書を見せてもらうときも、私はいつも一人である。私の専門は古代史だ。ここで私の考えなど述べる必要はないが、古代史の上でまだ謎となっているのは宇佐神宮である。  伊勢神宮と皇室の関係は、大体、研究し尽されている。しかし、西日本にかつて大きな勢力圏を持っていたであろう宇佐勢力圏は、もう少し研究されなければならない。例の和気清麻呂《わけのきよまろ》が称徳天皇の勅を奉じて宇佐神宮に使いしたことは有名だが、そのことから、宇佐神宮が有力な占術的存在であったことが分る。天皇が道鏡への譲位の適不適について、なぜ、まっすぐに伊勢神宮に行って神意を訊かなかったのか。皇室と縁の深い伊勢神宮に行かないで、はるか西国の宇佐神宮に赴《おもむ》かしめた理由は不可解である。  しかも、その後、聖武天皇が大仏造営について宇佐神宮の神体を奈良に移したり(手向山八幡宮《たむけやまはちまんぐう》)、頼朝が鎌倉に同じく宇佐神宮を勧請《かんじよう》したり(鶴岡《つるがおか》八幡宮)、または朝廷が京都に同じ宇佐神宮の神体を移したり(男山八幡宮)するのは、ただ仏教加護(大仏造営の場合)や、武術の神(鶴岡八幡宮の場合)などで解釈できるものではない。  大ざっぱに云って、大和朝廷が成立したのは四世紀半ばから五世紀にかけてであろうということが定説になっている。この三世紀半ばには、『魏志倭人伝《ぎしわじんでん》』に見られるように、北九州には耶馬台《やまたい》国を中心とした一大勢力圏があった。これと宇佐神宮の原祖とが直接に結びつくかどうかは分らないが、地域的には耶馬台国は現在の福岡県|山門《やまと》郡あたりだろうと云われている。もっとも、これは九州説を唱える学者の推定である。耶馬台国を現在の大和に設定する論者はもちろんこれを否定している。  もし、九州説を採って耶馬台国を現在の九州地方に設定すれば、宇佐はかなり離れた地域だから、そこが耶馬台勢力圏の中にあったとは考えられない。宇佐神宮の神体は、現在、第一殿が応神天皇、第二殿が玉依姫《たまよりひめ》、第三殿が神功《じんぐう》皇后となっている。これを称して三所《さんしよ》という(延喜式)が、おそらく、これは奈良時代に付会した説で、原形は遙かに違ったものであると思われる。  これからの話に関係があるので、読者には少々|煩《わずらわ》しいかもしれないが、次のことだけは付記したい。 『古事記』の神武天皇記には、日向《ひゆうが》を発した神武が速吸瀬戸《はやすいのせと》(今の豊予海峡)を通過して、菟狭津彦《うさつひこ》、菟狭津姫に迎えられて|足一 騰 宮《あしひとつあがりのみや》に入り、饗応を受けたとある。  この足一騰宮については、本居宣長が「川の傍の断崖に建てられた建物で、船から一足であがれるという意であろう」(古事記伝)という大そう苦しい解釈を下している。  もう一つ付け加えなければならないのは、平安朝時代のことになるが、この宇佐付近に磨崖仏《まがいぶつ》が発達していることである。国東《くにさき》半島や、豊後の臼杵《うすき》、大分市内などがそれだ。これについては浜田耕作博士の著作(「豊後磨崖仏の研究」)があるが、それにしても辺陬《へんすう》の土地に発達した仏教美術と宇佐古代文化圏を結びつけて論じられてはいない。  要するに、宇佐という一つの古代国家がかつてこの地域に存在していたであろうことは推定できる。そして、それが日本の古代社会の政治体制の中に何らかのかたちで大きな影響を与えたことは読取れるのである。  だが、前述のように、このへんはあまり研究されていない。いわば、「宇佐の研究」は日本古代史の中で一つのアナだと私は考えている。  そんなわけで、風采の上らない一人の中年男がとぼとぼと安心院盆地を歩いている次第である。  この盆地の東南に当る山裾に辿《たど》り着いた所が妻懸《つまがけ》部落である。  このあたりは農家が点在しているが、その中に妻垣《つまがき》神社というのがある。現在の地名になっている妻懸は妻垣の転訛《てんか》だということが分る。この神社は大変に古い。今は小高い所に小さな社《やしろ》と、玉垣をめぐらした境内とがあるが、森を隔てた所には神宮皇学館が遺っている。神宮皇学館といえば、伊勢神宮と、ここしかなかった(昭和二十一年廃止)。私は国文学者山田|孝雄《よしお》先生を崇拝するものだが、その山田先生が伊勢の神宮皇学館大学長であったことを思い合せると、なんだか、このみすぼらしい校舎が崇高にさえ思えてきた。いうまでもなく、この学校は神官の養成所である。  宇佐宮縁起によると、ここの神体は比売大神《ひめおおかみ》で、その修行地だとある。比売大神とは、前に記した女神神体の一つ玉依姫を指している。 「妻垣」の名前は古風だ。例の古歌「妻ごめに八重垣つくる……」などが想起されよう。そんなことを思いながら、百姓家の前から山林の間を分け入って、胸を突くような急な坂を登った。石ころがごろごろしていて大そう登りにくい。樹が蔽《おお》い茂って日光も射さないから、しばらくはトンネルのように薄暗かった。  坂を登りながら考えた。私のようにパッとしない歴史学者は、はるばると東京からこんな所まで来て調べるくらいがせいぜいの仕事である。その結果、一体、どのような業績が上るだろうか。何をやっても私は学界で認められることはなかった。有力な学閥に属していない悲しさで始終学界からは無視されている。もし、少し変ったことでも発表すれば、たちまち白眼視され、異端視される。  してみると、現在の私はまことに虚《むな》しい作業をしているわけである。しかし、それでも構わないと自分に云い聞かせる。いつの日か、私の鍬を下ろした貧しい土壌に誰かが注目してくれるであろう。それを待つよりほかはないのだが、それは私の一生と似ていた。誰からも注目されず、尊敬もされず、一介の講師として生涯を終るわけだった。ほかの教授たちのように器用でないから、雑誌に書き散らして金になるようなアルバイトもない。有力教授の引きがないから、何々歴史講座といったポピュラーな講座ものに参加させてもらうこともない。  誰かがあとで「宇佐神宮の研究」といった私の論文を発見してくれたら、それだけでも満足だが、世の中には貴重な研究をしながら、その業績が埃《ほこり》の中に埋もれて永遠に陽の目を見ないことだって多い。どうやら、私もその組の中に入りそうであった。  私の家庭は索漠《さくばく》としている。子供は二人いるが、別段、期待をかける出来でもなかった。女房はまるきり私の仕事には理解を持たない。貧乏学者の妻として始終不平を鳴らしていた。私は交際下手だから友だちもいない。つまり、誰も私を引き上げてくれず、私をうしろから押してくれる者もいなかった。せめて、この研究に自分の生き甲斐をみつけるよりほかはないのだ。いや、かえって私の味気ない一生を紛《まぎ》らすために、こんな地道な仕事にとりかかっているともいえる。  ようやく坂を途中まで登ったところで、やや広い棚地《たなち》に出た。そこには、粗末な木で囲った垣の中に古い石が一個ぽつんと置かれてあった。石は苔《こけ》に蔽われて暗鬱な色を呈していた。  実は、これがこの神社の神体なのだ。こういうところからもこの神社の古さが分る。いうまでもなく、古代信仰は自然物が対象で、山岳や、巨石などだった。今でも大和の三輪《みわ》神社の神体は三輪山である。この神社は拝殿だけがあって、本殿はない。  私は、自分の古臭いぼろカメラを石に向けてさまざまな角度で撮影した末、そのあたりに腰をかけて一服吸った。  木の間から見える安心院盆地は、ひろびろとした曠野《こうや》にも似ていた。ここは古代人が生活地として求めそうな地形であった。古事記の神武伝説は真実でないにしても、例の|足一 騰 宮《あしひとつあがりのみや》が川の断崖に建てられた仮屋だったとはとうてい考えられない。やはり川の上流を遡《さかのぼ》った古代人は、この盆地に定着しなければ納得できない。  宇佐神宮の神官は代々宇佐氏を名乗っていたが、それがのちに大神《おおが》氏となっている。いま、大神という姓が全国に散らばっているが、その根源はここから出ているとみてよい。  たとえば、北九州には宗像《むなかた》神社がある。これは朝鮮民族で、いわゆる、「海神系」である。この宗像氏の原形は胸形(仲哀記)で、それが宗像、宗方になり、棟方となる。したがって、東北地方に多い棟方姓(たとえば棟方志功画伯は青森県生れ)は、北九州の対馬《つしま》暖流が流れて姓氏の分布になったことが分る。  この宗像勢力圏と耶馬台国勢力圏と、この宇佐勢力圏の三者の関係は興味深いものがある。北九州の銅剣|銅鉾《どうほこ》使用民族が、この宇佐勢力圏とどのような関連を持っていたかは、これも今後の調査で明らかにしたいのだ。現在の銅剣の出土状態では宇佐地方に、六、七例が報告されている。  そんなことをとりとめもなく考えているとき、下のほうからごそごそと人の足音が聞えた。  坂を上ってきたのは、三十五、六ぐらいの、背の高い男だったが、先方も意外な所に人間を見つけたというような顔をした。彼は私に軽く会釈をしたが、何か胡散《うさん》げに横眼で見るのだった。  男は埃っぽいオーバーを着ていた。その裾からのぞいているズボンもあまり上等とはいえない。赤い靴も踵《かかと》が大ぶん擦り減っていた。  私は煙草を吸いながら、なるべく彼の動作を邪魔しないようにした。というのは、その男がポケットから手帳を出して、石のかたちを鉛筆でスケッチしはじめたからである。よほど熱心な人に違いないと思ったが、土地の人間とも思えなかった。なぜなら、この辺だとここは知れすぎた所だから、わざわざスケッチに来るまでもないからである。もしかすると、九州のどこかの高校教師か郷土史家かもしれないと私はひそかに踏んだ。  男はスケッチが終ったとみえ、腰かけている私のほうへ改めて身体を向け、丁寧なお辞儀をした。 「失礼ですが、よほど遠方からいらしたんでしょうか?」  彼も私の風体を見て何かを想像したようだった。 「東京からです」 「東京?」  男は、一瞬、おどろいたように私を見たが、それには素朴な感情が出ていた。実際、彼の扁平《へんぺい》な顔は、どう考えても都会的とはいえなかった。 「では、この辺にお知り合いの方でも?」  このような山中で偶然出遇ったという気安さから、彼はそう馴れ馴れしく問いかけてきた。ほかの場合と異なって、こういう環境なら、誰でもそんな心理になるだろう。私には彼の質問がそれほど不作法とは思えなかった。いや、私もその男の素姓を知りたくなってきていた。 「そうじゃありません。実は、この辺を少し調べに来ている者ですが」  そう答えると、 「へえ、わざわざ東京からお調べに。そりゃ……」  と、また男は感嘆した。 「そうすると、どこかの学校の先生でもしていらっしゃるんでしょうか?」 「こういう者です」  と、私は名刺を出した。考えてみると、これも唐突な行為だが、山中の史蹟に二人だけで居るという人間関係が必要以上の親しみをおぼえさせたのは自然の成行であろう。 「ははあ」  彼は私の名刺の肩書を見て俄かに敬意を表したように軽く頭を下げた。私のような者でも東京の大学の講師だといえば、結構、地方では「偉い学者」に映るとみえる。 「申しおくれましたが、わたくしはこういう者でございます」  彼はあわてて、その古臭いオーバーの懐ろに手を入れ、上衣のポケットから一枚の名刺を出した。 ≪愛媛県温泉郡吉野村役場書記 浜中浩三《はまなかこうぞう》≫  私は案外な気がした。てっきり、この九州のどこかの高校教師か郷土史家だと思っていたのに、四国の村役場の吏員だったのだ。 「四国からとは、また不便な所からいらっしゃいましたね」 「はあ、松山の近くです」  四国の松山だと、船で岡山県か広島県に渡り、山陽線で九州入りをするほかはない。そんな面倒な旅行が一瞬、私の頭に描かれたのだが、 「いや、大したことはありません」  と、役場の吏員はほほえんだ。 「松山から八幡浜《やわたはま》に行き、八幡浜から船で別府までくれば、わけはありませんよ」  そんなコースもあったのかと、はじめて気がついた。つまり、この男は、往古の速吸瀬戸である豊予海峡を小さな汽船で横断して来たわけであった。 「やはりあなたも、この辺の史蹟調査にでもいらしたんですか?」  私は訊いた。さっき、この石をスケッチした様子からみれば、当然の想像だった。 「いや、私のような素人は、とても史蹟調査などといったような大それたことはできません。先生方と違いまして、なにしろ、素人の趣味でやっているので、歴史の基礎知識がございませんから」  男は鼻に皺《しわ》を寄せて笑った。卑屈とみえるような謙遜した態度だった。えてして素人の郷土史家は、中央の学者には必要以上の劣等感をみせる。 「いや、ぼくだっていい加減なものですよ」  と、私は云った。実際いい加減な学者は私を含めてずいぶんと多いわけである。 「どういたしまして。……こんなことをお訊きしていいかどうか分りませんが、先生もやはり『魏志倭人伝』の調査をされているのでしょうか?」 「『魏志倭人伝』ですって?」  今度は、私が相手の顔を見る番だった。  しかし、すぐに、なるほど、そうかと考えた。『魏志倭人伝』に出てくる耶馬台国の所在をめぐって、学界が九州説と大和説とに岐《わか》れているのは周知の通りである。  それぞれが『倭人伝』に載っている地名を現在のいずれかの地点に当てはめて論争をおこなっているが、未だに両説とも決定的なものがなく、歴史上の謎となっていることも知られている通りだ。  この大分地方も『倭人伝』に出てくる地名の中の一つに推定されている。この男は、どうやら、郷土史家といっても自分の住んでいる狭い土地をほじくっているのではなく、正面から大きなテーマに挑んでいるようであった。  一見、農夫ともみえる男の平凡な顔や、それに似つかわしい村役場の吏員といった職業から想像できない壮大さが、私の印象にあらためて来た。      2  冬枯れの山林の中で出遇った男から、『魏志倭人伝』の研究をしているのかと訊かれて、私は逆にその男がそのものズバリの研究をやっていることを察した。  世の中には郷土史家も多いが、この四国の松山近くに住む村役場吏員浜中浩三という中年男は、中央の学界でも論争の的になっている大問題と取組んでいるらしいのである。 「いや、ぼくはそんな大それたことは考えていません」と、彼の質問に私は答えた。「ただこの宇佐神宮は、奈良朝末期までかなり神秘的なベールをかぶっていたことに注目して、そのことを少々調べてみたいと思って来たのです」 「なるほど、なるほど」  と、村役場吏員はうなずいた。 「それはいいところに眼をお着けになりました。全く同感です」  彼はひどくうれしそうな顔をした。 「わたしは自分がやっている研究上、誰かがこの宇佐地方の研究を発表なさらないかと待っていたのですが、どの学者もあまり発言をなさいません。全く先生がそれに手を着けられたのは大変な炯眼《けいがん》です」  私は郷土史家浜中浩三から先生扱いされて変な具合だった。しかし、学校の講師をしているから、一般的にいって「先生」なる名詞を使われても仕方がないと諦《あきら》めた。おそらく、この郷土史家も土地では「先生」と呼ばれているのかもしれないのだ。 「さすがに郷土史をやっていらっしゃるだけに詳しいですね」  と、私は云った。事実、宇佐地方の研究が未開拓の世界であることも、古代史でも宇佐は奈良朝末期まで神秘視されていたことも、一般人はあまり知らない。 「あなたは、その『魏志倭人伝』の研究をなさっているんですか?」  と、私は訊いた。すると、彼は、その顔に照れ臭そうな、しかしどこか誇らしげな色を浮べた。 「大変おこがましい話ですが、わたしなりの調べ方をしたいと思っています」  彼はいくらか低い声で答えた。私が万年講師で東京の大学に居るということだけで、浜中浩三は面映ゆい思いをしているのである。しかし、世の中には中央の学者よりも、地方史家によって有益な学説の端緒が発見された例もある。 「それは大変結構です。殊にこの宇佐地方をお調べになってるのは面白いと思います。お差し支えなかったら、あらましでもあなたのご意見を伺えませんか」  私は切り出した。  彼がここに来ている以上、彼の胸の中には何らかの仮説が立てられているに違いなかった。あるいは他の地域の研究がなされて、その結果、この土地の研究に到達したのかもしれない。アマチュアの意見を聞くのも面白いという気持の一方、もしかすると、彼の意見も私の宇佐神宮の研究の何らかのヒントになるかもしれないという期待も交っていた。 「先生に聞いていただくのは大変光栄です。ですがどうも素人史家で、貧弱なことを申しあげるのは恥しいのです」  彼はそう謙遜《けんそん》したが、その顔には進んでそれを話したげなものがあった。  つまり、東京の先生に自説を聞いてもらいたいという、あの地方人の積極さであった。中央の学者は、それを学界に発表するまで極めて自説の漏洩《ろうえい》することを警戒するものである。一つはまだ、その論文が整理されないでいることや、傍証が固められないためでもあるが、一つは学界発表以前に洩れて叩《たた》かれることを惧《おそ》れるからである。さらには、もっともこれが大きな原因かもしれないが、同じテーマを他人に剽窃《ひようせつ》されたり、換骨|奪胎《だつたい》されて先を越される危惧《きぐ》があるからだ。 「では、ひとつ聞いていただきましょうか」  と、浜中浩三はいったが、頭を掻《か》いて、 「と開き直るほどでもございませんが、まあ、こういう場所でお目にかかったのをご縁に、退屈話としてお聞き下さい」  と、彼は腰かけたままポケットから汚ない手帳を出した……。  ──これから郷土史家浜中浩三の話を私が聞くわけだが、しかし、それを直接読者に取次いでは何のことかさっぱり面白くない方もおられるかと思う。殊に耶馬台国論争などに興味のない読者を、以下やや長々と現在までの学術論争のあらましの紹介で悩ますのは恐縮である。しかし、これがないと浜中浩三の話の筋が通らない。  私は現在学者間で問題になっているこの論争の点を、なるべく短く掻いつまんで紹介してみたい。  江戸時代の中期のことであった。九州博多湾の近くに志賀島《しかのしま》という突き出た半島がある。或る日、近くの漁民が浜辺を歩いていると、何か奇妙なものが砂の下から光っているのに気づいた。漁民がそれを掘ってみると、金色|燦然《さんぜん》たる四角い印形《いんぎよう》が出た。それは陰刻で、何やらむずかしい漢字が彫られてある。漁民は、その漢字の威厳に打たれたのか、それとも正直者だったのか、拾った金の印形を鋳潰して金儲けを企《たくら》むことはなく、それを領主のもとに差し出した。筑前の国守は黒田|甲斐守《かいのかみ》である。この漁師の拾った古いシナの判コが、有名な金印《きんいん》で、表に彫られたのは「漢委奴国王」という文字だった。  これが耶馬台国論争の一つの物的証拠になったのである。この金印に彫られた「漢委奴国王」という文字は、漢の委《わ》の奴《な》の国王と読み、かつて中国の漢王が日本(委)の中にある奴国(今の博多地方といわれている)の国王(この場合は地方連合体の首長というほどの意味)に与えた認証といった意味を持っている。当時は日本から漢に朝貢《ちようこう》していたので、漢の王様は日本を属国に思っていたのである。  ところで、中国に『魏志』という史書があるが、その中に日本に使いした使者の報告らしいものをもとにした、洛陽《らくよう》からはるばると耶馬台国までの旅程が記されている。  この耶馬台国は「やまと」と読んで、それを現在の大和地方、九州の山門《やまと》郡地方と両様に解釈して論争が行われている。しかし、これは新しいことではなく、すでに江戸時代から『魏志倭人伝』の記事は眼をつけられ、当時の学者も云い出したことで、そのほとんどは大和説が有力だった。  論争の問題となる点は南朝鮮から日本に上陸して耶馬台国に至る旅程の日数とそれから推定される土地及び地名である。その背景には、大和朝廷の成立と同じ時期に北九州に存在していたらしい女王国の併立がある。つまり、大和説を採る者は当時の大和朝を採り、九州説は同じ時期に勢力を振っていた女王国を当てるのである。  さて、これから論争の要点を並べることになるが、その論争そのものが、まず一種の推理小説といってもいい。  外国には歴史の秘密を文書によって解明してゆく形式のベッド・ディテクティヴというのがある(たとえばジョセフィン・テイの「時の娘」など)。もし、以下論争の概略を読まれた読者がそれだけでも推理小説的な興味を起されたら幸いである。  では、『魏志倭人伝』に載っている距離というのはどうであろうか。この原典では現在の京城《けいじよう》から朝鮮の西海岸沿いに船で南下して、今の木浦《もつぽ》付近から対馬、壱岐《いき》を通り佐賀県|東松浦《ひがしまつうら》郡の海岸に上陸したことになっている。ここまではどの学者も認めているのだが、問題はそこに上陸後、同じ九州内の山門郡にあった女王国に行くか、あるいは博多あたりから現在の大和地方に行ったかが主張の岐れ目である。『魏志倭人伝』に載っている順路を分りやすく表に示すと、次のようになる。  狗邪《くや》韓国(南朝鮮、現在の木浦地方と思われる)─七千余里→対馬国。─一千余里→一支国(壱岐)。─一千余里→末盧《まつろ》国。(以上が水行)。  末盧国─五百里→伊都《いと》国。─百里→奴国。─百里→不弥《ふみ》国。(以上が陸行)。  不弥国─水行二十日→投馬《つま》国。─水行十日、陸行一月→耶馬台国。  耶馬台国から以南は便宜上省略するが「都より女王国に至る万二千余里」とあって、今の京城から耶馬台国までの総里数は一万二千余里ということになっている。  この距離がいかにも長いことを読者も気づかれるであろう。たとえば、木浦付近から対馬までを七千余里とし、対馬から壱岐までを一千余里とし、壱岐から末盧国(現在の佐賀県東松浦郡と推定されている)までを一千余里としている。  あともそれに準じて大ぶん長い距離が書いてある。しかし、これは中国の独特な里数計算や、この報告をした使者の話にも不正確なところがあって、額面通りには受取れないとされている。  なかでも面白いのは、不弥国から投馬国に行くのに水行二十日とし、投馬国から耶馬台国に行くのに「水行十日、陸行一月」としてあることだ。このことがこの距離の読み方に大いに関係がある。  なお、面倒なので一々書かなかったが、大体この行程は南のほうにばかり向っている。なかには、伊都国から奴国まで東南行しているところがあるが、大体に南の方向にばかり進んでいる。図で示すと、次の通りになる。 (図省略)  この「伊都国」は、現在の福岡県糸島郡付近、「奴国」は博多付近に推定がほぼ一致している。「不弥国」は今の福岡県|太宰府《だざいふ》付近にある宇美《うみ》町と推定している学者もいるが、そうすると博多から宇美町まで百里というのはおかしい。現在、この両地点の間隔はせいぜい八粁ぐらいだ。そういえば、糸島郡から博多の間も十二、三粁であろう。すなわち、百里という里数は古代中国式の測定であることが分る。  次に「不弥国から投馬国まで南に水行二十日」とし、「投馬国から耶馬台国まで南に水行十日、陸行一月」としてあるのは論争の焦点となっている。  もし、原文のままに従うと、この旅程では不弥国から九州を突き抜けて海のほうに出てしまう。  そこで注目されるのは、南というのは東の誤りではないかという推論があることだ。  つまり、使者の錯覚で東と南を取違えたのではないかというのである。そんなふうに修正すると、不弥国から投馬国まで南へ水行二十日や、投馬国から耶馬台国まで南へ水行十日、陸行一月は、今の瀬戸内海を東行して、恰度、大和地方に到達することができる。これが耶馬台国を大和説にしている論者の主張である。  当時の中国の考え方では、日本は朝鮮の南に南北に亙って垂れ下った島国と想像していたから、この考え方は自然だという。  事実、古い世界地図を見ると、日本の位置は、現在のように東北に向って弓なりになっているのではなく、朝鮮のすぐ南に細長い甘藷《かんしよ》のかたちで記載されてある。したがって、この東を南に取違えた論は、それなりに首肯させるものがある。  それで、投馬国は現在の山口県|佐波《さば》郡とも推定し、あるいはそれを備後《びんご》の鞆《とも》に当てる学者もいる。  当時の幼稚な航法を考えると、大和へは瀬戸内海を通るのが最も安全だ。無数にばら撒かれた島嶼《とうしよ》は嵐の待避に恰好な場所である。また漢鏡の出土状態、古墳の分布状態から考えると、畿内説《きないせつ》は有力である。  しかし、九州説もそれなりに畿内説に譲らない強さを持っている。  この『魏志』の旅程では、前に書いたように、どうしても無理なので、九州説では伊都国から各地への旅程を放射形に推定している学者もいる。たとえば、榎《えのき》一雄教授などは、漢国の使者は伊都国に留っていて、そこを基点に各地への旅程を述べたのではないかと云っている。また、水行十日、陸行一月というのはいかにも遠すぎるから、これは水行すれば十日、陸行すれば一月という意味ではないかと云っている。  ところが、これに反対する畿内説は、『倭人伝』の記事はそのまま素直に読むのが本当で、榎教授のように放射形に考えるべきではないと云っている。それにしても陸行一月は長すぎるので、一月は一日の間違いではないかと述べている学者もある。たとえば、白鳥庫吉などはその主張だった。  では、九州説における投馬国とは現在のどこだろうか。これには九州の薩摩《さつま》、日向の都万《つま》、筑後の上妻・下妻、あるいは三瀦《みずま》を推定する各説がある。  同じ畿内説にしても、瀬戸内海を取らず、日本海岸側の航路をいう人がある。これは対馬暖流に乗って東行する考えで、むろん、出雲国の連合体が頭に入っているからであろう。その説は、投馬国を出雲《いずも》や但馬《たじま》に当てている。  そのほか、『倭人伝』に書かれた漢字の発音が当時の日本の地名の発音を正確に写したものかどうか。それには古代と現代との言語上の比較問題もある。また、北九州にだけ存在している神籠石《こうごいし》(山岳の山腹を低い石垣でとりまいた古代遺址。祭祀址という説が強い。山口県に一例あるのみ)のことや、大和連合体と九州連合体との政治的関係など、考古学上、文献学上の問題が絡まって、この両説をそれぞれ傍証づけている。  しかしこれ以上書くと煩しくなるから、この辺に止めて、以上大体、両方の説のあらましだけは述べたつもりである。 「あなたは、耶馬台国が畿内にあったか、九州にあったか、どちらを支持されるつもりですか?」  四国の郷土史家浜中浩三は、まず私に反問した。草の上にのんびりと腰を下ろしての話だった。 「さあ、ぼくも実はそのことを真剣に考えたことはないのです。両説とももっともなところがありますからね」  私は答えた。二人とも煙草をふかしていた。 「そうです。畿内説も、九州説も、全く互角の相撲をとっています」  浜中浩三はそう云って、 「しかし、それだけに両説ともあんまり先入観が入りすぎているような気がしませんか」 「先入観ですって?」 「つまりですな、この問題は、すでに大ぶん前から云われています。それをのちの学者が次第に説を固めるため、実に微に入り細に亙り研究してきました。だが、われわれからみると、あまりに重箱の隅をつつき回したという感じがしないでもないのです」 「たしかにそういう感じはありますな」 「わたしはですな、耶馬台国がどこにあったかという結論はあと回しにして、この両説以外の盲点に着目したのです」 「ほほう。すると、九州説でも畿内説でもない?」 「まあ、大ざっぱに云えば、そのどちらかに入るでしょうが……」  と浜中浩三は微笑した。 「大体、あなたもお気づきの通り、『魏志』の里程と、水行十日、陸行一月というような曖昧《あいまい》な書き方が論争の混乱を起していると思います。榎さんの云われるように、漢の使者が伊都国に駐留して、そこから先の地名は他人の話をまとめて報告したのだろうということは十分に考えられるし、また『倭人伝』の読み方を連続的でなく、いわゆる放射線形に読むということもたしかに独創だとは思います。しかしですな、反対論者の云うように、記事を素直に読んで解釈すべきだという説も捨てがたいのです」 「なるほど」 「けれども、それでは耶馬台国は九州の南のほうに突き抜けて、今の奄美《あまみ》大島か沖縄あたりになってしまう。それはとうてい考えられない。してみると、里程の修正はもとより、水行十日、陸行一月というのも修正しなければならない。では、陸行一月とは一日に何里歩く計算なのか、水行十日とは一日にどのくらい船が進む推測なのか、この辺のところも曖昧の域を出ません」 「そうですね」 「当時の航海法は貧弱ですから、水行十日というのは、嵐に遭ったり、途中の島に碇泊したりする日を計算に入れなければならないとも云われていますが、それにしても、これではあまりに漠然としています。やはりわたしは、これは漢の使者が漠然と他人の風聞をしるして自分なりの想像を付け加えたのだと思います。……しかし、わたしの説が違うのは、榎説の�伊都国�が基点ではなく、�不弥国�を基点にしたいのです」 「なぜですか?」 「なぜかとおっしゃるんですか。ほら、よく考えてごらんなさい。不弥国まではちゃんと里程が書いてあるでしょう。しかし、それから先は、南に水行二十日にして投馬国、それより南に水行十日、陸行一月で耶馬台国となっていますね。里程は不弥国までです。あとは日数となっている。つまり中国の使者は里程をしるした所だけ歩いたのです。日数のほうは想像だと思うんですよ」 「新説ですね」  私は感心して云った。      3  私はなぜ浜中の言葉に感心したかというと、いままで誰もこの着眼に気づいた者がないからである。  たしかに末盧国→伊都国→奴国→不弥国までは、それぞれが里程で書かれている。  そのあとの不弥国から投馬国、耶馬台国までは里程でなく日数計算である。  もっとも、この里程や日数にしても、『魏志』の文章にアヤを持たせるためわざと日数をもって里数にかえたという説や、里数と日数とは平衡が取られているという学者もある。  また、伊都国は現在の福岡県糸島郡深江付近と諸説が一致しているので、ここを基点として、あとの各地は魏の使者が日本人から聞いた距離を書いたのだろうという説がある。しかし、それは不弥国を基点としているのではない。伊都国が一応基点となっているのは、伊都国の位置が諸説一致しているので、その安心感があるためであろう。これが学者の心理的な陥穽《かんせい》となって不弥国を基点とする考えまで及んでいない。たしかにこの吏員が考えたように人が実際に自分で歩く場合は距離感を実感として受けとる。里数はその体験を表現しているように思える。 『魏志』の日数は、一日の里程を所要日数に掛けて表わしているのだという説もあるが、しかし、日数の場合は、宿泊や風浪の待避などが含まれるだろう。学者のなかには『土佐日記』を引用してその舟泊りを例示しているくらいだから、日数をもってそのまま里程を表わしたとはいえない。普通の観念として所要日数の云い方は、甚だ観念的で、里数で表わすような具体性がない。  この具体性のなさはそれが他人の話だからで、そのために抽象的なものになってくる、と浜中は云うのだった。 「そうですか」  と、村役場吏員は、私の興味を知って、うれしそうに笑った。 「先生のようにすぐわたしの説に興味を示して下さると、わたしも話し甲斐があります。……大体『魏志倭人伝』の記事は、見方によっては大へん意地悪い記述です。そこから解釈の混乱が起るのですね。各人各説で面白いのですが、どの学者も自分に都合の悪い点は『魏志』の記述が間違っているとか、誤写だとか、錯覚だとか云って切り捨てています。最近、富来隆先生の著書を拝見しましたが、そのなかにこういう否定や正反対の取捨選択は果して何を基準として可能なのだろうか、と疑問を云われているのは全く同感です」  私はうなずいた。 『倭人伝』の記事をその通りに読んでゆくと、耶馬台国が九州の鹿児島県あたりを突き抜けてゆくことは先に書いたが、それでは不合理なので、途中から「東」を「南」に取違えたことにしたのが畿内説の成立である。だが、記事が「東」を「南」に取違えたと云い切るには、根拠になる立証はなにもないのである。これは、畿内に耶馬台をもってゆくためのご都合主義の想像でしかない。  最近、四国の医者である郷土史家が出した耶馬台国に関する考察は大そう勇敢な書物で、先学の諸説を悉《ことごと》く粉砕し、読んでみてまことに面白いが、面白いというのはそれがひどい独断だからである。この書物では『倭人伝』の文章が都合のいいような訳し方になったり、地名も無理した語呂合せに終っている。  しかし、誰がこの四国の医師の我田引水を咎《とが》めることができるだろうか。大なり小なり昔からどの学者も同じ牽強附会《けんきようふかい》をやって来ているのである。 「全くそうです」  と、私の意見を聞いて浜中浩三はにこにこしてうなずいた。 「榎先生の伊都国を基点とする放射形の方向里数は、まことに独創性があって傾聴に値しますが、距離、行程の書き方の違いで伊都国から不弥国までなら百里、伊都国から奴国までなら百里、伊都国から投馬国までなら南に水行二十日、伊都国から耶馬台国に行くなら南水行十日、陸行一月というふうに、それぞれ伊都国中心に放射形に区切られています。これは伊都国から耶馬台国に至る里数が直線コースで読むよりずっと距離が縮まり、耶馬台国を九州に置く上で大へん都合のいい説です。ですが、伊都国からA地点に行く|には《ヽヽ》何里、B地点に行く|には《ヽヽ》何里という「には」に当る分断の字句は原文には何もありません。カンぐって考えれば『魏志』の記述を棒よみにトータルすると、どうしても九州耶馬台説に無理がくるので、こういう計算方法を考えたともいえます」 「なるほど」 「また、問題の投馬国から耶馬台国へ行くのに南水行十日はいいとして、陸行一月はあまりに長くかかりすぎる。一月は一日の誤写ではないかというのも、自分の理論に都合が悪いからあっさりと「誤写」ときめてしまっているといわれても仕方がありません。少くとも『魏志』の誤記が科学的に立証できない限り、やはり学者の都合勝手な歪曲《わいきよく》というほかはありませんな」 「なるほど」 「いや、学者というものは身勝手なものですよ。のちの時代になって文献も豊富になり、いろいろと遺物、遺跡などが発見されれば、それに拘束されて大胆な飛躍はできないのですが、この『魏志倭人伝』に関する限りは立証文献がほかに無いものですから、中国ののちの典拠などを持ち出して勝手な熱を吹いています。実際、諸説を読み比べると、こういう学説の飛躍をもう少しあとの歴史時代にもやってもらいたいと思いますな。そうすると、歴史もずいぶんと面白くなるし、発展もしますよ」  と、村役場吏員は皮肉そうに笑った。 「しかしですな、先ほど富来さんの説に感心しましたが、ほかのところを読むと、そう感心ばかりはしていられません」  と、浜中浩三は語り継いだ。 「富来先生が耶馬台国をこの宇佐に仮定されたのは、たしかに卓見だと思います。ですが、それにしても、投馬国から……この投馬国を富来先生は現在の鞆《とも》、といっても備後の鞆ではなく、速鞆瀬戸《はやとものせと》から想いつかれて今の北九州市門司区に設定されているのですが、そうなると、南水行十日プラス陸行一月となれば、宇佐まではひどく長くかかりすぎる。そこで、富来先生は�通説に従って陸行一月を一日とする�と勇敢に断じておられます。しかし、通説といったところで、陸行一月が一日の誤記だとは一部の学者がいっているだけで、学者間の意見が一致しているわけではないのです。少くとも奴国が現在の博多付近だと諸学者に認められるぐらいの普遍的な�通説�でないと、やっぱり独断ですね。……つまり、富来先生も自分流に都合のいいように解釈されているのです。これは富来先生だけではなく、どの学者も自説によろしくないところは勇敢に切り捨てておいでになっています」 「なかなか手きびしいですな」  と、私は云った。しかし、吏員の批判には私も密《ひそ》かに同感していた。 「それにですな」  と、吏員は云った。 「富来先生は、不弥国を今の宗像《むなかた》神社のある一帯に仮定されています。富来先生は『魏志倭人伝』の方向はその記述の通りに解釈しなければいけないと諸学者の�東�説を叱りながら、ご自分では宗像付近を奴国の東と思っていらっしゃいます。だが、奴国から不弥国の方向は、正確には東よりもむしろ北に近いんです。北東ですね」 「しかし、そこまでは魏使の方向感覚は細かいニュアンスを持っていなかったでしょう」 「いいえ、そんなことはありません」  と、吏員は強く否定した。 「末盧国から伊都国まで東南《ヽヽ》五百里、伊都国から奴国まで東南《ヽヽ》百里と、正確に他の東、南の単一方向と区別しているではありませんか。東南と書いている細かい神経があったわけですよ。富来先生は『魏志』の記述は大体において方向軸約六、七十度ほど全体にズレている、と云われています。それなら富来先生は宗像の位置を北東に求めなければならないのですが、ここはあっさりと東に規定されています」 「なるほど」 「それから、富来先生ばかりを批判するようで申し訳ないのですが、不弥国をウミ、つまり�海の国�だろうと云われています。これは宗像神社の各祭神が地島、大島、沖島に分祀《ぶんし》され、殊に最近の沖の島発掘の考古学成果をも頭に置いておられるようです。胸形族が古代に強大な勢力圏をつくっていたことは想像されるから、ここに目をつけられたのは富来先生の慧眼《けいがん》ですが、不弥国を�海の国�などと云うのはどうでしょうか。それなら、海岸沿いの末盧、伊都、奴も全部�海の国�にしなければならないわけです。つまり、他は正確に土地の名前がついているのに、不弥国だけ�海の国�などという抽象名詞では地名として成立しないわけです」 「なるほど、そうかもしれませんね」  この吏員は素人学者ながら、その方面の本は相当読んでいると思った。  ところで、話を聞けば聞くほど不弥国を基点にするという説は面白くなってくる。  では、一体、このアマチュア耶馬台学者は、不弥国を現在のどこの地点に求めるというのであろうか。 「それにですな、魏使は、はるばると魏の都を発って渤海湾《ぼつかいわん》を渡り、京城に行き、水路朝鮮沿岸を南下して対馬、壱岐、末盧と来たのです。方向に対しては十分な知識を持っていたと云わねばなりません。それを簡単に途中から東を南に取違えて書いたのだろうというのは、全く『魏志』を冒涜《ぼうとく》したものです。第一、太陽が東から上って西に沈むぐらいは魏使だって知っていますよ。いや、長い航海をし、暦を知っていた古代の中国人だからこそ、特に天の運行に関しては鋭敏な感覚を持っていたはずです。だから東南《ヽヽ》というようなニュアンスまで書けるんですよ。富来先生の宗像地方が『魏志』にいう真東に当るところとは思えませんね」 (図省略) 「すると、�誤写�の点はどうですか?」 「これも全く理屈の外ですね。なぜなら、それまでずっと南という字がずいぶん連続して出て来ているんです。東という字が出てくるのは、末盧から伊都、伊都から奴の間だけです。それも東南というふうに南に接着した二回だけです。それを今度は急に東だけに書き誤ったというのは誤写する人の心理の上からいっても考えられないのです。南という字が絶対多くつづいてきたのに、なぜ、急にここで東と誤写するのでしょうか。誤写の仮説は全然成立しませんね」 「そうですな」  と、私もそれは賛成だった。 「やはり大和畿内説に持ってゆく学者の歪曲ですか?」 「そうです。強引な歪《ゆが》め方です」 「では、いよいよ、あなたの説を詳しく伺う段ですね」  と、私は云った。浜中浩三は一応諸学説に批判を加え、否定すべきものは否定し去ったのだから、今度は彼自身の意見を聞く番だった。 「分りました。では、お話ししましょう」  と、浜中浩三も少し意気込んだ顔つきになった。彼は手に持っている手帳をひろげた。 「わたしは魏使が日本に上陸した地点は、現在の佐賀県東松浦郡のあたり、末盧はマツロですから従来の説に異論はありません。ただ、諸学者が現在の唐津《からつ》に推定しているのは少し不審です。これはやはり少し西北寄りの呼子《よぶこ》町が適当でしょう。現に太閤秀吉が朝鮮征伐のときには、この付近の名護屋《なごや》に居ましたからね。『倭人伝』の記事を読むと、ここを起点に東南に進むというから、地形的にも奴国に行くのに東南に進めるわけです。このことは榎先生も同じ意見を述べておられます」 「すると、あなたは伊都国を現在の糸島郡に求められるわけですか?」 「いいえ、全然違います」 「ほう」 「それはですね、わたしは『倭人伝』の記事を極めて素直に読んでみたいからですよ。末盧が今の呼子だとすると、伊都国まで五百里としてある。これは日本の里数に換算して約五十五、六里くらいとしますと、糸島郡の深江あたりではあまりに里数が多すぎる。学者によると、誇張だと書いてありますが、それならば、伊都国から奴国の百里は、末盧から伊都国までの五百里の五分の一です。現在の地図を見てみると、呼子と深江、博多は、ほぼ同等距離にあります。魏使が歩いて多少の思い違いがあったにしても、五対一の比率距離ではあまりにひどすぎる。いくらなんでもそんなに両区間が違うはずはありません。ですから、伊都国は、諸説の云うような糸島郡ではないのです。糸島郡としたのは怡土《いと》の古名にあまり囚《とら》われすぎているからです」 「では、どこですか?」 「ざっと略図を書いてみましょう」  と、彼は手帳に北九州の地形をスケッチしてみせた。 「呼子から、五、六十里、しかも『魏志』に伝える東南の方向を忠実に求めて行きますと、恰度、このあたりとなるんですよ」 「えっ、福岡県朝倉村ですね?」  私はのぞき込んで叫んだ。 「そうです。朝倉といっても、恰度、このように筑後川の中流が流れていて、その北岸に当る志波《しわ》部落付近です。これだと呼子からまさに東南に当り、魏の里数五百里に妥当だと思います」 「こんな所にそれを証明する何かがあるのですか?」 「それはですな、和名抄《わみようしよう》にある恵蘇《えそ》ノ宿《しゆく》です。わたしはこここそ伊都国だと思うんですよ。ほら、エソとイトとはどこか発音が似ているでしょう。魏使は倭人の発音をこんなふうに訛《なま》って記録したのだと思います。九州あたりでエソなんて地名は随分変っているじゃありませんか。……あなたはそれだけでは物足りないという顔をしていますね。よろしい。では、傍証として出しましょう。ここは斉明天皇が新羅《しらぎ》征伐のときの九州大本営だった地です。ご承知のように、斉明天皇は皇太子である中大兄皇子《なかのおおえのおうじ》と共にここまで来ていたのですが、病を得て崩じた。そこで、皇子が践祚《せんそ》し、天智天皇になったのですが、その服喪した所が木の丸という仮屋です。上代は喪に服するときは別に仮屋を建てて、そこに籠る風習があったわけです」 「そうですな」 「この木の丸は、今でも木の丸神社という宮が残っています。木の丸についてちょっと講釈をしましょう」  これをいちいち会話体で書くと長くなるので、彼の話を普通の文章に写して紹介してみる。  木の丸は、『新古今集』に天智天皇と題して「朝倉や木《き》の丸殿《まろどの》に我居《わがお》れば名告《なのり》をしつゝ行くは誰子《たがこ》ぞ」と見えている。殿は館《やかた》の意。上代では皮つきのまま柱を組んで仮屋を造る習慣があったから、ここを黒木の殿とも云っている(京都洛北の野々宮にある黒木の御所が参考になる)。なお、この地にあった斉明天皇の行在所《あんざいしよ》は橘の広庭とも称していた(田道間守《たじまもり》が垂仁天皇に献じた|非時 香 菓《ときじくのかくのこのみ》は、この橘であった)。そんなわけで、この地の古名「恵蘇」が「怡土」としても十分に考えられると、浜中はいうわけだ。  さらに、当時の博多湾は現在よりずっと南に入り込んでいたから、新羅作戦の本拠地をこのような所に置いたのだ。今の地形は那珂川《なかがわ》の流砂が博多湾を埋めたのである。  現在からすると、ずいぶん辺鄙《へんぴ》な所に大本営があると思われるが、原形を考えると少しも不自然ではない。してみると、ここを伊都国に推定すれば、交通の要衝であり、『魏志』にいう「国郡使の往来して常に駐《とどま》る所」にふさわしい土地であろう。  では、伊都国を現在の福岡県朝倉村志波(恵蘇)とすると、奴国はどこか。これは末盧から伊都国の五百里に対して百里だから、東南に延ばすと、大体、現在の大分県森町付近だ、と浜中浩三は推定したのである。豊後《ぶんご》森も山間地だが、ちょっとした盆地でもある。だから『魏志』にいうところの戸数はあったに違いないし、傍らに川も流れ、上代人の好みそうな地形である。 『魏志倭人伝』の方向、里数をその通りに読むと、以上のようなことになる。  すると、奴国から「東」に当る不弥国はどこか。浜中によれば、ここまで里数が書かれているので、魏使が実際に歩いて来たのだろうというのである。 「不弥国はここですよ」  と、彼は私に眼下に展《ひら》けている安心院《あじみ》盆地を示した。 「えっ、ここが不弥国ですか?」 「そうです。あなたは現在のアジミをアヅミの転訛と思いませんか?」 「うむむ」私は唸《うな》った。 「安心院は阿曇《あづみ》です。阿曇はご承知のように海神系です。つまり、朝鮮系の民族の居た所です。宗像族もそうです。この宇佐族も海神系ですから、魏使は海神系の勢力圏内をずっと歩いて来たことになりますね。……ですから、アヅミがつづまって『魏志』にいう不弥になったと思います。不弥の訓《よ》み方だって必ずしもフミとは限りません。不をどう訓むかが一つの問題でしょう」      4  四国の郷土史家浜中浩三が、不弥国の不をどう訓むかが一つの問題だろうと云ったので、私は、 「ほう、ほかに訓み方があるんですか?」  と訊いた。  長いこと話していたので、いつの間にか樹の影が私の背中の上に匍《は》っていた。私は寒くなったので身体をずらせた。 「それはですな」  と、浜中も太陽の移動につれて自分の身体を日向《ひなた》に移した。 「不は魏使の当て字で、倭人の云ったのを音で当てはめたのだと思います。すると、フはハ行のどれにも当ります。このうち、仮名のホは、漢字の火を意味しているという説もあります。ほら、彦火火出見尊《ひこほほでみのみこと》の例があるでしょう。だから、ここをホミと考えられますが、火はたいてい火山系の所に使われています。九州では阿蘇がそれに当るでしょう。また当時はこの別府の近くの由布岳《ゆふだけ》が考えられますね。ユフのフはホかもしれませんね。ですが、この付近からは由布岳は見えませんし、噴煙が上ったとしても、山に遮られて分らなかったと思います。やはりここの不はハでしょうね。倭人がアヅミと云ったのも魏使の耳にはハヅミと聞え、不の字を当てたのでしょう」 「なるほど、面白いが、中のヅはどうなりますか? まさかつづまったわけではないでしょう」 「それはぼくも考えました。しかし、このヅは、あるいは原典にはあったのかもしれません。それを写すときにうっかりヅの漢字を脱かしたのだと思います」 「つまり、脱字ですな」  と云ったが、私は、この郷土史家も都合の悪いときには誤字脱字で逃げるわいと思った。しかし、どちらでもいいことなので、私はあまり反論しなかった。たしかに、この郷土史家の云うことは新説だからである。 「この安心院《あじむ》が阿曇《あづみ》の訛であること、そして、阿曇そのものを地名に使っていたことは海人族の本拠だということがいえます。つまり、ここは大陸系の人たちが住んで居たのです。『魏志倭人伝』では勢力のある所ばかりを魏の使いが行っているように書いていますが、もう一つ彼らは同国人の集団を訪ねたということも考えておかなければなりません。おそらく、阿曇にはすでに渡来した大陸系の二世か三世が居たかも分りません。しかし、血は同じです。わたしは魏使が異郷に居を持っている同胞の裔《すえ》を訪ねたとしてもちっともふしぎではないと思います。学者の説は、あまりにも政治的にのみ囚《とら》われすぎていると思います」 「なるほど、それも面白いですな」  とにかく、この郷土史家の云うことは意表をついている。 「ではいよいよ最後の耶馬台国がどこにあるかを伺わねばなりませんな」  と、私は云った。それこそ双六《すごろく》でいえば最後の「上り」であるからだ。 「そうですね、結論から云うと、わたしは耶馬台国は九州説ですよ」 「はあ、やっぱり九州ですか」  もっとほかの場所が出るかと思ったが、これだけは結局通説の一つと同じだったので、少々がっかりした。 「まあまあ、順序から申しましょう」  と、郷土史家は私の質問を見て取ったように云った。 「不弥国から南に水行二十日とありますね。これは魏使が実際に行ったのではなく、倭人から聞いた話を書いたということは前にお話しした通りです。なにしろ、当時の倭人は里程の知識も観念もありません。ある場所に行くには何日かかるという云い方しかできなかったわけです。わたしは、この水行二十日という文字に全く陸行の文字がないのに目をつけたのです。そのあとの投馬国から耶馬台国までは水行十日、陸行一月とはっきり陸行の部分が出ている。ですが、不弥、投馬国間は水行だけです。これをもって学者はすぐに海を想像していますが、わたしは川だってあり得ると思うんですよ」 「ははあ」 「今の地図の観念から想像するので間違うのです。あなたは魏の使いがずいぶん辺鄙な山奥を歩いていると思いませんか。いや、これはわたしの説ですがね。ほかの学者はみんな海岸沿いです。わたしのは日田《ひた》の近くの恵蘇に行ったり、豊後森に来たりしています。そして、豊後森から、このアヅミに山越えとなっております。しかし、これは簡単に説明できますよ。日田地方や豊後森付近は山中で、塩の入手ができなかったのです。それで、海岸沿いの住民と塩の貿易をやっていたと思います」 「なるほど」 「その貿易路が山の中につけられていたと思いますね」 「しかし、その道はいま遺《のこ》っていませんね?」 「遺る道理はありません」と、郷土史家は私をあわれむようにみた。「それは人が険阻《けんそ》な山を草を分けて通っていたときの話です。のちに大和に中央政権が出来、海岸沿いの政治道路が完成すると、必要はなくなったわけです。塩は、そういう政治道路からいくらでも奥地に供給されるようになりましたからね。馬や牛による荷運びが発達し、そのためには迂回《うかい》しても川沿いの路がとられたわけです。もう人が難渋して歩く最短距離は必要がなくなったわけです」 「次を伺いましょう」 「魏使は安心院から投馬国に行くとき、海岸に出る最も楽な交通方法を舟によったのだと思います」 「舟?」 「ほら、安心院の盆地を東に下ると川が流れていますね。駅館川と書いてヤッカンガワと読ませています。この川こそ古事記に出てくる菟狭川《うさがわ》です。これを利用して海岸に出たと思います。ほら、古事記や日本書紀にも見えているでしょう。神武天皇が東征のときこの川に|足一 騰 宮《あしひとつあがりのみや》を造られたという話がね」 「はあ」 「神武天皇の伝説がその川に遺っているということは、それだけ古代の重要な舟便交通路だったわけです」 「そういうところから水行だけの話が出るわけですね?」 「そうです。あなたは呑み込みが早い」  と、郷土史家ははじめて私を賞めた。 「当時、この菟狭川の水深は現在よりもっと深く、川幅もひろかったのです」  と、郷土史家はつづける。 「今では上流の土砂が河床を浅くしていますが、昔は相当深かったわけです。しかし、現在よりはもっと険阻だったでしょう。ですから、舟で下るにしても、当時の幼稚な航法では大変に難儀したと思います。わたしは、この上流から下流に出るまで、もしかすると、途中二泊ぐらいはしたんじゃないかと思いますね。なぜなら、神武天皇の伝説には足一騰宮に宿泊したとあります」 「ははあ」 「その上、雨が降れば上流の水嵩《みずかさ》が増し、下るに危険なときもあったでしょう。そうなれば、一つ所に三日も四日も泊らなければならない。また内海に出ても、それに沿って南に下るときにはやはり時化《しけ》があったり、海が荒れたりしたでしょう。水行二十日の中には、そういう計算も入っていたんです」 「お言葉ですが、それは自然現象ですから、必ずしも毎回起るとは限らないでしょう?」 「いやいや、あなたはそう云いますが、遠い所に行きつくまでには、そういう不時の宿泊が多いということを魏人は常識的に知っていたのですよ。どうも、今の人は現在の舟の構造ばかりを頭に入れているから困りますね。当時は非常に幼稚な舟ですから、転覆の危険率が多い。文字通り板子一枚……いや、そのころは南洋の土人が使うような刳舟《くりぶね》だったでしょうから、安定感もなく、波の動揺にも弱かったわけです。板子一枚ではなく、刳木《くりき》一枚下が地獄ですから、とても慎重なんですよ。航海に日にちがかかるはずです」 「なるほど。して、その投馬国というのはどこですか?」 「別府の南側に当る臼杵《うすき》です」 「え、臼杵?」 「そうです。近くには和名抄にみえる丹生《にふ》というのがありましてね。延喜式に海部郡《あまのこおり》伝馬という名で見えています。これですよ。伝馬はテマと訓《よ》みます。これが投馬国の正体です。つまり、国東《くにさき》半島からいろいろな入江を飛び石伝いに寄道してここに着くわけです。この伝馬《てま》からはすぐ近くに臼杵の有名な石仏群があったり、または宇佐神宮に因縁のある神社があったりするのでも分るでしょう」 「すると、耶馬台国は?」  私は少々面倒になって訊いた。 「やはり宮崎県と鹿児島県の間でしょう」  と彼は答えた。 「とすると、やはり霧島あたりになりますか?」  私がいうと、 「いや、霧島とは限りません。もっと阿蘇寄りでしょうね。まあ、『倭人伝』の記事も漠然としたものだし、耶馬台国も相当大きな権力を持っていたから、今でいう一部地方に限定するのは誤りです。もっと大きな版図と考えていいでしょう。あるいは阿蘇もその一部だったかもしれません。ですから、水行十日と陸行一カ月かかるわけです。考えてごらんなさい。今の佐土原あたりに上陸するとして、山越えにそういう場所に行くには重畳たる険阻に阻《はば》まれ、一カ月近くはかかるんじゃないでしょうか」  と、浜中はようやく結論を出した。陽がいつしか西に傾きかけた。 「いや、おかげで面白うございました」  と、私はやっと掛けている場所から腰を上げた。 「どうです」浜中浩三は少々得意げに云った。「あなたは、この不弥国の遺跡を見ようとは思いませんか?」 「えっ、遺跡ですって?」 「これはわたしだけが知ってることです。まだ誰にも話していません」 「………」 「実は、わざわざ松山の近くからここにやって来たのも、そういう遺跡の調査のためです。わたしはあなたがこの宇佐神宮に特に興味を持たれているから、つい、秘密を打ち明けずにはいられなくなったのです」 「一体どこですか、それは?」 「なに、ここから二キロばかり元に戻って下さい。……そうそう、あなたは今夜はどこにお泊りですか?」 「まだどことも決めていません」 「それなら四日市近くまで戻ることですな。この安心院よりもいい宿があります。わたしが行くのもその途中ですから」  私たちは揃って起ち上り、宇佐神宮の神体である石をもう一度眺めて、急な坂道を下った。  しかし、私は無駄話を聞いたとは思わなかった。とにかく、このふしぎな郷土史家の話は、たとえ独断があったにしろ、諸学者の云わなかったことを云っている。人はこれをこじつけだと云うかもしれない。だが、新井白石を初め代々の歴史家の耶馬台説のほとんどがこじつけではなかったか。彼らよりも、この郷土史家が末盧国、伊都国、奴国、不弥国の距離を原典通りに推定したところなどは面白いし、方向もちゃんと『倭人伝』通りに合せている。  しかも、それぞれの土地にはそれらしき由緒《ゆいしよ》がある。伊都国を恵蘇として斉明天皇の行在所《あんざいしよ》に証明を置いたところなど、これまで誰も云わなかったことだ。そして、この安心院もそうである。私のように宇佐神宮の神秘性を解こうとする者には、安心院が阿曇であるという説は大いに参考になったくらいだ。  私たちは盆地の広い平野を歩いた。陽はかなり西に落ちている。二人の影は長かった。  安心院の町の中心はいろいろな店があるが、旅館らしい看板は眼につかなかった。やはり浜中の云うことを聞いてよかったと思った。そこを突き切ると、うねうねした山を登るのだが、私たちは坂の下でバスを待った。あまり来たこともない土地に田舎のバスを待ち合せるというのは、なんとなく哀愁のあるものだ。  二十分ぐらい経って私たちはバスに乗った。 「いや、こうしてみると、この土地もなかなか由緒があって勿体ないくらいですな」  浜中は私の横に坐ってそう云った。窓の外を見ると、トラックやスクーターが坂道を走っている。傍らの農家の軒には柿が干され、自転車の男がその前で主婦と立話をしていた。要するに現代のどこにも見かけられる雑然とした光景だった。ここに居る人たち自身が、この土地の古代史的な貴重さを知らない。そういう忿懣《ふんまん》が、浜中浩三の口吻《くちぶり》にはあるようだった。  やがて、そのいわれのある安心院盆地が山に遮られて見えなくなると、バスは峠を越し、ふたたび九十九折《つづらおり》の坂を下った。今度は眼の下に四日市の町がひろがってきていた。 「あ、ここで降りましょう」  浜中浩三はバスの車掌に云うと、私を促して道端に降りた。  そこは坂の途中なので家も何もない。ただ、下のほうに四日市の町や、その近傍の村落が展望の中にあった。汽車が白い煙を吐いて小さく走っていた。 「あの川ですよ」と、浜中浩三は、その線路の脇に指をあげて云った。 「あれが駅館川、つまり菟狭川です。魏使は、あの川を海岸のほうにずっと下ったわけです」  彼はいかにも自信ありげに決定的な言葉で云った。まるで疑いない事実を述べているかのようだった。しかし、私の眼には白い筋が細く見えているだけであった。 「さあ、いよいよ洞窟《どうくつ》に案内しましょう」  浜中浩三はいそいそとして私を促した。バスの通っている道から小さな径《みち》が坂下についている。彼は枯れている藪《やぶ》の中に入った。 「少し急ですが、我慢して下さい」  と、彼は先頭に立ってあとに従う私に云った。径は枯れた草や竹笹の間について山の斜面を匍《は》っている。大ぶん歩かされるかと思うと、案外早く浜中が立停った。途中でちょっと平らな草地があった。その台地を五、六間ぐらい行くと、彼は歩くのを止め、 「ここですよ」  と、斜面に向って指で示した。それはやはり藪がいっぱいに蔽い茂っているのだが、その蔭に固い岩石層の崖がある。見ると、人間の首までくらいの高さで洞窟が口を開いていた。横は三間ぐらいあろう。 「なるほど」  私は妙に感心したように暗い穴の中をのぞいた。が、陽がすっかり山蔭に沈んでさなきだに暗い中は、さっぱり黒くて何も見えなかった。  浜中浩三はごそごそとポケットから懐中電灯を取出し、背中を曲げ、片手を突き出して灯をともした。 「奥はどのくらいでしょう?」  と、彼は万遍なく灯《あかり》を動かして照明の位置をぐるぐる変えた。茶褐色《ちやかつしよく》の土と露出した岩とが洞窟の天井と両壁を構成していた。奥に行くほど上が高く広くなっている。横穴と思えば間違いなかった。  彼は懐中電灯の灯を真直ぐに正面へ向けたが、その乏しい照明でもそれほど深いとは思えなかった。ぼんやりと行止りの壁が映る。 「目測して、大体七メートルぐらいでしょう。横は四、五メートルぐらいですから正方形よりちょっと長いところでしょうな」 「この洞窟はどういう意味ですか?」 「これですか……あなたは大分県史蹟名勝天然記念物報告書を読んだことがありますか?」 「いや、まだです」 「それにも載っていますよ。ここは豊前四日市洞窟史蹟という名がついていますがね。この下から、打製石器や磨製石器がごろごろ出てきたのです。縄文《じようもん》土器の破片も数個発見されています」 「やっぱり居住址《きよじゆうし》ですか?」 「そうだと思います。あまり沢山は居なかったようですがね。もっとも、横穴の形式だから、墳墓の址《あと》だろうという説もありますが、それにしては羨道《せんどう》の形式がありません。やっぱり人の住んだ所でしょうね」 「ここが『魏志倭人伝』とどういう関係があるのですか?」 「わたしは、安心院の地形と、菟狭川の上流に位した現在の四日市の地形からみて、この峠の要害を擁する見張所みたいな址だと思います」  浜中浩三は、やはり自信ありげに推定した。      5  私は三日後に帰京した。  先輩を訪ねると、 「ほう、九州に行ったのですね」  と、彼は私の土産物の「宇佐飴」を見て云った。 「何か収穫がありましたか」 「いや、大したものはありませんでした。こちらの期待が大きかったせいか、少々がっかりです」 「どこかで古文書など見せてもらいましたか」 「宇佐神宮関係のものはほとんど活字になっているので、あそこに行っても目ぼしいものは残ってないと思い、近郷の旧家を訪ねてみたのですが、これもほとんど収穫になりませんでした」 「宇佐からどこかに行きましたね?」 「あれから西国東《にしくにさき》郡の田染《たしぶ》村に行って、富貴寺《ふきでら》なんかを見て来ました。堂内の壁面がほとんど剥落《はくらく》して、何も分らなくなっています」 「あそこは明治の頃までは子供の遊び場だったというから、ずいぶん荒廃に任せたものです。戦前だが、堂本印象《どうもといんしよう》さんがその壁面を模写しているが、その時分はまだ多少とも絵が残っていたのでしょうな」  そんな話から、宇佐神宮の正体の鍵ともいっていい奈良朝時代の宇佐神宮勢力のことや、その範囲が現在の豊後一帯に及んで、富貴寺の阿弥陀堂、豊後の磨崖仏といった、文化遺物に及ぼした影響の捉え方などに話題が咲いた。 「そうそう、ところで、宇佐神宮の奥宮に当る安心院《あじみ》の妻垣神社に行ったんですがね、そこで面白い人物に遇いましたよ」  私は手短かに四国の松山在の住人、郷土史家浜中浩三の話をした。 「世の中にはまだ、そんな物好きな人がいるんですね。独りでこつこつと現地を歩いて自説を固めているようです」 「なるほどね」  先輩は浜中説を私から聞くと、面白そうな顔色になった。 「まあ、あの論争はほかに実証的なものがないので、アマチュアでも十分参加できるわけです。しかし、歓迎すべきことですよ。学問が一部の学者の独占物になっていては本当の姿ではない。やはり一般民衆が参加することが望ましい。それには学問の表現手段が自分たち仲間同士にだけ通じる用語であってはならないね。難解な専門語や文章が、高級な学者の発言だという迷妄《めいもう》は、もうそろそろ打破しなくてはなりませんな」 「全くその通りです。少しやさしい文章で書くと、やれ啓蒙書的《けいもうしよてき》だとか、通俗的だとか叩かれますからね。論文は平易な文章で書くべきだと思いますよ」 「そういう意味で、郷土史家が中央の大きな論争に参加するのはいいことです。それに、いま君から話を聞くと、その人が、『魏志倭人伝』の方向、距離を原文の通り素直に読むべきだというのは、たしかに現在の論争に頂門の一針かもしれない。大和説にしても、九州説にしても、あまりに勝手な解釈が行われすぎて、だんだん原文を歪めてゆくようですからな」 「ぼくも聞いていて面白かったんですが、その郷土史家の説をどう考えられますか?」 「面白いんじゃないかね。伊都国を福岡県朝倉郡朝倉村に求めたなどはユニークだな。恵蘇が伊都に当るかどうかは別として、伊都国を斉明朝の朝鮮出征の大本営の在った所に考えたのは、一つの説としてうなずかせるものがあるよ。しかも、それを末盧国からの距離比例から出しているのは面白い」 「安心院の阿曇、すなわち宇佐圈の本拠というのはどうですか?」 「それも面白いんじゃないかね。宇佐の阿曇と、宗像の阿曇族と、ここは照応するわけです」 「しかし、そのあとはちょっとがっかりです。彼の伝でゆくと、さぞかし耶馬台国は奇想天外な所に求めるかと思ったら、九州説で、しかも、宮崎、鹿児島、熊本県境だというのでは落胆ですね」 「それまでの道程の解釈が通説と変っているから、君の期待があったわけですな。『倭人伝』の原文のままに南へ南へと求めれば、やっぱり九州の中に耶馬台国があることになりますからね。しかし、日数計算の部分だけを魏使の聞書きという推定は、中央の学界では、誰も云い出してないから独創的です。論理性がありますよ」 「おかげで今度の旅行は、その人に遇ったのがいちばん面白かったです」 「君はすぐそこでその人と別れたの?」 「帰りがけに変な洞窟など見せられましてね。そこが異人族が入ってくるときの見張所だと云ってました。こんなところは、やっぱり通俗的な類推しかできないわけですな。ぼくらは別々に宿をとったのですが、翌る朝、先方の泊った宿に訊いてみると、独りで朝早くどこかに出かけたそうです」  実際、その通りであった。四日市の旅館で朝飯を食べているとき、ふいと浜中のことが思い出され、彼の泊った宿の女中に訊いてみると、もうお立ちになりました、という返事だった。私は朝霧の籠る山峡を窓に見ながら、その白い靄《もや》の中を歩いてゆく浜中浩三の黒い姿を想像したものである。  私は浜中に自分の名刺を渡している。私も彼から名刺を貰っている。帰京してからの一カ月ぐらいは、今に四国から彼の手紙でも来るかと思った。あの場の様子では、私という相手をつかまえてなかなか話に脂《あぶら》が乗ったようだった。田舎に帰れば、必ずその経過を報告しそうなものだと思ったが、彼からは一通の葉書もこなかった。私は彼の名刺を見て、その住所宛に葉書でも出したいと思ったが、それもずるずると延ばしているうちに忘れてしまった。  延ばした理由の一つは、彼の手紙がこないのは、まだ彼が旅先をさまよっているとも想像されたからである。  それから一カ月ぐらい経った。学枚に出て、講義を終って戻りかけると、廊下でこの前の先輩にぱったりと出遇った。この人はほかの大学では教授だが、この学校にも一週間に一度講師として来ている。 「君にちょっと見せたいものがありますよ」  先輩はにこにこ笑っていた。 「何ですか?」 「なに、地方新聞だがね、君に読んでもらおうと思ってここに持って来ました」  彼はポケットからたたんだ新聞紙を取出した。福岡県のものである。 「ときどき、ぼくはこういう地方紙から頼まれて随筆など書いていますがね。もっとも、この新聞社から直接ではない。なんというのかね、代理業みたいなものがあって、そこから一まとめにして各地方新聞社に配給するわけです。その随筆がこの新聞に載ったので、二、三日前に送りつけて来ました」 「どんな随筆をお書きになりましたか?」 「いや、ぼくの随筆を読んでもらおうとは思わない。くだらない文章だしね。そんなものよりも、それに載っている広告を読んでほしいのです」 「広告ですって?」 「まあ、ここを見て下さい」  先輩は、その新聞のいちばん裏を見せた。その下には小さい活字でぎっしり詰った案内欄がある。例の求人求職というやつだ。だが、先輩が指で押えて見せたのは、そういう職業的な欄ではなく、雑件という中の「耶馬台国」という活字で、人の眼を惹《ひ》くように「耶馬」の字だけ大きく出ている。全文は次の通りだ。  「耶馬台国考について郷土史家の意見を寄せられたし。中央学者の説によらない独創的なものを希望する。優秀な論文については東京の有名書店より論文集出版の用意あり。愛媛県温泉郡吉野村浜中浩三宛」  私は呻《うな》った。  あの中年男の役場吏員も病|膏肓《こうこう》に入ったとみえる。自分の研究だけでは我慢できないとみえ、今度は全国の郷土史家から耶馬台国考の意見を徴集しようというのである。おそらく、新聞広告は、この福岡県の地方紙だけではなく、各県一紙ずつに同文の広告を出しているに違いなかった。中央紙は広告料が高い。地方紙は、その点格段に安いが、それでも、各紙に出すとなると大変な出費になるだろう。おそらく、浜中は目ぼしい地方紙にだけ重点的に広告しているに違いなかった。 「広告を出した人が四国だと書いてあるので、早速、この間の君の話を思い出しましたよ」  と、先輩も面白がっている。 「地方の研究家を集めて中央の学界に挑戦するつもりらしいですね?」 「まさかと思いますが」 「いや、冗談です。しかし、君、その意気は尊重すべきですよ。学問は、もっと民衆の間に開放されなければならない。とかく学者は排他的ですからね」  この排他的というのは、学者が象牙の塔に立籠《たてこも》ってアマチュアの研究を全然軽蔑していること、学閥間の排他主義を指しているらしい。  浜中浩三もなかなか熱心なものだ、と私は思った。各地で耶馬台国研究の同志を募ったわけだから、あとは、その出版によって研究成果を知るわけである。  ひとくちに出版といっても、安い金ではできない。多分、浜中は村役場の吏員ではあるが、土地の旧家で、かなりな資産を持っているのではあるまいか。彼がぶらぶらと四国から九州に渡って歩き回っているところも、あまり給料をアテにしない人間のように思われた。それにしても、私とあの場所で出遇ったのだから、彼が郷里に帰っていれば、葉書の一本でも寄越せばいいと思うのだが、どういうわけかなんの便りもなかった。あまり名前の知れない大学講師の私など彼の眼中にないのかもしれぬ。それとも彼のあのときの語り口からして中央の学界を白眼視しているともとれる。  こうして日が経つうち、私の記憶からも浜中浩三が次第に忘れられていった。  半年ばかり経った頃である。私は、兵庫県の或る町の消印のある、未知の人からの分厚い手紙を受取った。枯れた筆蹟は次のように綴られていた。 「前略。早速ですが、先生は四国の松山近くに居る郷土史家浜中浩三氏をご存じでいらっしゃいますでしょうか。こうお訊《たず》ねするのは、今から五カ月ぐらい前、その浜中氏が突然私の家に見えて先生の名刺を私に見せ、先生とは知り合いだと云っていたからであります。私はそれまで浜中氏を全然知っていませんでした。彼の名前を初めて知ったのは、この土地の地方新聞に、耶馬台国考について研究されている人は同好の士として自分のほうに連絡してくれ、という広告文を読んだからです。申し遅れましたが、私は永いこと中学校の教員をして、先年、校長を三年間勤めたのを最後に現在退職している者であります。私の専門は国文ですが、もう十年ぐらい前から耶馬台国のことに興味をもってきております。いま学界で論争されている点も、諸先生がたの著書で詳しく拝見しております。それらを読むにつれ、ますます私の興味が増し、今度は自分なりの考えで、耶馬台国はどこに在ったのか、魏使がどういう経路でそこに行ったのかの研究をしはじめました。  私にも私なりの推定がありますが、それは余談になりますから省きます。とにかく、そんなわけで、浜中氏の新聞広告を読んで、早速、氏に手紙を出したものです。すると氏からは、その論文をぜひ送ってほしい、できればほかの方のものと一緒にまとめて出版したい。あの広告は相当な反響を呼び、全国に同好の士が居ることが分ってたいへん心強い思いをしているといった意味の返事を貰いました」  ここまで読んで私は、この手紙の目的が予想つかなくなった。そこで、次に急いで眼を走らせた。 「ところが、その返事が来てから三週間ぐらい経って、当の浜中氏が突然私の家に見えました。氏は私の想像よりずっと若く、古いスーツケースを一つ抱えていました。私は喜んで氏を座敷に招じ、好きな耶馬台国研究の話に耽《ふけ》りました。さすがに浜中氏はよく研究していましたし、氏の推定には敬服する点も多くありました。もっとも、私の推定とはかなり違うところもあるので、私も思わずこよなき同学の士を迎えたつもりで討論をいたしました。  さて、そのあとで、私が当夜の氏の旅館の予定を訊くと、まだどことも決めていないという返事です。しかし、何かもじもじしているような様子なので、今夜は私の家に泊ってくれと申し出ますと、氏はよろこんでお世話になります、と云いました。その晩は酒など出して語り合いました。  浜中氏は、その晩泊り、翌る朝出発したのですが、その前に、あなたの考え方は大変に面白い、ぜひそれを原稿にしてくれ、ほかにも続々と全国各地から耶馬台国の論文が来ているが、あなたの原稿は巻頭か、その次ぐらいに入れたい、などと申しました。  私はなにも巻頭などに優遇してもらわなくともよいのですが、自分の考えが活字になり、それが全国の同好の士の眼にふれることを喜びました。また変な話ですが、その本が中央の学者諸先生の眼に止まるようなことがあれば、いささかでもお役に立つ点もあるのではなかろうか、あるいは批判して下さるのではなかろうか、そんな虫のいいことも考えたのです。  すると浜中氏は、出版というものは大変に金がかかる、しかし、この事業はぜひ完成させたい、ついては出版費用の一部を負担してもらえないだろうか、と云うのです。昨夜の浜中氏の話によると、氏は、その持論に従って九州の佐賀県から鹿児島県まで実際に踏査するので、この費用もばかにならないということでした。実際、氏の洋服も靴もスーツケースも相当くたびれておりました。  この人だけに出版の全額を負担させたくないというのは私だけの考えではないでしょう。大変に有意義な仕事だし、私の拙《つたな》い論文を発表するのだから、当然、出版費を負担すべきだと考え、浜中氏の云う通り前渡金として金二万円也を出しました。  浜中氏はすぐに原稿を四国の自宅宛に送ってほしい、なるべく早く出版の運びにしたい、原稿が活字になれば、その校正刷も送るから、十分に手を入れてほしい、などと云って立去りました。  そこで、私は寝食を忘れてと云っていいほど懸命になって、一週間ばかりで原稿を五十枚ほど書き上げました。これを浜中氏のところに送りつけたのですが、どういうわけか、原稿を受取ったとも受取らないとも返事が来ません。私としては懸命に書いた原稿ですから、浜中氏の感想も聞きたいし、第一、たしかに受取ったという報らせも貰いたいのです。それが何の音沙汰もありません。  私は知り合いで岡山県に居る教育者がいますが、この人のところにも浜中氏が現れたのを、その通信で知りました。私と同様、浜中氏は彼の家に一泊し、そこでは金三万円也の出版費用を受取ったそうです。その人が私に手紙をくれたのは、やはり浜中氏が訪れたときに私の名前を出したそうで、自分のほうには原稿を送りつけても返事がないが、君のほうはどうか、という問合せだったのです。ここでも浜中氏は先生の名刺を出して見せたそうです。  さあ、そうなると私も少し心配になってきました。浜中氏の住所に宛て原稿を受取ったかどうかの電報を打ちましたが、やはり梨の礫《つぶて》で何の反応もありません。  私は、それではというので、土地の村役場に問合せの手紙を書きました。すると、これには返事がありまして、浜中氏は現在、行方不明だというのです。その住所というのは、なんでも、その村はずれに建った掘立小屋で、氏はそこで自炊で暮していたそうです。日ごろ何をしているのかよく分らないが、氏は、しばらく居なくなると、またひょっこり舞戻ってくる。本人は学者だといっているが、その掘立小屋に居る間は松山市などに出てバタ屋をしている。仕事の合間には本を読んでいたそうです。手紙がよく来るそうですから、しきりに各地に通信を出していることが分ります。なお、役場では、浜中氏が名刺の肩書に役場吏員と刷り込んでいるらしいが、もちろん、当役場とは関係がないので、念のために断っておく、とありました。  私は、では、あの新聞広告は一体どのような経路で出されたのだろうかと思い、この土地の地方紙に問合わせてみると、それは大阪のある広告取次店から回ったもので、その取次店には浜中氏が料金を郵送して申し込んだことが分りました。多分、あの広告は近畿から中国地方、九州地方一帯に出たのではないでしょうか。  私には浜中浩三氏の正体が分らなくなりました。あの人は実際は詐欺漢でしょうか、それとも今も耶馬台国をたどりながら九州を調査して歩いている篤学《とくがく》の士でしょうか、その調査を済ませてからいよいよ出版の運びにとりかかるつもりなのでしょうか。  浜中氏が先生の名刺を私に見せましたので、あるいは先生にお訊ねするのがいちばん手取り早いと存じ、失礼を顧みず、おたずね申し上げる次第でございます」  私はこれを読み終って、足もとの地が崩れたくらいの衝撃をうけたとは云わないが、石につまずいたほどの気持にはなった。      6  この手紙の文中にある通り、私も浜中浩三の正体が分らなくなった。「あの人は実際は詐欺漢でしょうか、それとも今も耶馬台国をたどりながら九州を調査して歩いている篤学の士でしょうか、その調査を済ませてからいよいよ出版の運びにとりかかるつもりなのでしょうか」という手紙の文句は、そのまま私の疑問でもあった。  私がいちばん不安に思ったのは、自分の名刺を浜中に渡したことである。あれを振りまわして各地の郷土史家を訪ねて行ったら、私のような者の肩書でも地方の人は信用するかもしれない。  意外だったのは、浜中浩三の松山近くの住宅が掘立小屋で、居る間は市内に出てバタ屋をしているということだ。してみると、彼は役場の者でもなんでもなかったわけで、これだけでも、まず、詐欺の臭いがする。  だが、バタ屋にしてもあれほどの「学識」があるのだから、彼は相当の教養を持っていると思わなければならない。世の中にはニコヨン生活をしていても学問を研究する人もあるから、いちがいに浜中浩三を詐欺漢とのみきめつけるわけにはいかない。俗事に疎《うと》い学究の徒が世に落伍しながらも、学問に情熱を燃やしていたとすれば、これは立派なことである。むしろ、象牙の塔という幻影城に立籠り、さしたる勉強もせず、十年一日の如く講壇で同じ内容の講義を繰り返している教授連にくらべると、よほど尊敬すべきことであろう。  私は浜中浩三を善意から見たい。バタ屋では生活するだけがやっとであるが、彼が耶馬台国研究のために九州を歩いていたことは、この私の眼が実証している。彼には旅費も要るであろう、本も買わなければならない。その研究を世にひろめるには出版しなければならない。自費で本を出すには莫大な費用がかかる。  こう考えると、浜中浩三が新聞で同好の士をつのり、彼の論文も収録する代り、いくらかの出版費用を分担させることは、決して悪いことではなさそうである。この手紙の主《ぬし》は、どうやら、浜中があつかましくもタダで飲食、宿泊した上、さらに前渡金をふんだくったと憤慨しているが、その行為には誤解される点があるにしても、もう少し時間が経って見なければ結果は分らぬと思った。  そこで、私は返事を書いて、名刺はたしかに自分が九州の旅先で浜中氏に渡したこと、彼の考えの一端を私も聞いたが、まやかしものではないこと、しばらく彼の様子をみたほうがよいなどと封書にして送った。  しかし、浜中浩三に関する照会状はそれだけではなかった。四、五日すると、岡山県笠岡付近から二通、鳥取県米子市からも一通来た。内容はいずれも前に貰った兵庫県の人のものと同じものである。  私は浜中の行動規模が案外広いのにおどろいた。だが、考えてみると、彼の新聞広告は西日本一帯に出されているのだから、あるいはそれが当然ともいえる。手紙はさらに数を増した。島根県の松江、広島県の三次《みよし》、広島市、山口県の岩国、山口市、宇部、下関とひろがってくる。さらには九州に飛んで小倉、福岡、熊本、長崎と続々舞込んできた。  いずれも浜中浩三が自分のところに一晩泊り、出版契約として一万円から五万円までの間の金を持って行ったというのである。私は、この浜中のコースが兵庫県から岡山県に行き、そこから伯備線に乗って鳥取県に入り、さらに西に反転して島根県へ行き、今度は芸備線で広島に出て、次は山陽本線を西に向っていることが分った。  九州に入っても、彼は目ぼしい都市にほとんど行っている。被害者は、浜中浩三の新聞広告を見て松山在の彼に手紙を出した人たちばかりであった。  私はこれらを見て今さらのようにおどろいた。浜中浩三の詐欺行為もさることながら、世の中にはずいぶん耶馬台国研究者もいるものだと思ったのである。これほど「研究家」が兵庫県以西に散在しているとは想像もしなかった。全国的に訪ねると、これら民間の篤学者はどれくらいの数に上るであろうか。  むろん、私にそんな問合せがくるのは、浜中浩三が私の名刺を各地で見せて歩いていたからである。それが彼の信用に大きな役割を演じたと思えば、私も憂鬱にならざるを得なかった。あの一枚の私の名刺がくたくたになって浜中浩三の手垢《てあか》に汚れていると思えば、さらに暗い気持になった。  手紙の中には序《つい》でに自説を書き添えてあるのもあった。少しでも自分の考えを他人に知ってもらいたいからであろう。しかし、私は耶馬台国の課題が本命ではない。あくまでも宇佐神宮の研究が目的であった。  いずれにしても、各地の郷土史家がこのように耶馬台国に興味を持っているのは、やはり、この問題が文献もなく遺物もないところから、アマチュアにとっては恰好の探究対象になっているからであろう。渺茫《びようぼう》たる霧に閉ざされた古代史の神秘は、誰もが持つ興味に違いない。  私は、そのうち浜中浩三の詐欺行為が警察沙汰になり、私も参考人として呼び出されるのではないかと、少しばかりひやひやしていた。もしかすると、あの風采の上らない中年男とどこかの警察で対面するのではなかろうか。私も警察官によって共犯者視されるのではなかろうか。そんな惧《おそ》れが次第に兆《きざ》してきた。  だが、私はどうしてもあの浜中が悪い人間とは思えなかった。宇佐の山奥に当る安心院の盆地を見渡す所で、二人だけで語った時間を思い出す。異様に輝いている眼と、唾を飛ばし、口を尖らせて語った彼の風貌が鮮やかに蘇《よみがえ》ってくる。また、安心院の町を二人づれでてくてくと歩き、峠の近くの洞窟をのぞいたときの浜中の姿を、また、バスに乗って山峡の町に下り、別々に宿をとるため別れたときの彼の鄭重《ていちよう》な挨拶──どう考えても腹黒い男にはみえなかった。  しかし、私の惧れにも拘らず、警察からはなんの連絡もなかった。ところが最初の兵庫の問合せの手紙が来てから二カ月近く過ぎたころである。私は大分県|臼杵《うすき》地方の人からまた一通の封書を受取った。  私は、このごろ未知の人から手紙がくると不安が先に立つ。浜中浩三のことでは、少々ノイローゼ気味になっていた。さて、その文面というのは珍しく女性からのものである。大事なことだから全文を出してみよう。 「はじめてお手紙を差し上げる失礼をおゆるし下さい。実はたいへん心配なことがありますので、思い切って先生にこれを書く決心になったのでございます。  私の夫は四十七歳になりまして、当地では昔から醤油の醸造元をしております。資産は、まあまあ、この辺では一、二だと世間の人に云われております。主人の名前は村田伍平《むらたごへい》と申し、これは代々当主が受継ぐ名前でございます。主人は家業にも熱心でしたが、一方では郷土史の研究にひどく力を入れておりました。ご承知の通り、この辺は近くに高千穂峡などがあったりして、天孫降臨の伝説や、神武天皇の云い伝えなどがたくさんございますので、主人の郷土史は、大体、古代史に力を入れていたようでございます。  さて、今から二カ月近く前、四国松山の浜中浩三さんとおっしゃる方が主人を訪ねてみえました。浜中さんとは初対面でしたが、主人はその前から文通をはじめていたようであります。と申しますのは、或る日、主人がこの地方から出ている地方紙を見まして、浜中さんの耶馬台国研究の同好者を求めるという広告文に興味を覚えたからでございます。主人は当の浜中さんが見えたので大変に喜び、その晩はお泊めして夜遅くまで話し合っていました。浜中さんは翌る朝、出版基金として二万円の寄付を主人から受けて出られましたが、一週間ばかりしてまたおいでになりました。今度は三、四日も滞在されました。その間、主人はほとんど商売をほうって、奥の間で浜中さんと何やら地図などをひろげて調べていました。  浜中さんが二度目にいらしてから四日目、五月十五日の朝になって、主人は、私に、これから浜中さんと一緒に耶馬台国を調べに行く、自分たちの推定が合っているかどうかを古いシナの本に書かれた通りの里程を歩いてくる、だから当分長い旅行になるだろうなどと申し、旅費として私から五十万円ほど持って行きました。  主人は、当分帰らないとは云ったものの、私の考えではせいぜい二週間か三週間ぐらいだろうと思っていました。ところが、あれから一カ月半近くかかっておりますが、主人は帰宅しないばかりか一度も出先から便りをくれません。主人は、こう申してはなんですが、たいへん堅い人で、今までついぞ浮いた噂もなく、これという道楽もございません。道楽といえば、ただ郷土史の本を蒐《あつ》めたり、近所の史蹟を歩いたりすることだけでございます。  私が浜中さんを信用したのは、一つには先生の名刺を見せてもらったからでございます。東京の大学の偉い先生と知り合いなら、浜中さんを信用していいと思いました。実際、主人は浜中さんと話しているときは夢中で、よく私のところに来ては、やっぱりこの辺の郷土史家では駄目だ、おれは初めて歯ごたえのある話し相手が出来たと、うれしそうに云っていました。いうなれば、主人は浜中さんにすっかり惚れ込んだのでございます。  主人はまたこうも申しました。おれは耶馬台国の見当が大体ついたようだ。おまえなどに話しても分るまいが、と云って紙にざっとした地図を書き、シナの本の地名を当てはめていましたが、それには、耶馬台国の女王、卑弥呼はヒムカ(日向)《ヒメ》であり、つぎの女王の台与はトヨ(豊)ツ《ヒメ》であり、これらはこの臼杵か宇佐地方に勢力圏を持っていた女王国だったと云うのでございます。それに恵蘇《えそ》ノ宿《しゆく》は、のちの筑前、筑後、豊前、豊後のほとんど接点に位していて、前線基地として十分だから、伊都国に当てるのは自然だというのです。面倒臭い地名当ては省きますけれども、要するに、こんなことで大いに浜中さんとは意見が合ったようでございます。  余計なことを書入れましたけれども、主人が一カ月|経《た》っても何の音信もせず、また戻ってもこないとすると、私は浜中さんという人が心配になってきました。主人は五十万円の金を持っております。もし、浜中さんに悪心があれば、主人を途中で威《おど》かして金を奪ったということも想像されぬではありません。いいえ、これは私の思い過し、悪いほうへの邪推とお取りになるかもしれませんが、私自身その反省をしても、主人の身が気づかいなあまりに、つい、そんな暗いほうへ想像が走るのでございます。  つきましては、先生のお知り合いという浜中浩三さんの人物がどのようなものであるか、折返しお手紙を戴けませんでしょうか。その文面を拝見した上で、警察に主人の捜索願を出す考えでおります。ご多忙のところをとんだ煩しいお願いをして申し訳ございませんが、微衷《びちゆう》お汲み取りの上よろしくお願いいたします」  私は、この手紙に接して少からず衝撃を受けた。  今までは、浜中浩三が各地の好事家の家を泊り歩いて金銭を詐取した程度の悪事だと思っていたが、今度は大金を持った九州の旧家の主人を誘い出して、そのまま二人とも行方不明になったというのである。なるほど、手紙の主が夫のことを心配するのは無理もない。五十万円の金が浜中浩三による誘い出しの狙いだったのか、それとも途中で悪心を起して醤油屋の主人を殺して奪ったのか、その辺のところは分らないが、とにかく容易ならぬことである。  以前から、大金を持った男を連れ出し、殺して奪うという犯罪は少なくない。私は自分の名刺がその小道具に使われたと思うと心配でならなかった。もうどのように善意に解釈しても、浜中に疑惑の眼を向けざるをえなかった。  私はすぐに返事を書き、名刺はこういういきさつで浜中に渡したにすぎないこと、また彼の人物にはまるきり私に知識がないこと、したがって浜中浩三が私に関しどのようなことを云ったか分らぬが、それについては全然自分は無関係であることなどを申し添え、鄭重に先方の心配に同情した。自分も少からず心を痛めているから、もしご主人の消息が分ったら、早速に報らせてほしいと書いた。  それに対して先方の妻女からは四、五日のちに返事がきた。事情はお手紙によって初めてはっきり分ったが、その前から大体推察がついていたこと、また未だに主人の行方がわからないので、あなたの返事を貰ったから、思い切って警察に主人の捜索願を出したことなどが書いてあった。  私も気になりながら日を過しているうちに三週間ばかり経って、その醤油屋の妻女から三度目の手紙を貰った。 「……警察で捜していただいたところ、主人と浜中さんとは五月二十五日に福岡県朝倉郡|原鶴《はらづる》温泉に泊ったことが分りました。地図を見ますと、この原鶴温泉というのは大分県|日田《ひだ》市のすぐ近くだと分りました。どういうわけでそんな所に泊ったのか、私にはさっぱり様子が分りません。例の耶馬台国にそんな地名が出てくるのでしょうか。五月二十五日というと、家を出てから十日後になります。それまで主人と浜中さんとはどこをうろついていたのでしょうか。また日田市に泊ったあとはどこに向ったのでしょうか。私には五里霧中でございます。警察の方も、その後の二人の足取りを極力調べる、と申されております。また何か分りましたらお報らせいたします」  私もこの手紙の主に劣らず二人の行動が気がかりだった。だが、原鶴温泉というのを福岡県の地図で捜してみると、文面の通り日田市に近い東の方角である。私の頭には浜中浩三のかつての言葉に、ピンとくるものがあった。その原鶴温泉をもう少し筑後川に沿って西に行くと、朝倉村の恵蘇ノ宿になるからである。つまり、そこが浜中の云う「木の丸殿」の址であり、彼が『魏志倭人伝』の「伊都国」に推定している場所であった。してみると、浜中と醤油屋の主人との出立後十日間の行動は、「末盧国」の佐賀県東松浦郡呼子から出発し、徒歩で伊都国の恵蘇ノ宿に来たことになろう。つまり、『倭人伝』にいう末盧、伊都国間の「五百里」を踏破したわけだ。  もとより、この距離は現在の三百キロぐらいだろうから十日間もその歩行に取られたというのは多過ぎるようだが、これは彼らが途中で史蹟を調べたり、相談したり、また往昔の道路を推定するため時間がかかったとみていい。すると、二人が原鶴温泉に一泊して、翌日日田市を通り「奴国」の森町付近に向ったことはほぼ間違いなさそうである。  次は「奴国」から「不弥国」に当る安心院に向う彼らのコースが推定される。  つまり、伊都国、奴国間の「百里」を、あの二人はとぼとぼと歩いて行ったのであろう。探究心の旺盛な彼らは汽車にも乗らず、バスにも乗らず、あたかも約千七百年前、魏使が歩いたように、自分の足でその距離感を確めたに違いない。  それにしても、未だにあの二人の行方が分らないというのはおかしい。日田から豊後森までは鉄道もあるし、道路も立派だ。しかし、森(奴国)から安心院(不弥国)までの踏破は容易ではなかろう。間には山岳重畳として高原地帯が蟠踞《ばんきよ》しているからである。もちろん、車の通るような道路もない。おそらく、古代はついていたかもしれない、いわゆる塩の路も、千何百年の間に廃道となり、人もその跡の見分けがつかなくなっている。  問題が起るなら、この森から安心院に向う途中であろうと私は推察した。山の中だし、人も通らない。家も無い。この孤絶した地帯こそ或る種の犯罪を起すのに絶好ではないか。  しかし、それから二週間は臼杵から何の通信もこなかった。警察もこなかった。すると、そんな或る日、また醤油屋の妻女から手紙を貰った。今度は速達である。私は悪い予感に駆られて封を切ったが、その不安は当っていた。 「ご心配をかけましたが、主人と浜中さんの死体は、今朝八時ごろ国東半島の尖端《せんたん》の富来《とみく》という海岸に溺死体《できしたい》となって漂着しました。いま警察から連絡があったので、私はこれから急いで現地に参ります。詳しいことは分りませんが、とりあえずお報らせをいたします」  私は、この不幸な報らせを受けて、はじめて自分の推定が間違いなかったことを知った。  浜中浩三と醤油屋の主人は、不弥国(安心院)から水行二十日を実際に試みたのである。この二人は四日市から駅館川《やつかんがわ》に沿って、舟の速度を想定し、途中何日か泊り、ようやく海岸の長洲《ながす》あたりに出た。そこから小さな漁船を買入れたのであろう。醤油屋の主人は五十万円の金を持っていたから、古びた小さな漁船ぐらいは購入できたと思う。彼らは長洲から船出して、次の水行十日、陸行一月の旅路に入ったのだ。  だが、船が国東半島の尖端を曲り、『古事記』にいう速吸瀬戸《はやすいのせと》にさしかかったころ、激しい潮流と荒波とが木の葉のような船を襲って転覆させたのではなかろうか。醤油屋の主人は九州の海岸沿いの土地なので、多少漕ぎ方を知っていたとすると、彼が浜中浩三を乗せて南への耶馬台国行を試みた、とは容易に想像されるのである。  私の眼には、浮世ばなれした古代史の研究家が原始の旅人に還って、悠々と船を漕いでいる姿が泛《うか》ぶのであった。詩人の彼らは、昼は太陽の運行を眺め、夜は北極星をみつめて、決して「南を東に取違える」ようなことはなかったであろう。 [#改ページ]    寝 敷 き      1  森岡源次《もりおかげんじ》はペンキ職人であった。  ペンキ職だが、彼の場合は雇われているのではなく、父親の業を継いでいる。まだ完全に一本立ではないが、一昨年から父親が脳軟化症に罹《かか》って以来、源次が自然と代行することになっていた。彼は岡村《おかむら》という見習を連れて仕事に出かけていた。  源次は中学を出るとすぐ、この職を父親について見習った。父親が中風で倒れる前は源次がひとりでやった仕事では父親が見回りにきてダメを出したものだが、近ごろはそれが無いからのんびりとしている。最近は住宅建築ブームでペンキ屋は忙しい。大きな仕事だと学校の校舎などがあるが、これは大規模な割合に役所の予算に縛られているからそれほどの儲けはない。どうかすると、臨時に雇入れる職人の手間賃だけ食いこみだ。それよりも、個人住宅を請負ったほうが遙かに歩がよかった。  たいていのペンキ屋は請負業者と連絡がついている。だから仕事の手が空《あ》くということはなかった。むしろ、ほかの業者からも引張凧《ひつぱりだこ》なので掛け持ち仕事が多い。源次はスクーターにペンキ罐や道具一切を積み、汚ない服で工事場から工事場を疾駆した。  ペンキ屋という職は、高い所に上ったりするので、思わぬ風景にぶつかることがある。  大体、ペンキ塗りは、大工の仕事が終り、左官屋の受持が済んでからが多い。それで、割合に気むずかしい大工や左官の職人に気を遣うことはなく、のんびりとできた。高い足場に上って二階の壁を塗ったり、屋根に這い上って樋《とい》などを塗ったりすると、気候のいいときなどぽかぽかと陽を浴びて睡気を催すくらいだ。  もっとも、いい心持になったからといって油断はならない。ちょっとでも足をすべらせると、高所から転落して一生片輪になりかねない。  だが、彼の仕事を妨げるのはこういう暖かい空気だけではなかった。時折、奇妙な情景を垣間見《かいまみ》る。  低い所で仕事をしているときはさほどでもないが、高い所だとよその低い家を俯瞰《ふかん》することになる。  およそ頭の上に人が居るのを、下にいる者はあまり気がつかないものだ。生暖かい春から暑い夏が終るまで、たいていの家は障子をあけ、窓を開いている。それは普通の家もアパートも同じことだった。だから、ときならぬ昼間の情事を、彼は気づかれないその場所から見物できるのだった。  源次のような仕事は、転々と場所が変るのでその都度、違った町の構造に接する。だが、どこでも大体同じようなことがのぞかれた。むしろ町なみの違いで、舞台が始終変るから面白い。  下町のような商店だと、その裏側が住居になっている。そこでは若い夫婦者が昼間の戯れをしている。表の店さきには客が買物に来てぼんやりと立って待っている。そんな場面を見るのも珍しくはなかった。それが、山の手の邸町になると、たいてい大きな塀《へい》で家が区切られているが、彼は、その隣の家の二階の屋根に上っているので、木立の茂っている庭を隔てて、その家の座敷の情事を俯瞰できた。  最初のころは源次も胸がどきどきして脚が震えたものだ。見たあとは身体が妙に熱っぽく重くなって、仕事ができない。間違いをやったり、ヘマをしたりした。  よその家の一間に男と女とが居るのを見ただけでも、それから先どのような場面になってゆくか、彼は息を詰めて眺めたものだった。その折角の期待が外れることもあるし、満足することもある。その代り仕事は捗《はかど》らない。  源次は、はじめのうちこそ胸が慄《ふる》えたが、次第にそれも馴れてきた。彼はこんな最高なノゾキはないと思っている。  或るときなど郊外の新築の二階家の屋根で仕事をしていた。近くがまだ畑地で、雑木林も多い。林に囲まれて小さな社《やしろ》があった。社と、その家とは五十メートルも離れていなかった。  ふと向うを見ると、森をくぐってアベックが歩いてきている。桜が散って、新緑がむせるような匂いを漂わせている季節だった。二人は拝殿の前で縺《もつ》れるようにしていたが、やがてぶらぶらと裏手に歩いてきた。源次のほうからいえば、こっちに近くなるのだが、二人はそこで抱き合い、長いキッスをした。  源次が瞬《またた》きもしないで見ていると、男が女を抱き寄せて何か耳元にささやいた。女は首をうしろのほうに向けたり、左右に振ったりした揚句、男の意志を承諾した。まさか頭の上に人間がいるとは気づかない。女の入念な警戒の眼もそこまでは及ばなかった。  アベックは小さな神社の裏手にきた。そこには木立の間に青草が伸びている。女が中腰になり、スカートの下から小さなピンク色の下ばきを自分で脱いだ。源次の眼に印象的に残ったのは、その女の眩《まぶ》しいような臀《しり》の白さだった。  但し、そんなものを目撃した夜などは、彼も独りで家に落着いてはいられなかった。際どい遊びをさせるバーに行くか、自分の身体を自分で慰めるかした。  彼は睡れないままに睡眠薬を少しずつ飲むようになった。  だが、やはり彼は独りでその経験を胸に仕舞っておくのは惜しかった。仲間や仕事先の顔見知りの大工たちに遇うと、少しずつその話を披露した。彼らは眼を輝かし、唾を呑み、声を立てて笑った。  源次は実際は内気な性質だったが、外ではいくらか剽軽《ひようきん》で賑やかな男として通っていた。そういう種類の話を仲間にするので、面白い奴だと思われているのかもしれない。  しかし、源次は、何度もそれを話しているうちに次第に語り口が巧妙になり、適当な描写まで付け足すようになった。それに、そんな場面は仕事先で相変らず目撃したから、彼の見聞、体験は豊富になるばかりだった。  源次はときには女に向ってもその話をすることがあった。たとえば、仕事先によっては三時のお茶どきに、その家の主婦やお手伝いさんと世間話を交すことがある。連日のようにその家で仕事をしていると、いつか先方と気安くなるのである。源次はある家で、その話を中年のお手伝いさんにちょっぴり聞かせた。何か面白い話はないかという先方の要求から世間話として洩らしたのだ。  そのお手伝いさんは含み笑いをしながら聞いていたが、そのうちその眼が奇妙に潤《うる》んできたのに源次は気づいた。そういえば女は顔まで紅潮させてきたように思える。口先では、ばかばかしい、とか、いやらしい、とか云うのだが、明らかに彼の話に刺戟《しげき》を受けたのである。  源次の話は、ありきたりの猥談《わいだん》よりも、実際に自分が目撃したことなので、写実性があった。それに、彼はあまり卑猥な言葉を使わなかったので、話にかえって現実感を持たせた。  同じ話を聞かせても、男のほうは、からっとしていて笑うほうが多いが、女は総体に鋭い反応を示す。もちろん、それも際立って目立つことはないが、そのお手伝いさんの例以後も数人に試みたところでは、なべて彼女らは慎《つつ》ましさのなかに感情の反応が示された。ある女は、ひとりで呼吸《いき》をはずませ、ある女はかえって妙な顔で陶然となるのだった。  源次は、この話が女に一通りでない刺戟を与えることを発見してから、それを試《ため》すことに興味を持った。だから、仕事先でその機会さえあれば、必ずその話を試みて相手の顔色を観察し、自分でも面白がった。  ペンキ屋の受持といえば、家の外壁を塗るとか、窓枠やドアを塗るとか、垣根に白ペンキを掃くとかで、自然と建主《たてぬし》の家族と話すことが多いのである。新築工事もその段階になると、ほとんど人が入るのだ。一戸建の住居はたいてい主人が昼間留守である。勤人もあれば、都心に近い所に店舗を持つ商売人もいる。昼間だと、どうしてもそこの主婦やお手伝いさんの無聊《ぶりよう》の話し相手になる機会が多くなるわけだ。  源次は細い痩型の男で、顔もペンキ屋にしては上品なほうだった。集金した金の中から小遣いを誤魔化《ごまか》して安バーに行っても結構もてた。そんなことで仕事先の主婦やお手伝いさんにもわりと好感を持たれている。それに、生来彼は吃《ども》り癖《ぐせ》があるので人に素朴な感じを持たれた。また彼の内気な性質もちらちらとのぞくので、先方では源次に気を許し、多少は軽蔑《けいべつ》もするのだった。  源次の側からいえば、そんなふうに扱われるほうが気が楽だし、また例の話をするにもしやすかった。女がたとえ軽蔑にしろ、男に気を許したときには、そこに危機の素地が生れる。  源次が、そういう話から最初に仕事先の奥さんを自分のものにしたのは小春日和の冬だった。その奥さんの夫は永く肺病で寝ていたから、わりあい条件が適合していた。都合のいいことには、それもその場限りで済んだ。つまり、その家での仕事が完成すれば、それきりの縁なのである。  だが、むろん、始終そういうことがあるわけではなかった。仕事先によっては家族の多い家もある。また相手の女によりけりで、つけ入る隙のない主婦もいた。そんなときは彼は小当りに当ったあと、あわてて退却した。  源次は割合と雑誌も読み、音楽も好きなほうだ。仕事が終って汚ない服を脱ぎ、背広に着更えて音楽喫茶などによく出かける。自分でもレコードを蒐める。コーヒーは好きなほうで、うまいコーヒーを喫ませる喫茶店もよく知っている。いわば、その職業から連想させるものよりずっと物識りであった。  それで、例の話を持ち込む前にまず、そんな趣味から取入ることも多かった。相手の女は、あんた、見かけによらず高級だわね、とか、インテリね、などと云ったりした。人間が実直で、適当な好男子で、独身で、音楽を解する物識りとなると、たいていの女は彼を見直し、好感を持ってくれる。  さて、源次が何人めかに到着した相手、小村澄子《こむらすみこ》と夏井季子《なついすえこ》の話になるのだが、これまで泰平無事だった彼のやり方が、ここで彼自身の運命を破綻《はたん》させそうになるのである。  ──それは秋の初めのことだった。  源次はいつも仕事を出してくれている請負師に頼まれて、郊外の新築の家をやることになった。家はかなり立派なもので、先方の言分によると、金はかかっても構わないから入念に仕事をしてくれということだった。なんでも主人は、その家から電車で四十分ばかりかかる繁華街に映画館を経営している人だというのだった。源次もその主人を見たことはあるが、四十五、六の、いかつい肩をした男だ。だが、めったにその人の姿を見ることはない。映画館の経営で朝十時から出かけ、源次の仕事が終る夕方までは戻ってこない。いや、朝でも、旦那は映画館の近くにある事務所に寝泊りすることもあったりして、ほとんど源次とは顔が合わなかった。  澄子は、その映画館主の妻で、三十四、五くらいだった。顔はそれほどきれいとは思えないが、身体の均斉がとれて、動作もどことなく垢抜《あかぬ》けがしている。源次は主人の職業を考え、妻は水商売の上りではないかと想像した。  澄子は気さくな女で、よく三時の休みに源次の話し相手になる。この家にはほかに主人の姪で夏井季子が同居していたが、彼女は澄子にまるで女中のように使われていた。  季子は小柄で、いつも黙っている女だ。挨拶をしてもお辞儀を返すだけで、逃げるように離れてゆく。  季子の無愛想にひきかえ澄子は賑やかなくらい話をする。源次が菓子をつまみ、お茶を飲んでいると、傍《そば》にべったりと坐って話し相手になり、自分の退屈を紛らした。  源次は、この家の旦那をめったに見ないところから、あるいは亭主に別な女が居て、そこに行くことが頻繁なので澄子が独りで居るときが多いのではないかと想像した。彼女は普通の主婦よりくだけていて、話すにも笑うにも仄《ほの》かな色気が感じられた。源次の例の趣味が動いたのも当然だった。 「奥さん、旦那さんはずいぶん忙しそうですね?」  と、彼は雑談のとき訊いた。 「そうよ。映画館のほかにも不動産売買の斡旋などしているから、一日中飛び回っているわ」 「それは結構ですね。映画館は最近不況だということですが、お宅のように新築をなさるくらいだから、あまり影響はないでしょうね?」 「いいえ、映画館はだんだんお客さんが少くなってゆくわね。でも、おかげでウチは特別な環境のせいか、そのわりには影響がないのよ。だけど、映画館だけでは先が心細いので不動産売買などにも手をつけ出したから、余計に忙しくなってるのね」 「道理で旦那にはめったにお目にかからないと思いましたよ。……しかし、旦那のお忙しいのは結構ですが、奥さんがいつも独りじゃ寂しいでしょうね」 「そうね、寂しいわね。あんたって面白い人だわ。あんたが仕事が終ってここを引きあげたら、余計に寂しくなるわね」 「よかったら、奥さん、この近所に仕事があるときは、ときどき寄せていただきますよ」 「そうね、ついでがあったら、いつでもいらっしゃい」  こんな会話は、いわば挨拶程度である。どこまで相手の女にその気持があるかどうかは判然としない。だが、源次は勇敢に試みることにした。  彼は機会《おり》をみて、まず、いつもマクラに振っているアパートの目撃から話した。これはまだ上品なほうである。  澄子はけたけたと笑った。 「そう。あんたにもそんな役得があるのね」  案外あっさりした表情なので源次は迷った。 「そんなことでもなければ、こんな汚ない恰好で臭いペンキなど塗りたくっていられませんよ」 「あら、いいじゃないの。それでお金が儲かって、夜なんか好き勝手なことが出来るんでしょ」 「駄目ですよ、親父の眼が煩《うるさ》いですからね」 「あんたはハンサムだから、女のひとにはもてそうだわね」 「とんでもない。わたしなんざ……」  と云ったが、澄子がまず自分に対してそれほど醜男《ぶおとこ》と認めなかったのはありがたかった。 「わたしなんざ、さっぱりもてませんよ。第一、気が弱いもんですからね」 「そうね、あんたはおとなしそうだわ」 「だから、いま云った他人《ひと》の色事でものぞき見したくなるんですね。……世の中にはいろんなケースがあるもんですね」 「そう」  女は少し乗ってきた。「ほかにもそんなことがあるの?」 「ええ、ありますよ。……でも、ちょっと、奥さんの前では云いにくいな」 「平気よ。わたしなんか女といっても、今さらそんな話に顔を赧《あか》くするような年齢《とし》ではないからね」 「そうですか。いや、ぼくなんかこれで若いから、あんなギラギラした場面を見せつけられると、久米《くめ》の仙人ではないが、危うく屋根から落っこちそうになったことが何回もありますよ」 「へえ。それ、どんなこと?」  ここまでくれば話はしやすかった。  彼はこれまでの蘊蓄《うんちく》の一部を出した。それはいちばん興味のありそうな場面だった。  或るアパートの二階の屋根に上っているとき、斜め下に見えた隣の家の情事である。女が独りで居るところに男が入ってきた。しばらく話していたが、突然、男が女の肩を抱いた。それがきっかけで、男が顔を吸い寄せたまま女の背中に手を回し、ブラウスを割りはじめる。以下は彼の見たままを極めて写実的に描写した。  小村澄子は初めの間こそ、 「大変なものを見たのね」  とか、 「いやらしいわ」  とか、誰でも云いそうなことを云っていたが、そのうち、口数は少くなり、顔にも血が上って赧らんできている。話が進むにつれ、彼女の呼吸《いき》はひとりでに荒くなっていた。      2  小村澄子の家のペンキ塗りの仕事は十日間を要した。  もっとも、森岡源次は毎日澄子の家に行ったわけではない。この職は、ほかにも工事があると、請負人の依頼でそこにも回らねばならない。忙しいときは三つも四つも掛け持ちになる。  もちろん、建主は仕事が遅れるので叱言《こごと》を云うが、源次はぺこぺこと頭を下げて、材料が不足しているとか、まだ下塗りが完全に乾いていないとか云って逃れる。彼も同時に数軒を受持ったほうが金儲けになる。  このときもそうであった。源次は澄子の家のほかに二軒掛け持ちしていたが、よそに行っても彼女のことが頭からはなれなかった。この前の打診では、どうやら澄子にはもう一押しという気がする。  だが、ほかに新築工事を請負っていたので、彼女の家に連日行くわけにはいかなかった。しかし、結果的にはこれがよかったのかもしれない。毎日行って顔を合せるよりも、適当な間隔をおいたことが澄子を待たせる状態になった。 「あんた、あれからどうして来てくれなかったの?」  澄子は詰問した。ここまでは普通の建主の誰もが云う叱言だ。源次も頭を掻いて、 「すみません。わたしはこちらに来たくてしようがなかったんですが、どうしても断れない家がほかに一軒ありまして、そちらに行かねばならぬ義理になり、どうも申し訳ありません」 「そう。じゃ、今日からはちゃんとやってね。家の中が片づかなくてしようがないわ」 「よそよりお宅さんのほうが大事だと思っていますから、わたしも出来るだけこちらにくるようにします」 「それに、あんたの顔を見ないと気が紛れなくて困るわ」  源次より年上の女だが、澄子の笑顔には色気がある。また、その言葉の意味も源次にはよくわかっている。 「えへへへ」と、彼も笑った。「すみません。つまらない話ばかりしまして」 「いいえ面白いわ。今日もまた何か聞かせてね」  澄子は彼の昼休みを、実際に楽しみにしているようだった。  源次の心は躍った。十二時になると、新築の縁先で弁当を使った。この家に居る姪の季子がいつものように茶を運んでくる。 「すみません」  源次はじろりと季子を見たが、彼女は逃げるように去った。澄子のさばけた態度と違い季子は初心《うぶ》であった。器量もまんざらではない。二十二というと、女も成熟の入口に立っているが、彼女はまだ男を知っていないようだった。  そこにうす化粧した澄子が現れたので、源次は心をときめかせた。 「ねえ、ペンキ屋さん、何か面白い話ある?」  さすがに、この前の話のようなとは云わなかったが、それは彼女の表情に出ている。 「そうですね、いろいろありますが」  源次も調子を合せた。 「あら、そんなにあるの? ずいぶん、あんたもいいところばかりを見ているのね」 「他人《ひと》のいいところを見せつけられても仕方がありませんよ。自分でやるならともかくね」 「あら、自分でするのは珍しくないわ。そんな場面を見るのがむずかしいのよ」 「そうですかね」  水を向けられて源次は、例の森の中の神社の話を持ち出した。アベックが社《やしろ》の裏手に来て、誰もあたりに居ないと思い込み、二人で寝た話である。彼は例によって詳細に実景を語った。  だが、その話は案外澄子をそれほど刺戟しないらしく、ゲラゲラ笑っただけで、 「若い人ってそんなのかねえ」  と云った。  源次は初めて気づいた。この女は、自分より年齢《とし》下の連中の情事にはそれほど興味はないようである。この前の話は、中年の男女のことだったから反応があったのだと思う。つまり、彼女は自分と同じくらいの年齢というのに実感が湧くのであろう。  そう気づいた源次は、いよいよ取って置きの物語をはじめた。  それは或るアパートの部屋を向い側から見下ろしたときだ。その二階の一室に中年の女が住んでいた。夏のことで、その女のもとに五十過ぎの男が昼間やってくる。女は銀座に店を出しているバーのマダムということだったから、男はパトロンらしい。二人とも窓の半分をあけて裸になり、例のことになった。これがノゾキ経験の多い源次を驚嘆させるくらいの狂態だった。相手が水商売の女のせいか、それとも中年という生理的なせいか、まことに凄じいものであった。源次はそれを微に入り細にわたり澄子に説明したのだった。  果して彼女に期待通りの反応が顕《あらわ》れた。彼女の顔は赧くなり、眼を潤《うる》ませ、べったりとそこに坐ったきり動こうともしなかった。呼吸《いき》づかいもせつなげだった。  源次は予期以上の効果が上ったので満足した。だが、それだけではうっかりと手が出せない。万一拒絶されたときの間の悪さが先にくる。ことは慎重に運ばねばならなかった。映画館を経営している旦那に告げ口されるのも怕《こわ》かった。  それから源次が澄子をどのようにして陥落させたかは、彼がずっとのちにある人物に語っている。 「仕事の合間に澄子にそんな猥談を聞かせたが、それだけでは効果が無いと思い、機会《おり》をみては彼女にそれとなく猥本や春画を見せた。それは正面からこれをお読みなさいと云うのではなく、昼の休みや仕事の合間の休憩に、読んでいた本をわざわざそこに置忘れたようにした。澄子は退屈し切っているので、必ずそれを取上げて読んだり見たりすると思った。事実その通り、澄子はわたしにその本をつきつけ、こんなもの持ってきては駄目よ、と云ったが、それでもひどく昂奮《こうふん》していた」  そのとき澄子は、源次の表現によると、自分のほうから彼を誘い、二階に連れて行ったのだった。女中のように働いている姪の季子は、かなり離れている食料品店に買い物にやらされた。  二階は二間だったが、ペンキを塗る仕事が残っているので、六畳の一間だけ畳が敷いてある。澄子は彼の手を握り、自分のほうから抱きついてきた。  女は、源次がそれまで知らなかった技術を持っていた。彼のほうが夢中になった。 「今度だけよ」  と、女はそのことがはじまる前に源次に念を押した。 「あと腐れのないようにしたいわ。わたしだって主人がいるし、あんただってこれからお嫁さんを貰わなければならないでしょ」  実際、源次にはすでに決りかけた縁談があった。中風の親父が店のあとを心配して早く息子の身を固めさせたいと思い、話が進行していた。それがまとまれば、源次は来年の春にでも式を挙げることになっていた。  秋の初めで、まだ夏の陽射しが残っていた。澄子は汗をかいて起き上ると、上気した顔を笑わせ、 「もう二度とわたしに手を出さないでね」  と云った。その顔がひどく美しく見えた。適当に割り切った中年女は、ゆたかな表情を乱れた髪の中に輝かしていた。  源次は澄子が忘れられなくなった。ただの一度だけという女の言葉には、あまりに彼のほうが未練がありすぎた。仕事は、あと二日ぐらいで仕上る。だが、彼はふだん急いでするのを逆にゆっくりと手間をかけた。こうすれば、二日くらい日数が反対に延びる。その間、例の掛け持ちの仕事を催促されたが、それも断った。  中風の親父は寝たままでも仕事の進行ぶりを見ている。父親は、今度の家にひどく手間がかかりすぎると、源次に叱言を云った。源次は理由を作り、強引に澄子の家に通うことにした。  機会はもう一度あった。昼休みのとき澄子はまた季子を使いに出した。彼女は自転車に乗り、買物籠をハンドルにぶらさげて駅の近くまで走った。源次も助手の岡村を掛け持ちの仕事場のほうに追いやっていた。彼は、いつでも女からの誘いを受入れる用意をしていたのだった。 「ほんとに今度きりよ」と、女は云った。「わたし今までは浮気なんかしたことないのよ。あんただけだわ」  女は、自分の言葉に自分で刺戟され、源次を抱きしめた。果してこの女が今の主人以外の男と交渉が無かったとは保証できない。女はそのほうにひどく長《た》けていた。彼のほうは若いだけだった。  澄子の手足は源次をいつまでも放さなかった。女の意識の底には姦通を願望するものがあるのだろうか。澄子は夫にはとても傾けないと思われるくらいの情熱を彼に注ぎ、際限なく求めた。 「もうこれきりにしてね」  女はその嗚咽《おえつ》のなかで云った。これが不貞だという意識がこの中年女に異常な刺戟を与えるらしかった。  愉悦に時間がかかったことが、二人に不幸をもたらした。外に使いに出た季子が、突然、二階に駆け上ってきたのである。階段に鳴る忙しい足音を聞くと、澄子は源次を突き放し、ぱっと起き上ると、まだ畳も敷いてない隣の間に駆け込んだ。  源次は、もぞもぞしたが、間に合わなかった。彼は仕方がないので、そのまま無様な恰好で閾《しきい》の所にうずくまり、いかにもその辺の建具を調べるような真似をした。 「あら」  と、季子は入口に立って云った。 「叔母さんは?」  源次は顔をあげないで、 「さあ、知りませんよ」  とうつむいたまま答えた。  だが、季子の眼は源次のふしぎな恰好から離れなかった。上半身は裸になっている。やっとズボンだけは穿いたものの、バンドを締める余裕はなかった。彼はずり落ちるズボンをしゃがんだままで抑えていたのである。シャツも座敷の隅にかためられてある。  秋の初めとはいえ、夏のように裸でなければ仕事が出来ないという暑さではなかった。 「おかしいわね」  と、季子が呟《つぶや》くのが聞えた。彼女が次の間に叔母を探しに入ろうとしたとき、 「何か用?」  と、澄子の声が飛び出してきた。  澄子は手早く支度を直したらしい。だが、急いで取繕《とりつくろ》った服装には不自然なものがかくしきれなかった。季子は、今度は叔母の髪の乱れや汗ばんだ顔を見つめていた。  澄子の家の塗装が完成し、源次の手を離れたが、同時にそれは澄子との縁が切れたことだった。もともと、そういう約束なのである。  だが、源次はそこで新しい女を得た。澄子の姪に当る季子だ。  源次が季子に接近したのは澄子との情事を見つけられてからで、日ごろ黙りこくっている女が、思いがけなく源次の手に倒れかかってきたのだった。源次は、この硬い若さに閉じこもっている女が叔母と彼との現場に呼吸を詰めて震えたのを知っていた。  彼は、一つは澄子の夫へ告げ口されるのを防ぐためと、意外な季子の変化に奇妙な興味を覚えた。普通の愛情関係だとまず女を映画館か喫茶店に誘い、それから身体の関係に発展するのだが、源次の場合はいきなり季子を森の中に誘い込んだのだった。映画館や喫茶店はそのあとだった。  源次は、そのころほかの仕事場に行って働いていたが、季子はそこまで追ってきた。よその家でペンキを塗っていると、彼女の姿がどこからともなく現れているのである。 「人目につくからよせよ」  と云っても、季子はきかなかった。  源次は、まだ男を知らない彼女の身体をはじめて経験した。しかし、最初の男に燃えてくる女の一途《いちず》な気持がまさかこれほどとは思わなかった。 「家のほうはどういうふうに云って出ているのだい」  と訊くと、 「友だちの家に手芸を習いに行くと云ってあるわ」  と、風呂敷包みの中からその道具を出して見せたりした。  澄子の様子を彼女からときどき聞くことがある。夫婦仲は至極円満に行っているというのだ。  奇妙なことだが、源次はそれが理想だと思っている。後腐れはこっちもご免だった。こんなにしつこく追回されてはやりきれなかった。澄子のようにあっさりと忘れてもらいたいのだ。第一、こんなにまつわられると、新しい女を得ようにも細工がしにくくなる。  それに、源次は今までわりと年増の女が対象だった。そこに季子のような未熟な身体の女が現れたので、当座こそ新鮮だったが、まもなく彼女ではあきたりなくなった。青臭すぎてそれほどの歓びが湧かないのである。澄子と比較すると余計にそう感じられた。  源次はまかり間違っても、季子と結婚する意志はなかった。  その気持は季子にも分るとみえて、余計に源次の機嫌を取るようにした。彼の顔を毎日でも見なければ気が済まない、と云い、どんなに仕事先を匿《かく》しても猫のように忍んでくるのだった。彼の留守宅に電話をかけて行先を聞くのである。  源次はなんとか季子を思い切らそうとするが、いつでも自分の勝手になる女だと思うと、つい仕事の帰りがけには彼女を辺鄙《へんぴ》な所に誘い込むようになる。スクーターを持っているので、女をうしろに乗せさえすればどこにでも行けた。  彼も小さな旅館に行くくらいの金を持たないではなかった。だが、自由自在になる女をわざわざ金のかかる場所に連れて行くこともない。また、いったん家に帰って着更えるほどの熱意もないから、結局、うす汚ない仕事着のままで、昏《く》れた森の中や河原に季子とひそむことになった。  季子は何をされても拒《こば》まない。それで源次の心が掴《つか》めれば満足だと思っているらしい。源次は、ときどき自分の行為をいつぞや見た神社の森のアベックの姿態にひき較べてみる。あれは昼間だったが、まだ輝くような白い臀が眼に残っている。  そのうち源次は、季子が仕事場にやってくるのはただ彼の顔を見るだけではなく、自分を監視するためだと気がついた。つまり、澄子のような場合を彼女は考えているらしかった。  源次はなんでも無かったころの季子が自分の眼の前から逃げていたのを思い出し、女が分らなくなった。  澄子のときもそうだったが、その場限りの縁だとはじめから承知している女は万事を割り切っている。そこにはなんの愛情も無いから、苦悶も無かった。あるのはさばさばとしたその場限りの歓びだけだ。実にからっとしている。  ところが、季子の場合だと、いつもめそめそしている。彼女は源次が自分から逃げ腰になるのを知っているので、絶えず心配そうに泣き顔をしている。云うこともじめじめして粘《ねば》っこく、どうにもやりきれなかった。      3  源次の結婚問題が具体化した。父親は病気で起てぬと自覚して、かねて遠縁の娘を源次と一緒にさせようと考えていたのだが、いよいよそれを切り出した。  源次もその娘が嫌いではなかった。殊に、先方の親は田舎では相当な山林を持っているので、商売をしてゆく上で援助が頼める。現に、店舗の拡充が必要だった。こんな功利的な考えも彼をその縁談に踏み切らせた。  挙式は来年の春ということになった。源次はそれまでに季子の問題を片づけなければならない。  これを彼女に正面から宣告するのはかえって話が縺《もつ》れそうである。季子は源次をつけ回して離れないのだ。はじめて知った男に逆上《のぼ》せきっている。正直に打ち明けたら、どんな狂い方をするかしれなかった。源次は、そのことは伏せて、とにかく自分とは一緒になれない事情があるから諦めてくれと、彼女に逢ったときに云った。 「絶対に別れないわ」  季子は眼を光らし、泪《なみだ》を流した。源次は、家の事情で自分の思うままにならないと説明したのだが、それなら、わたしがあなたのお父さんやお母さんのところに行って頼むと季子は主張した。  源次はいろいろと宥《なだ》めてみたが、季子は承知しなかった。のみならず、はっきり別れ話を持ち出したので彼女はよけいに激しく源次に迫った。 「あんたが叔母さんと何かあったことくらい、ちゃんと知ってるわ」  彼女は今まで口に出さなかったことを初めて云った。 「わたしはこれまで黙っていたけれど、あんたがわたしを棄てるようだったら、叔母さんとの仲を叔父さんに全部云ってやるわ。それでもいいの?」  源次も、季子が澄子のことを気づいているとは知っている。まだ残暑のきびしい初秋の昼間、澄子と二階に寝ていたとき、この季子が急に上ってきた。あのとき季子ははっきりと二人の仲を感づいたのだ。それだからこそ、季子は異常な衝撃と刺戟を受けて源次の腕の中に倒れ込んだのではないか。  しかし、二人の関係が出来てからは、源次も彼女も決して澄子のことにはふれなかった。それは二人の間のタブーであった。どちらも知らないふりをしていた。  それを季子は初めて口に出したわけだが、彼女はそれにつづいて付け加えた。 「あんた、叔父さんがどんな人だか知ってるでしょ。叔父さんは映画館や不動産屋を経営していて、命知らずの若い者を相当飼っているわ。その連中は叔父さんの命令だとどんなことでもやるのよ。もし、あんたと叔母さんとの仲が知れて、叔父さんが腹を立てたら、あんたなんかどんな目に遭うかわからないわよ。腕一本折られるのはまだやさしいとして、殺されるかもしれないわ。それでもよかったら、わたしと別れなさい」  源次は怖れた。  季子の云う通り、澄子の亭主は興行界にも顔が売れている、いわば町のボスだ。彼女の云うことは誇張ではなかった。  それに、自分の女房に手を出したとなると、あの世界の男はどんな復讐《ふくしゆう》をするか分らないと聞いている。季子もいざとなれば度胸を決めて、洗いざらい叔父に当る澄子の亭主に告げ口するに違いなかった。若いだけに、季子はそういう女であった。ふだんは口数も少く、おとなしかったが、性根はしっかりとしていた。思い詰めると、大胆なことをするタイプだった。  結婚の話は着々と進められていた。  娘の親は、結婚すれば相当な資金を出してもいいと云ってきた。今のペンキ店は貧弱すぎるから、もっと場所のよい土地を買い、きれいな店舗を建ててやるという意向だった。中風の親父はこれに飛びついた。早く季子と別れなければならない。源次は焦った。仕事場でペンキの刷毛《はけ》を動かしているときでも、思案に耽《ふけ》ってヘマをやった。  彼は考え込む人間になった。他人《ひと》の話を聞いても笑えない。むろん、自分から賑やかにしゃべることもなくなった。仕事先の職人は、近ごろ源次はどうかしていると蔭口を利いた。  別れ話が出て以来の季子はますますしつこくなっていた。説得はおろか、あまり別れ話を強く云うと源次自身が危険な状態になりかねなかった。源次を見る季子の眼は底光りしていた。 「わたし、あんたが別れると云ってからノイローゼになったのよ」  実際、その痩せて蒼い顔は精神の異常を来しているようにみえた。源次は怖気《おぞけ》をふるった。とんだ女に手を出したと後悔したが、追いつくことではなかった。  季子が離れないとすると、将来が滅茶滅茶になりそうだった。せっかく笑顔を向けてきた幸運を、季子のために取逃しそうだった。  源次は、父親の代理として仕事をしているうちに商売の欲が出てきた。親父が万事やっているころには普通の職人根性と同じで、ただ仕事を怠けることばかりを考えていたが、自分の経営を考えるようになってからは、金のある家から女房を貰う利益が実感となっていた。  事実、仕事先では腕のある大工が、金が無いだけの理由でいつまでも他人《ひと》に使われているのを見ている。殊にペンキ職人などは年とってやることではない。高い所に上ったりする危険は別としても、四十|面《づら》さげて他人に使われているのは悲しいことである。  また同じ商売をするにしても、あまりみすぼらしい思いをしたくなかった。職人四、五人くらいは使って派手にやりたい。それには資金が要る。今の彼がどんなに働いても、そんな元手を貯めるには少くともあと十五年も二十年もかかりそうだった。  源次は季子が自分の行手を塞《ふさ》ぐガンだと思った。それをはっきりと感じたのは季子が妊娠を愬《うつた》えたからだった。彼は顔色を変えた。 「その子は堕《お》ろせ」  と、彼はすぐに云った。 「堕ろしません」  季子は強情な顔で答えた。 「なぜだ? 今はどこの医者に行っても簡単に手術をしてくれる」 「いやだわ。この子はあなたのものよ。可哀想で、そんなことは出来ないわ」 「まだ子供にまでなっていない。人間のかたちをしていないものにどうして愛情が湧くか」 「とにかく、わたしはあんたがどんなことを云っても産みます」 「おれを苦しめる気か」 「あら、どうして苦しむの? あなたはわたしと結婚するつもりでこんなことになったんでしょ。それともわたしを騙《だま》したのですか」 「………」 「わたしは叔母さんとは違うわ。あなたが初めての人なのよ。それはよく分ってるでしょ。妊娠させて棄てるようなことがあったら、本当に叔父さんに云いつけるよ。あんた、殺されても知らないわ」  源次は呻《うめ》いた。彼は苦しそうに頭の毛を|※[#「手へん+毟」、unicode6bee]《むし》った。季子はそうした彼を心地よげに見ている。この青臭い女が悪魔に見えた。  妊娠したというが、それも本当かどうかわからない。現在の状態では、女だけが知って男には分らないことだった。そこに女の詭計《きけい》がないとは云えない。結婚したさに女が妊娠を偽るのは世の中にも無いことではなかった。  源次がそれを云うと、 「あんた、そんなことをよく云えたものね」  と、季子は眦《まなじり》を吊り上げた。 「そんなにわたしから逃げたいの?」  詰め寄られると、源次は今にもこの女が暴力団を仲間に持っている叔父のところに駆け込みそうな気がした。 「いや、そうではないが、妊娠といってもまだ三カ月ぐらいだろう。そのころはよく間違いがあるということを聞いたからな」  彼は誤魔化した。 「卑怯だわ。そんなことを云うのなら、あと二カ月したら、あんたにもわたしが嘘を云っているかどうか、はっきりと分らせてあげるわ」  源次は頭を抱えた。  一体、おれはどうしたらいいのか。子供が生れるとこの女から一生逃れられなくなる。商売の計画も崩れるのだ。  源次は眼の前が真暗になった。睡れぬままに睡眠薬を買ってきて飲んだりした。そんな朝は薬のせいか頭がぼんやりして、全身が熱ぽくけだるい。そこで、仕事が終ると夕方から喫茶店に行ってコーヒーを喫み、レコードを聞いたりした。  すると、その晩がまた睡れなくなる。薬をこの前よりも多量に飲むが、少しも睡くならなかった。宵に、コーヒーを喫んだせいだと分った。睡れないとなると、余計にいらいらする。また睡眠薬を飲む。  こういう繰り返しが何日間かつづいた。 「どうだ、式はいつにしたほうがいいか?」  と、中風の親父は暦など持ち出した。  源次は季子を殺してやりたくなった。これほど自分を苦しめる女が憎かった。だが、憎い女を殺して自分の破滅がきたのでは、ばかばかしいことだった。殺しても、自分だけはちゃんと社会生活をつづけてゆきたかった。まだ若いのである。  季子の脅《おど》しは叔父への告げ口と妊娠だった。一日一日の経過が季子の腹の子を大きくしていた。得体の知れない肉塊が憎い女の腹の中で成長しているかと思うと、居ても立ってもいられなかった。  今さら親に打ち明ける勇気は無かった。先方にこの縁談を断られるのをおそれた。だが、季子が生きている限り破滅は回避できなかった。  睡眠薬も、昂奮しているときはあまり効かなかった。量がだんだんふえてゆく。殊にコーヒーを喫んだあとは相当な量を飲まないと眠りに落ちない。 「あんたが一緒になってくれなければ、わたしも生きている望みが無いから、死んでしまいたいわ」  女はぎらぎらした眼で云った。 「でも、わたし一人で死ぬと思ったら間違いよ。あんたも道連れにするわ」  季子は、今にも剃刀《かみそり》か何かを取出して彼の頸に斬りつけかねなかった。  季子も破滅は望んでいなかった。  死にたいとか、一緒に心中しようとか云うくせに、あとになるとケロリとそのことを忘れて、ぜひ一緒に暮そうなどと云った。  死ぬ思いだったら、どんなことでも出来る、あんたもわたしのために生き抜く覚悟をしてくれと云った。  季子は、まだ源次の結婚話を気づいていない。それが分ると、今度こそ狂気のようになって、あの暴力団と知り合いの叔父に一切をぶちまけるだろう。たとえ殺されなくとも腕ぐらいは折られかねなかった。仕事も商売もできなくなる。源次は自分で頭がおかしくなったと思うほど落着かなかった。  いらいらする気分を静めるために喫茶店に出かけ、コーヒーを喫んだ。とても家にじっとしてはいられなかった。  ああ、今夜もコーヒーを喫んだから睡れないな、と思うと、睡眠薬の量が鬱陶《うつとう》しくなってくる。彼はうらめしげにコーヒー茶碗の中を見た。  そのときだった。源次の脳裡《のうり》にある考えが閃《ひらめ》いた。  彼は初め、それを本気に実行する意志はなかった。ただそれが頭に泛んだだけだった。しかし、あたかも季子の腹の中で彼の胎児が形を整えるように、彼の脳裡にも次第にそれが現実的なかたちを整えてきた。空想が具体的な計画に変ってきた。  これを実行すると、あるいは今の縁談がぶち壊しになるかもしれない。だが、彼の社会生活だけは保障される。それに、結婚相手の女はこの縁談にかなり乗り気だと聞かされているので、彼にそんな不始末なことがあったと分っても、結婚を見合すということはないように思われた。身勝手な想像だが、相手の娘がそのことでかえって自分に愛情を持ってくれそうに思われた。  こう想像してくると、もはや、それ以外に取るべき途はなさそうだった。自分を取巻いている壁が、そこだけ小さな穴をあけている感じだった。  ペンキ屋の職人は一日と十五日とが公休日だった。十二日の晩、源次は季子と逢ったとき、 「十五日は休みだから、その前の晩から湯河原《ゆがわら》にでも行って一晩泊りで遊ぼうか」  と、誘った。 「ほんとうにそうしてくれる」  季子はびっくりしたが、もちろん喜んだ。 「叔母さんにはどう云って出てくるのだ?」 「そんなこと平気よ。友だち三、四人で箱根にでも遊びに行ってくると云うわ。……でも、ほんとに連れてってくれるの?」 「ああ、ほんとだ」 「うれしいわ。あんたもいよいよわたしと一緒になる決心になったのね」 「子供が出来たら仕方がないさ」  源次は憮然《ぶぜん》とした表情で云った。  十四日の夕方、源次も家には適当な口実を云って、待ち合せ場所の品川駅で季子と落合った。季子は新しいツーピースを着てうれしそうにホームに立っていた。スカートは細い襞《ひだ》をたたんだプリーツの、冴えたグリーンだった。  電車の中で季子は嬉々《きき》としていた。彼女は途中で買ってきたチョコレートや果物の包みを出して可愛い男にすすめた。 「こんな揺れる乗りものに乗ったら、お腹の子が変にならないかしら?」  と、彼の耳もとに囁《ささや》いた。 「せっかく出来たんだから、無事に産みたいわ」  源次はそういう季子の表情を観察したが、別に技巧を弄しているようでもなさそうだった。妊娠は確実と思われた。  湯河原に着くと、駅前の喫茶店に入った。すぐに宿に入るものと思い込んでいた季子は奇妙な顔をした。 「湯河原は初めてだから、ゆっくりといい旅館を択《えら》ぶのだ。まあ、お茶でも喫んでいろいろと訊いてみよう。あわてることはないさ」  源次はコーヒーを頼んだ。ミルクを入れると効果が弱まりそうなのでそのままにした。彼は、自分もコーヒーを喫むと云う季子を押し止めて紅茶に変えさせた。彼だけ替りを頼んだ。やはりブラックにした。 「あんた、コーヒー、そんなに好きだったの?」  季子が紅茶の茶碗を抱えて訊いた。 「ああ、近ごろコーヒーのうまいのが癖になってね、一日でも喫まないと身体の調子が悪くなるくらいだ」  ほんとはもう一杯ぐらい喫みたかったが、ここであまりたてつづけに喫むとあとで怪しまれそうなので、そこを出た。 「喫茶店を出てから、駅の案内所でいい旅館を世話してもらいました。山吹屋という名前でした」  と、源次はあとで取調べの係官に述べている。 「山吹屋に行くと、三階の八畳の間に通されました。控の間の付いている部屋でした。わたしが先に風呂に入り、交代に季子が湯殿に降りて行きました。  宿にコーヒーを頼んだところ、持ってきたのはインスタントだったので、こんなものではうまくないと思い、食事のあと季子を誘って街に出かけました。湯河原の街は細長い通りですが、屋根にネオンの輝いている大きな旅館の前に橋があって、その向い側に喫茶店がありました。そこでコーヒーを喫んでから、しばらくその辺を散歩して宿に戻ったのです……」      4  宿に戻ると、部屋には派手な模様の夜具が二つ並べて敷いてあった。電気は消え、枕もとの赤い笠のスタンドがまるい光の輪を描いていた。その輪の中には水差、煙草盆などが置かれていた。すべて今夜の二人の性欲に奉仕する支度であった。  季子はそれを見て眩しい顔をした。  源次は先に宿の着物を脱いだ。季子は外の散歩から帰ってまだ洋服のままだった。部屋の片隅でスーツを脱いでいる。 「腹の具合はどうかい?」  と、源次はやさしく訊いた。 「今ごろがいちばん大事だというから、用心したほうがいいな」  季子は俯向《うつむ》いて、 「ありがとう」  と云った。それが女の精いっぱいの感謝だった。そして脱いだプリーツのスカートをたたんで泪《なみだ》を落した。  源次は季子の肩をやさしく撫でた。 「心配することはない。今まではいろいろ云ったが、ぼくだって子供が生れるのはうれしいからね」 「ほんとにそう思ってくれる?」  と、季子は泣きじゃくりながら云った。 「わたしはあんたが子供を産むのを嫌っているとばかり思っていたわ。だから、そんなことを云われると、どんなにうれしいかしれないわ」 「子供は大事に育てよう」  と、源次は云った。 「親父もなかなかうるさいと思うが、子供が生れたら仕方がないと諦めるだろう。孫の顔を見たら、きっとうまくおさまるに違いないよ」 「ほんとにうれしいわ」  と、季子は泪を拭いた。 「そうそう、ぼくはいい薬を貰ってきたよ」  と、源次は前もって睡眠薬を入れておいた紙包みを取出した。 「これはカルシウム剤で、これを飲むとお腹の子供の骨ぐみがしっかりするそうだ」  彼はわざわざそれをひろげて見せた。錠剤だったのを彼が粉末に砕いたのである。 「ずいぶん量が多いのね」  季子はのぞき込んで云った。 「これくらい飲まないと効かないそうだよ。さあ、ぼくが水を持ってきてあげるから、一息に飲みなさい」  季子はそれを断らなかった。量も多いし、飲みにくそうだったが、急に親切になった源次が横に坐って見ているので、何回にも分けて水で咽喉に流した。少々|苦《にが》かった。 「ほら、まだ半分残ってるよ」  と、源次は残りの粉を彼女の眼の前に突きつけて云った。 「もう少しの辛抱だ」 「でも、そんなにたくさん飲めそうにないわ」 「そこが辛抱だ。これをみんな飲まないと薬の効き目はうすいというんだよ。……五カ月くらいまで腹の子は危ないそうじゃないか。流産するのもその頃だと聞いているよ。これさえ飲んでおけば、そんな心配はないそうだ」  子供を産むなとあれほど云った源次が、今度は産めといっている。この変化を季子は源次の愛情の発生ととって、とうとう残りの白い粉を全部飲み下した。その代りコップの水を三杯くらい飲んだ。 「さあ、それで安心だ」  と、源次は致死量の睡眠薬を飲んだ女に云った。 「今夜はゆっくりと寝て、明日は少し寝坊をしような」 「うれしいわ。女中さんが起しにこないように電話で云っておきましょうか?」 「そうだな、それがいい。こちらから呼ぶまで起しにこないように電話をかけておくがいい」  季子は床の間の脇にある電話を取ってそのことを帳場に伝えていた。女にそう云わせたほうが安全である。源次は先に蒲団の中に入った。季子は寝巻に着更えたが、脱いだスーツを丁寧にたたんでいる。源次は新聞を読んで季子が床の中に入ってくるのを待っていた。  すると、彼女は自分の寝る蒲団を下からめくって折った。 「どうしたんだい?」  新聞から眼を離して季子を見ると、彼女は前に丁寧にたたんだスカートの襞をもう一度指先で直し、敷き蒲団をはぐって、その下に置いていた。 「これ、今度の旅行に着ようと思って買ったものよ」  彼女はめくった敷き蒲団を用心深くスカートの上に下ろした。  季子は寝敷きが終ると、さも安心したように、その上の蒲団に身体をすべり入れ背中をつけて、太い息を吐いた。男の腕に抱かれる前の緊張であった。彼女は枕に頭をつけて、まじまじと天井を眺めていた。  源次はスタンドのうすい明りで新聞を見ていたが、胸は早鐘のように搏《う》っていた。  季子はそれほど丈夫な身体ではない。だが、薬はそれだけの量でも彼女の死を呼び寄せるに違いないと思った。致死量以上を与えて、死を絶対にするに越したことはないが、それでは源次自身があとで疑われる危険があった。 「なんだが胸がむかむかするわ」  と、季子は天井を向いて呟いた。 「さっきの薬のせいかしら?」  彼女は仰向いたまま手で自分の鳩尾《みぞおち》のあたりを押えていた。 「なに、すぐに癒《なお》るよ」  と、彼は云い、彼女の腕をとって、その上に自分の頭を乗せた。──  女が睡りに落ちると、源次は、もう一つの包みの薬を飲んだ。量は女に与えたのと変らない。彼は日ごろ睡眠薬を飲む習慣をつけておいたのと、濃いコーヒーをこの湯河原に着いてから何ばいも胃袋に入れていることで自信はあったが、それでも睡眠薬を咽喉に流したあとは、死を賭ける気持になっていた。  土地の警察が「山吹屋旅館で心中があった」という報らせを受けたのは、その翌る朝の十時ごろだった。 「女は死んでるようですが、男は助かりそうです。意識はありませんが、まだ心臓は動いています」  番頭が暗い顔で知らせた。心中沙汰があると、当分は旅館も上ったりになる。  警察医が三階に行ってみると、女と男は二つの蒲団の上にきれいに横たわっていた。医者は刑事と一緒に先ず息があるという男のほうを調べた。 「なるほど、微弱な脈がありますよ」  と、医者は刑事たちに云った。すぐに男だけは抱え上げられ、救急車に乗せられたが、死んだ女はそのままにされた。 「どうしますか?」  と、医者は刑事に相談した。  解剖のことであった。 「そうですな、あとで問題が残らぬよう行政解剖にしていただきましょうか」  死体は蒲団から担架に移されて部屋を出た。  刑事は一応男女の荷物を調べたり、蒲団をめくって「遺留品」を捜したりした。すると、女の蒲団の下には、プリーツ・スカートが板のようになってたたまれていた。 「おや、さすがに女性だな、ちゃんと寝敷きをしている」  と、刑事は云った。  女の死体は解剖された。病院の医者が胃を開いて調べているときに、警察署から報らせがあった。 「男は助かりました。女は何を飲んでいますか?」 「ブロバリンです。錠剤を細かく砕いたものですよ」 「量は?」 「そうですね、胃を切ってみたのですが、まあ、致死量です」 「男のほうはやっと意識を取戻しました。いま医者にかけて胃の洗滌《せんじよう》をしていますが、内容物に相当量のブロバリンがありました。全部というわけではないが、採った量だけで推定すると、やはり致死量すれすれを飲んでいます。男のほうが体質的に強かったわけですな」  刑事は、死体の腹部を開いている医者のところに戻った。髪が女の顔の上にぺろりとかかっていた。 「妊娠の徴候なし」  と、医者は助手に云った。  刑事は病院の外に出た。温泉町の昼間は閑散としている。どの旅館の玄関も埃《ほこり》っぽく見えた。滞在客らしいのが宿の着物で歩いている。肩を寄せ合っている男女もチラホラと見えた。大きな旅館の三階では、やはり男女の組が手摺《てすり》から往来を見下ろしていた。  この温泉町には自殺や情死がそれほど珍しくはない。情死する理由はたいてい決っていた。刑事は生き残った男を一応は訊問しなければならなかった。よく自殺者や情死者が犯罪者を兼ねていることがあるからである。たとえば、会社の金の使込みとか、公金|拐帯《かいたい》だとか、詐欺とか、そんなことで追詰められて死ぬ例がなくはないからである。  刑事は小さな医院のドアを押した。顔馴染《かおなじみ》の看護婦が裏の狭い病室に連れて行った。  男はベッドに寝かされて注射を受けていた。刑事が入って来たのでちらりと眼を向けたが、すぐに閉じた。  刑事はしばらく注射器の液体が男の腕の中に吸われてゆくのを見戍《みまも》っていた。  二十七、八ぐらいの栄養の行届いた身体だ。ホワイトカラーではなく、工員か労働者と見当をつけた。  注射が終ったころ、ここの医者が入ってきた。刑事が訊問していいかと云うと、もう構わないだろうと許可が出た。 「こういう者だが」  と、刑事は警察手帳を男の眼の前に翳《かざ》した。 「大変なことをやったね」  と、刑事は相手の気を静めるようにした。 「名前は?」 「刑事さん」  と、男が俄かに眼をむいて訊いた。 「女は……女は助かったでしょうか?」  刑事は、その視線を外した。ポケットの煙草の函を握ったが、喫煙が許されないと気づいて指をはなした。 「女のほうかね、そうだな、かなり重体のようだね」  刑事はやさしく云い聞かせた。 「重体……助かるのですか?」 「だろうと思うな」 「もう死んだのじゃないんですか?」 「ぼくはそっちのほうに行ってないからよくわからない」 「助かっていませんね?」  男は刑事の顔をみつめていたが、声をあげて泣きだした。  源次は退院した。  女が飲んでいる睡眠薬と、源次の胃洗滌によって吐き出された薬の量とを調べてみると、二人とも同量のものを飲んでいる。女が死んで、男が助かったのは男女の体質によるものと断定された。  それから四カ月経った。その情死未遂事件を担当していた刑事は、生き残った男が結婚したという噂を聞いた。  今さら男の無情に憤《おこ》っても仕方がない。男はそういうものなのだ。死んだ女が損だということになる。男は若いから、どうせ結婚する。ただ、その時期が早いか遅いかの違いだった。  しかし、その刑事は、どうもその情死未遂事件に心が落着かないものがあった。それは男が生き残り女が死んだということだけではない。何かすっきりしないものを感じるのだ。別に具体的にこうだという条件があるからではない。もし、それがあれば、彼も徹底的に調べるはずだ。何も無いが、感じとしてふっきれないのだ。恰度《ちようど》、迷宮入り事件で捜査が打ち切られたあとのような気持であった。  刑事には、担当した事件について納得ができるものと、解決はみたがまだ十分に納得ができず、中途半端な気持で心残りのものとがある。それは一つには、現在の刑事捜査が上からの系統立ったシステムで行われていることにもよろう。極端に云うと、現場の刑事がある信念を持っていても、上司から別な指示が出れば、その方針に従わざるをえない。刑事の個人的な考えによる自由な捜査は出来なくなった。すべては各刑事が持ち帰った資料によって上司が綜合判断し、捜査方針が決められ、その線に沿って将棋の駒のように下部の刑事たちは動かされる。  もちろん、意見具申ということはある。だが、それを取上げるか斥《しりぞ》けるかは上司の考え一つであった。取上げてもらえなかったら、その刑事の狙っていた線は永久に消えることになる。刑事たちの未練はここにあった。殊に、どうも本ボシという感じがしないままに起訴され、裁判で有罪になった場合の犯人などには、やはり同情が湧くし、反対に間違いなく犯人だという心証がありながら物証がないばかりに捕えられない場合には、どうも気持がわるい。  このペンキ屋の情死未遂事件もそうだった。一応合意の上で情死を図り、男女とも同量の睡眠薬を飲んでいる。生き残ったのは、たまたま男が女よりも体質的に強かったという理由だけだ。別に男に作為があったとは思われない。  その証拠も無かった。だが、その刑事には自分をどうも納得させることができなかった。といって根拠の無いことだから上司には云えなかった。疑わしいからといって具体的なものがないのに、いちいち捜査のやり直しをするわけにはいかない。心にわだかまりを持ったまま、その刑事は生き残った男が結婚した噂を聞いたのだった。  その刑事には家に中学に行く女の子がいた。ちょうど三月であった。  夜帰ってみると、女の子はスカートを丁寧に畳の上で折りたたんでいた。傍《そば》には蒲団が敷いてある。また枕もとにはふくれたボストンバッグが飾ってあった。 「明日の朝早く修学旅行に関西に行くのよ」  と、中学生の女の子は刑事を見上げて云った。 「そうだったな。まあ、事故の無いようにして気をつけて行けよ」 「大丈夫よ。みんなと一緒だから心配は無いわ」  女の子は、きれいにたたんだ紺色のスカートを崩れないように蒲団の下に丁寧に敷いた。いかにもうれしそうである。刑事はふと、この寝敷きのことでペンキ屋の情死未遂事件を思い出した。死んだ女も蒲団の下に真新しいスカートを寝敷きしていた。プリーツというやつで、細い襞がきちんと折目を立てて板のようになっていた。  刑事は急に心が騒ぎ出し、茶の間に入って煙草を喫った。女房が茶を汲んで何かいったが、上の空だった。  スカートを寝敷きしていた以上、女は明日どこかに行くつもりだったのだ。今夜死ぬつもりの女がわざわざ寝敷きすることはあるまい。その辺にきれいにたたんで置いても済むことだ。  ──女は死ぬつもりではなかった。  昂奮した刑事は、熱い茶に舌を焼いた。よし、あの事件はもう一度調べ直そう。彼はひとりでに口から声が出た。 「えっ、何か云ったの?」  と、女房は顔をあげた。その女房は明日修学旅行にゆく子供のために水筒の紐を繕っている。  翌朝、その刑事は昨夜考えついたことを係長まで意見具申をした。  それは面白いねと、係長は気を入れてくれた。 「よし、いったん終ったことだが、別に男は裁判を受けたわけではない。裁判を受けたら一事不再理で、もうどうにもならないが、これは警察で調べたというだけだから、やり直しが利く」  係長は、捜査一課長のところに相談に行った。課長は大学出で上級公務員試験に合格した有資格者であった。  しばらくして係長は浮かない顔で戻ってきた。彼に捜査一課長が貸してくれたのは「刑事事件における捜査の反省」という或るベテラン検事の書いた本だった。 「君の意見は駄目だったよ。これを読んでみろ」  と、係長は捜査一課長の云った通りの言葉を伝えた。  その指摘した個所には、課長がいま入れたらしい赤鉛筆の傍点が付いていた。十一年前の事例だった。 「……このように女性が情死の前夜衣服を寝敷きしたからといって、必ずしも擬装情死とは決められない。A子は自分の死後、|形見分けとしてスカートが生前の知己に渡されるのを考え《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》、女性のたしなみとして寝敷きしていたのである」 [#改ページ]    断  線      1  昭和三十二年の秋、田島光夫《たじまみつお》は滝村英子《たきむらえいこ》と結婚した。当時田島は二十八歳、英子は二十三歳であった。  田島は、そのころ、東京の神田にある証券会社に勤めていた。英子の家は藤沢にあった。それまで二人は洗足池《せんぞくいけ》のほうのアパートを借りて、四カ月ばかり同棲していた。結婚が正式に決ると、英子の両親は自分の家の近くに新居を建ててやった。両親は土地で旧《ふる》くから薬品店を営んでいる。父は薬剤師の免状をもっていた。  滝村英子が田島光夫を知ったのは、彼女が或る銀行の大森支店で出納係をしているときである。証券会社の社員だった彼は、別にその銀行とは取引はなかったが、何かのときに金を崩《くず》しに立寄り、金網の窓口で彼女と顔を合せた。田島は、そのころ、証券ブームに乗って都内一帯にかなり手広い得意先を持っていた。一見、真面目に見える男である。とり立ててハンサムではないが、柔和な顔つきと、控え目な話しぶりとが誰からも好感を持たれた。  はじめに両替に来たときの田島の印象は英子によかったようである。彼女は忙しいときにも拘らず、得意先でもない彼のために気軽に現金を替えてやったのだが、そのほんのちょっとした親切が田島にうれしかったとみえる。これは彼自身があとで告白したことだ。  それからは、田島が一週間に一度は英子の窓口に両替に来た。それが二、三日おきに縮まると、ほかの同僚の眼にも止まるようになった。 「ほら、来たわよ」  と、横の同僚が表のドアを煽《あお》って入ってくる田島を見つけて英子に知らせた。英子は一万円札や千円札を孔雀《くじやく》の羽根のようにひろげながら、ちらりと背の高い田島に眼を向け、顔を赧《あか》らめるようになった。 「いつも済みません。これを……」  と、田島が一万円札を何枚か出すと、英子は机の下の棚から千円札の束を取出して帯封を切り指先で扇型にひろげては丁寧に二、三回かぞえた。その間にも田島の眼がじっと自分に注がれると、手もとが狂った。  一カ月ばかりして田島は銀行の英子に電話をかけ、帰りを待ち合せるようになった。二人は喫茶店で逢ったが、田島が英子にいきなり訊いたのは、 「あなたはもう結婚が決っていますか?」  という質問だった。英子がいいえ、と頭《かぶり》を振ると、田島は吐息がはっきりと分るくらいに肩を落し、安心した表情をみせた。これが英子の胸を騒がせた。 「もう、あまり銀行にこないで下さい」  と、英子が頼んだのは三度目のお茶に誘われたときである。 「どうしてですか?」  田島は不審そうに眉をあげて訊いた。 「だって銀行の人に目立つんですもの。わざわざいらっしゃらなくても、電話をかけて下されば、こうしていつでも出ますわ」  それはすでに愛の告白であった。  さらに一カ月ののち、二人は示し合せて熱海に一泊した。 「済まなかった。ぼくは必ず責任を取る」と、田島は英子を抱擁から放したあとで云った。  英子は処女だったのである。  二カ月経つと、二人の間は英子の両親に知られるようになった。だが、英子は田島に匿していたことが一つある。半年前から両親の手で縁談が進められていた。相手は土地の素封家の息子だったので、親は娘の不始末に怒った。一つは、その橋渡しをする土地の有力者に顔向けができないというのである。英子は銀行を辞め、田島のもとに走った。そこで、田島は洗足池の近くにアパートを借りて同棲したのである。  この四カ月の間、英子は別に田島に対して不信感は持たなかった。親切だし、愛情も以前よりは強くなってきていた。酒も家で飲むことはなく、会社の帰りに酔って帰ったのは二、三度くらいなものだった。道楽といえばマージャンぐらいで、会社の同僚と一緒に卓を囲むらしいが、土曜日の晩だと必ず徹夜し、日曜日の昼過ぎに疲れた顔をして戻った。  だが、これは会社員ならありがちのことだ。英子が勤めていた銀行の男連中もよくそんなことをしていたから、彼女は別に何とも思わなかった。むしろ戻ってきた彼に親切にしたくらいで、日曜日の夕方までこんこんと睡っている彼の枕もとに坐り、その肩や首筋を揉《も》んだりした。  ただ、ときどき、賭マージャンに負けたと云っては英子から金を取出してゆく。証券会社の中ではやり手の外交員だということだったから、給料も相当多いはずなのに、一度だけほとんど持って帰らないことがあった。 「済まない」と、彼は詫びた。「つい、株に手を出してね。いや、間違いないと思ったんだが、ちょっとした錯覚でスってしまった。こんなことは証券会社の社員なら誰でもやってることだよ。なかには得意先から預った金や株券を操作してる奴《やつ》がいる。ま、ぼくはそんな大胆なことはできないから、給料の範囲内でギャンブルをしたわけだがね。もう二度としないから、勘弁してくれ」 「もうしないでね」  と、英子は微笑して頼んだ。  得意先に迷惑をかけないで済ませるところに、彼女は田島の誠実さを認めた。この人には大胆なことはできないのだ。あまり責めてはいけない。彼女は少しも厭な顔をせず、その月の不足ぶんは自分の金を出した。というのは、父親は二人の間を認めなかったが、母はこっそり田島の留守に様子を見に来ては娘に金を置いて帰っていたのである。藤沢の実家は裕福であった。  同棲してから三カ月ののち、遂に父親も折れて二人の結婚を認めるようになった。その前から実家では近くに貸家を一軒建てていたが、新夫婦の住居にするために急いで模様替えをした。  こうして新築が落成すると、二人は簡単な結婚式を挙げ、新しい家に移った。新婚旅行は北海道一周だったが、羽田に戻ると、田島は空港の公衆電話から電話をかけていた。 「いま社に電話をしたんだが、何か急な用事があるそうだ。君、済まないが、ひと足先に藤沢に帰っていてくれないか」  父も母も新夫婦が揃って旅行から帰るのを待っているのだ。そこに自分ひとりだけ戻ってゆく辛さが胸を締めつけたが、社の用事という夫の言分には無理が云えなかった。彼女も銀行に勤めた経験で、サラリーマンの悲哀はよく知っている。 「早く戻ってね」  彼女は夫に頼み、空港の前から反対の方向に別れた。  英子だけが戻ると、さすがに両親は婿の仕打ちに憤慨した。それも娘が可愛いからであったが、英子が極力親を宥《なだ》めた。彼は夜には必ず帰ってくる、今夜は実家で楽しい話を遅くまでしよう、などと云った。  彼を待って夜の食事の支度をしているとき、東京から電話がかかり、田島の声が英子に云った。 「いま会社ではね、相場の変動が予想されるのでてんやわんやなんだ。大きな突発的事件が予想されるらしい。ぼくにはよく分らないがね。そして、主な得意先に手分けをして走り、予防策を講じている。そんなわけで、悪いが、どうしても今夜は徹夜になりそうだ。ほんとに済まないが、堪忍してくれ。お父さんやお母さんにも君からよろしくね」  英子は、夫になるべく早く帰って来るように頼んだ。早くといっても、これは明日のことになる。  そういう不満はあったが、とにかく仕事には熱心な夫だった。一カ月後、田島光夫は滝村英子と結婚の手続きをした。  夫は毎日八時に家を出て、湘南《しようなん》電車で藤沢から東京に通勤した。 「案外、真面目な男だな」と、父親は云った。「おれは、あの男はもっといけない奴かと思ったよ」 「あら、どうして?」  と、英子はほほえんで父親に問返した。 「なに、おれはこれで人を見る眼は肥えているほうだ。おまえが前に光夫を伴《つ》れて来たとき、これはいかん、あんまり信用のできない奴だと思った。だが、四カ月同棲しておまえはますます田島を好きになっている。こっちに移ってからもう二カ月近くなるが、おまえに対して光夫の態度も変らないというと、今度はおれの眼が違ったかな」  夫婦仲はよかった。滝村姓となった光夫は、両親のところにもよく顔を出し、母親にはときどき東京から何か土産を買って来る気の使い方をした。  それから一カ月ののち、英子は母親に妊娠したらしいことを打ち明けた。すぐに医者に診せると、三カ月だということが分った。 「無理をしてはいけない。今がいちばん大事なときだからね」  光夫も喜んでいた。その報告を娘から聞くと、父親は初めて安心したように、 「それならもう光夫は信用してもいい。本ものだったな」  と、笑顔になった。  半月してから、光夫が会社から蒼い顔をして戻った。はじめは、その悩みを容易に英子に打ち明けなかったが、妻から責められて、遂に得意先の株を融通して大穴をあけたことを白状した。 「ほんとに申し訳ない。子供も生れることだし、ぼくは少しでも金が欲しかったんだ」 「そんな心配はいらなかったのに。お金の足りないところはお父さんがちゃんと出してくれるわ」  英子は、子供のために少しでも余裕をつくっておきたいという夫の気持に感動した。 「いつも君の家から金を貰うのが心苦しくてね、なんとか今度だけは自力で経済的な余裕をつくりたかったんだ。それが間違いだった。株というものはほんとに分らないものだな。ぼくなんか、なまじっか知っているだけに怪我をするんだな」 「一体、どれくらい使い込んだの?」 「それが少し大きい」 「大きいってどれぐらい?」 「ちょっと云いにくいんだ」  光夫は溜息をついた。 「だって、なんとかそれを埋めなければあなたは馘首《くび》になるんでしょ?」 「馘首くらいならいいが、得意先が怒っているから刑事問題になりかねない」 「まあ」  英子は仰天し、生れる子供のためにも夫に縄つきになってもらいたくないと必死になった。光夫は、使い込みの額は百十万円だと白状した。  英子は父親に泣きつくほかはなかった。 「仕様のない奴だ」  と、父親は顔を顰《しか》めたが、それも光夫が生れる子供のために経済的な準備をしたい気持から出たのだと娘から聞かされると、彼を呼んで叱りつけることもできなかった。商売繁昌しているといっても、せいぜいが地方都市の薬店である。百十万円は痛かったが、遂にその金を出して与えた。 「申し訳ございません。この通りです」  と、光夫は英子の両親の前に両手をついた。  そんなことがあって一週間経った。滝村光夫は、或る日、会社から早目に戻った。 「急に出張が決ったのだ」と、彼は云った。「急いで旅の支度をしてくれないか」 「どこにいらっしゃるの?」 「九州の福岡支店に連絡を命じられたのだ。普通なら次長が行くところだが、どういうわけか、今度はぼくに用事が回ってね」 「よかったわ」と、英子は夫の有能が認められたことを知って、いそいそとした。「長いんですか?」 「長くなるかもしれない。なにしろ、証券ブームに乗って九州も田舎のほうまでお客がふえたからね。いま熊本に一つ支店があるが、今度は大分と鹿児島に支店をつくる話がある。そんなことや何やかで、もしかすると、福岡支店の人と熊本、鹿児島、大分まで回ってくるようになるかもしれない。そうだな、でも、一週間ぐらいで帰れるだろう」 「ほんとに頑張ってね」  と、彼女の夫の荷物の手伝いをした。一週間の旅行ともなれば、下着や、着更えのワイシャツなど余分に入れなければならない。 「あ、それから、この前つくった洋服があったね、あれをトランクに詰めてくれないか」  その洋服は英子の父親が新調してくれたものだった。 「なにしろ、支店開設となれば、土地の市長さんや、ほかの銀行の支店長などに会うことになろう。旅のくたびれたところを見せたくないからね」  もっともな理由だった。荷物は、そんなことでもう一つのトランクが必要となった。 「汽車でいらっしゃるの? それとも飛行機ですか?」 「汽車で行く。急に決ったことなんで、とても飛行機は取れないし、汽車だって寝台が取れなかったんだ。今夜は固い座席で、ちょっとしんどいな」 「気をつけてね。わたしも藤沢駅まで見送るわ」 「いや、いいんだ。藤沢からではなく、ほかの者と東京駅で落合うことになっている。そんな出張にいちいち女房が見送りに来てはおかしいよ」 「それもそうね」  光夫は荷物を持ち、妻の実家に立寄り、ちゃんと両親に挨拶して出た。  それから一週間経った。英子は九州からの夫の通信を待ったが、葉書一枚こなかった。多分、忙しいのだろうと思い、一週間経つのを待ちわびていたが、十日を過ぎても夫は戻ってこなかった。英子は実家から東京の証券会社に電話をした。 「滝村光夫の家の者ですが、まだ滝村は出張から帰りませんでしょうか?」 「滝村光夫君が出張ですって?」先方はびっくりしたような声を出した。「いつの話です?」 「もう十日ぐらい前ですわ。なんでも、福岡支店に出張を命じられたと云って家を出ましたの。一週間ぐらいで帰る予定と聞きましたので、お伺いしているのですけれど……」  先方の声は熄《や》んだ。しばらくぼそぼそとほかの者と話をしている低いささやきが聞えたが、やがて別な男の声に代った。 「ぼくは滝村君が居たときの課長ですが、滝村君なら一週間前に辞めましたよ」  英子は眼の先から急速に光を失った。  母親が傍に来て、どうしたのか、と訊いた。英子は、 「まだ戻らないらしいの」  と云って母親の前を逃げ、自分の家に戻って畳の上に泣き伏した。  彼女は家中にある光夫の遺したものを捜した。しかし、それは彼がふだん使っている安全|剃刀《かみそり》や、櫛や、仕方のない雑誌や、油の切れたライターなどといったものしか残っていなかった。  こんなことが考えられるだろうか。英子はすぐにはこの現実が信じられなかった。光夫との過去が断続して思い出されてくる。それはこれまで彼女に愛を信じさせ、安泰な生活を確めさせるものばかりだった。だが、今となっては泡沫《うたかた》でしかなかった。彼の親切な眼差《まなざし》、やさしい言葉、熱情を込めた仕ぐさ、その一つ一つの記憶が蘇ってくる一方、今にして思い当ることが数々うかんだ。  光夫に何かがあったとは想像できる。マージャンで夜を明かして帰って来たことも、株に手を出して困ったことも、新婚旅行の帰りに空港でどこかに電話をかけ、その晩よそに泊って帰ったことも、つづいて百十万円を両親から引き出したことも、すべては夫の隠し女につながりそうだった。  三週間をすぎると、英子は堕胎した。      2  滝村英子の家を出た光夫は、大型と小型のスーツケースを二個持って藤沢から東京に来た。すでに日が暮れていた。麻布の裏通りの、車が逆落《さかおと》しになりそうな急坂の途中にあるアパートの前で降りた。  三階建の鉄筋だが、一階の奥の窓ガラスに灯《あかり》が点《つ》いている。  ドアを細目にあけたのは二十二、三の眼の細い女だった。 「お帰んなさい」  と、女は迎え入れた。  狭い区切りだが、とにかく三間つづきの部屋で、内部《なか》は洒落《しやれ》た調度が並べられてある。藤沢の滝村英子の家の野暮ったさとはまるっきり違った雰囲気で、いわば、部屋全体にピンク色のビニールをかぶせたような感じだった。 「当分、ここに居るよ」  と、光夫は女が運んできた水割ウイスキーを口に当てて云った。 「そう。うれしいわ」  女は、腫《は》れぼったい目蓋をし、細い眼の端が少し吊り上っていた。鼻筋は細く通り、唇が捲くれ、頬が落ちているので翳《かげ》のある顔になっている。情事で窶《やつ》れているような色っぽさがあった。 「店には遅く出るわ」  女は浜井乃理子《はまいのりこ》といった。赤坂のナイトクラブに勤めているのだが、店では売れっ子である。 「友永《ともなが》さん。ご両親はもう岡山にお帰りになったの?」  光夫は、女には友永という偽名を使っていた。 「さっき東京駅で見送って来たばかりだ」 �友永�の光夫は浜井乃理子と一年前から関係があった。 「アパートのほうはどうなさったの?」 「友だちがね、家族づれで困っているので、そいつに明け渡してやったよ。可哀想だからな。ぼくは独り者だから、どこにでも転がり込める」 「それでわたしんとこに来たわけ?」 「当分の間はね」  女は光夫のスーツケースをあけ、洋服や身の周りのものを取出した。 「いい洋服ね」 「親父が今度つくってくれたんだ」 「やっぱり親御さんだわ。道楽者でも可愛いのね」  光夫は、女には岡山の果樹園の次男だと云ってある。──彼の居所は乃理子に教えてなかった。その代り彼から電話で連絡を取ったり、ときどきここに泊りに来たりした。英子のほうには、それがマージャンだったり、会社の仕事で帰宅できなかったことにしてある。ことに藤沢に移ってからは都合がよかった。 「友永さん、いつまでもここに居ていいわ、アパートが見つかるまで」 「そうするよ」  光夫は実際にそうするつもりでいた。女が二時間後に店に出て行ったあと、今ごろ英子はどうしているであろうかと彼は思った。出張に行くと云ってあるので、この一週間ばかりは騒ぐことはあるまい。つい、この前、どうも身体の調子がおかしいから、出張の間に医者に診《み》せに行くと云っていた。あるいは本当かもしれない。  今が四カ月あたりだとしても、まだ胎児は子宮に飯粒みたいにくっ付いた腫れものみたいな状態だろう。自分の子供という感じが全くしない。珍奇な出来事のようだった。  英子は、子を生むかもしれない。あるいは、彼の失踪《しつそう》によって堕胎するかもしれない。光夫はどっちでもよかった。生んだ子を育てるのは女の責任である。光夫の知ったことではなかった。生れた子に生き甲斐を託すのは英子|だけ《ヽヽ》の勝手だし、腹の中の血の塊を水液にして流し出すのも彼女の自由であった。  考えてみると、光夫は、なぜ滝村英子と正式に結婚したか自分でもよく分らない。しかも、同時に、養子縁組をしたのである。  簡単にいえば、彼のその行為は深い考えから出たのでないと結論づけられるだろう。強《し》いてその心理を分析すると、「養子」という形式に魅力をおぼえたのだ。何も先方が大金持というわけではないが、養子という責任の無さ──こっちから先方に入り込んでゆくという身軽さが彼を簡単にそうさせたのである。むろん、法的拘束の問題は別である。それは、あまり彼の関心になかった。その身軽さとは、いつでも養家からとび出せるという|自由さ《ヽヽヽ》に通じていた。  光夫は一風変った男だった。英子を知る以前から関係していた浜井乃理子には�友永|伍郎《ごろう》�という偽名で押し通していたのに、英子との恋愛・結婚の過程では、田島光夫という本名で行っていた。これも格別彼が英子を乃理子よりよけいに愛していたからではなく、いわば偶然であった。偶然という言葉が拙《まず》ければ、彼の気まぐれと云い直してもよい。気まぐれに本名を名乗って恋愛したから、気まぐれに養子に行けたのである。  光夫は自分が養子となって、法律上はともかく�滝村�姓に変ったのを喜びとしたものだった。姓の上で人格の変化があったわけだ。この奇態な喜びは、現在再び、�友永�と名乗って浜井乃理子のもとに転げこんでいることにも通じる。  光夫には、もう一つ普通と違った性格があった。それは彼の吝嗇《りんしよく》だった。  光夫は滝村英子の実家から百十万円ほどひき出している。  証券会社に穴を開けたという弁解である。普通なら、この金を恋人の浜井乃理子のもとに運ぶところなのだが、彼は、その金をそっくりそのまま銀行に預金していた。彼自身のためにである。  この性格は、光夫の生い立ちと無縁ではない。──彼は北陸の貧農の五男として育ち、東京へ出てきて、苦労しながら私立大学を出た。そのおかげで一流の証券会社に入れたが、不思議なことにその取扱う高額な金銭には興味がなかった。  興味がなかったというよりも、光夫のみみっちい観念の容積がそれを入れきれなかったという言方が当っているだろう。巨大な音響が人間の耳に捉えられないように、貧窮に育った光夫の感覚には千万円単位の金額は、それが自分のものになるという実感が無かったのである。彼の欲心は、せいぜい百万円単位であった。  光夫は、いつでも自分が自由に出来る貯金が欲しかった。それだけの金を持っているということでも贅沢な気分になれる。すぐに費消するという意味ではない。その逆なのだ。いつ、いかなるときでも勝手に使える金銭を貯えていることの心豊かさである。──これも、幼時、十分な小遣い銭を貰えず、アルバイトしながら学校を出る間、誰も一銭も貸してくれなかった苦しい経験と無縁ではない。  だから、彼は、その銀行預金のことは、浜井乃理子にも打ち明けなかった。自分だけの秘密な保有金である。  それに、光夫がそんなへそくりのことを乃理子に明かす経済的必要が彼女の側に何一つなかった。彼女は、その一流ナイトクラブのホステスのなかでも、月に二十万くらいはあげていたし、前々から女ひとりの生活だったから相当な預金を持っていた。彼は乃理子と同棲しても、自分で働くことすらなかった。  光夫は、乃理子がときどき、「商売上」の浮気をしていることは知っていたが、そんなことは意に介さなかった。それも彼女の収入源の一つなのだ。殊に、ある土建会社の重役とは月に二度くらいは身体の契約をしているらしい。その重役は、会社関係の招待をそのクラブに持ち込んだので、彼女はその水揚げの歩合でも相当な収入になった。  そんなことが分っていても、光夫は乃理子との同棲にさしさわりをおぼえなかった。ヒモの意識もまた魅力であった。  もっとも、乃理子のほうで気がさすとみえて、彼をひき入れてからは土建会社の口は別として、「雑魚《ざこ》」との浮気を止めにしてしまった。その限りでは、乃理子は光夫に愛情を持っていたようである。  同棲生活一カ月半、田島光夫はそろそろ単調な毎日に飽いてきた。朝から夕方の八時ごろまでは女と一緒に居るから別としても、九時から女の帰ってくる午前二時ごろまでの身体を持てあました。  むろん、その間には酒も飲みに行ったし、彼なりに軽い浮気もしたが、そんなつまみ喰いも彼の情熱を一向に掻き立てなかった。乃理子を愛しているからではなく、彼のけちけちした金の使い方では、気乗りのするような女がひっかからなかったのである。  その小遣い銭も、彼が自分の金を出すことは絶対になかった。自分の財産に手をつけてはならないのだ。職業を失っているのだから、小遣い銭を女から取るのは当然であった。  乃理子は、それほど吝嗇ではなかったが、男を養った上での支出だから限度がある。 「ねえ、あんた」と、女はある日、光夫に云った。「そんなに退屈だったら、少し働いてみたらどう?」 「会社づとめかい? いやだな、そんなの、もう少し先にしてくれよ」  光夫は畳の上に寝返りを打ち煙草の煙を吐いた。窓にブラインドの下りた昼間のうすい光線に煙が縞《しま》をつくっていた。 「ううん、サラリーマンじゃないの。勤め人には違いないけれど、もっと気楽な商売よ。どうせ、あんたはすぐには固い職業にはつけないだろうから」 「おれを昼間働きに出して、その留守に浮気をしようというのかい?」 「バカね。働くのも一緒の職場よ。だから、昼間はあんたとこうして居られるじゃないの」 「お。ナイトクラブで働けというのか?」  光夫は身体を回して腹匍《はらば》いとなり、乃理子を見上げた。 「そうよ。いま、ボーイさん、どこも手不足なのよ。少しばかり見習をしたら、あんなの、すぐに出来るわ」  乃理子は微笑《ほほえ》んだ。 「でも、誤解をしないでね。わたし、別にあんたを働きに追い立てるわけじゃないのよ。そんなに苦しくはないわ。でも、あんたがあんまり所在なさそうにしてるからよ」 「ふうん。君は、苦しくないといっているが、一体、どれくらい金を持ってるのかい?」 「あら、そんなにないわ。ある訳はないじゃないの?」  乃理子は少しあわてたように云った。 「そうかな」 「そうよ」  乃理子は、にやにやしている光夫を抑えるように眼を据えた。 「しかし」と、光夫は気のない声で云った。「君はいい得意ばかり持ってるから、毎月十万円ずつ蓄《た》めたとして、現在五百万円近くはあるんじゃないかな?」 「とんでもないわ。どうしてそんなに蓄まるわけがあるの! ほら、このアパートだって月に五万円よ。衣裳だって毎月一枚は必ず作ってるわ。洋服にしたり、着物にしたり、季節季節に三、四枚は着更えないと、お客からもばかにされるわ。この払いだって月に結構五、六万は要るわ。それに、つき合いだってばかにならないしね。見栄も必要なのよ」 「そうかな?」 「そうよ。あんたは男だからなんにも知らないけれど……ただ、わたしが苦しくないと云ったのは、質屋通いをしなくても済む程度という意味だわ」  光夫は、この女は、その口先にも拘らずやはり五百万円以上は蓄めているだろうと想像した。なるほど出費も相当なものだが、元来、女は貯蓄の術に長《た》けている。また店の中の収入だけでなく、これまでの彼女のいわゆる営業上の浮気で臨時収入も少くはないはずだ。  光夫は、乃理子の出勤したあと、それとなく彼女のタンスの中や荷物の底を探って預金通帳を捜したが、よほど用心深く蔵《しま》っているとみえ、どうしても見当らなかった。現金で蔵っているとは考えられないから、どこかにあるに違いない。  彼は、はじめ自分の預金百十万円が手つかずに暮せることをありがたがっていたが、そのうちなんとか彼女の預金を割《さ》いて自分のそれに加えたい気持になってきた。だが、さすがにこれは口には云い出せない。女は本能的に金銭問題を警戒する。何かの機会を狙うほかはなかった。いま乃理子の機嫌を損じては困ることぐらいは心得ていた。  さて、彼女の提案するナイトクラブのボーイという職業も、遊び半分なら結構おもしろいかもしれない。昼間の職業と違って、夜のそんな仕事なら面白いことがいっぱい起りそうであった。彼はこの際、そんな世界をのぞいてみるのも悪くはないと思うようになった。  乃理子は支配人に頼んでみると云ったが、どうも同じナイトクラブでは両方で働き辛いから、よその店に紹介してもらうように頼んでみると云った。 「あんただってお客さんのテーブルに酒や料理を運んでるとき、わたしが男客に縺《もつ》れていたら面白くないでしょ。ダンスだってきわどいことをする客もいるから、こちらも適当に調子を合せておかなきゃならないわ。あんたがそんなことでいちいち顔色を変えたら、わたしだってやりにくくて仕様がないわ」  光夫は心の中でせせら笑った。今ごろ、そんな純情な気持は持ち合せていない。この女が土建会社の重役と月契約で何をしているかもとうに知っている。今でこそ普通の客に誘われるのを断っているようだが、同棲前まではそれが月に何回あったか分らない。ただ光夫のほうで今は口に出さないだけである。 「それもそうだな」と、光夫は柔順に云った。「君が客の腕の中にしなだれかかっているとき、おれが銀盆にグラスを捧げて走り回る図はないからね」 「でしょう。だから、そうなさいよ。その店《うち》だって結構一流だし、ボーイを欲しがってるのよ。帰りに途中で待ち合せて一緒に戻ればいいじゃないの。今の生活より変化があって結構愉しいわ。あんたがやってみて嫌だったら、すぐその翌《あく》る日《ひ》から辞めてもいいわ」  話は決った。  光夫は、乃理子の口利きで同じ赤坂地域にあるナイトクラブのボーイに雇われた。むろんここでも彼は田島でも滝村でもなく�友永�であった。  こんな高級なクラブには証券会社の前の同僚が来るはずはない。証券会社も近ごろは一時ほどでないため招待の宴会をこういう場所で開くこともないのか、かつての上役の姿も見えなかった。もっとも、ずっと上の重役は分らないが、それは先方でこちらの顔を知らないのである。  光夫はわりと器用なほうだった。ボーイの見習としては年齢《とし》を食っているが、そこは手不足の現在だから、向うもすぐに採用してくれた。十日もすると、彼は一人前のボーイの恰好に出来上った。  こんなところは就職しても、別に戸籍謄本を取られるわけでもなく、極めて簡単な履歴書一枚で通った。もとより、そこに書き込む原籍地や名前も、学歴、職歴も全部デタラメだったが、調査されることはないから、極めて安全であった。  光夫は、証券会社の外交時代から人の機嫌をとることには一かどの自信があった。彼はたちまちマネージャーに取入り、朋輩の気うけもよくした。収入は見習だからそれほど取れなかったが、一かどの道楽商売を経験したつもりになっていた。客席の動きから眼を放してはならない。客が煙草を出して横のホステスがうっかりしているときは、素早くリスのように進んで客の鼻の先にライターを突き出す。ショーがはじまっているときは客の視角を邪魔しないように、猫のように背を屈《かが》めてテーブルの間を歩かねばならない。銀盆は指先で鼎《かなえ》の脚のように支え、身体をまっすぐにして歩くことだ。すべて慇懃鄭重《いんぎんていちよう》に、しかも客に対して微《かす》かな威圧感を与えることだった。 「どう?」  帰りを待ち合せた乃理子が様子を訊いた。 「まあまあ、だね」 「それごらんなさい。あんたなんか収入をアテにしなくていいんだから、結構愉しいと思うわ」  二人はすし屋に寄ったり、お茶漬屋の椅子にかけたり、ときどき夜明けまでやってるバーで飲み直したりした。      3  光夫は、働いているナイトクラブで一人の女客と知り合った。きっかけはごく些細《ささい》なことである。  ナイトクラブには男同士か、アベックの客がほとんどだが、たまには女同士の客がこないでもない。むろん、裕福な家庭の主婦で、好奇心に駆られている。男どもが夢中になって行くナイトクラブというのはどんな所だろうといったことが話題となり、友だち同士で誘い合い、のぞきに来る。  光夫が案内してテーブルにつかせたのは、三十歳から四十歳までの四、五人であった。みんな申し合せたように肥っている。彼女らは、はじめ声をひそめ、眼ばかり動かしてあたりを窺《うかが》っていたが、雰囲気に馴れるとだんだん大胆になって行った。酒のせいもあったが、ころあいの時刻になると、客が混み合って、客席も踊り場もいっぱいになり、心を唆《そそ》るような空気になる。  女客たちは仲間意識もあって、次第にあたりを怖れなくなった。光夫を呼んで命じる酒もさまざまである。 「ねえ、お店のホステスを呼んでダンスをしてもいいかしら?」 「はあ、それは構いません」  女は大柄な眼の大きい顔だった。 「あら、女同士ではおかしいわよ」  と、顎《あご》の括《くく》れた縮れ毛の女が横から止めた。 「女同士のダンスっていうのは、いかにも相手が居ないみたいでみっともないわ」  それもそうね、と彼女たちは云い合った末に、 「男の方で、わたしたちの相手をして下さる方は居ないかしら?」  と光夫に訊いた。それは客でもいいし、店に働いている従業員でも構わないという口ぶりだった。あいにくと、そんな男客は居なかったし、もちろん、従業員は客のお相手を禁じられている。  女たちは失望したが、結局、二回目のショーまで粘って引き揚げた。その眼の大きい女が倉垣左恵子《くらがきさえこ》であった。  彼女は仲間の中でいちばん金持とみえて、帰り際に光夫の手に千円札を三枚握らせた。 「あなた、名前、何というの?」  彼女は小さな声で訊いた。 「友永といいます」 「この店では古いほうなの?」 「いいえ、入ったばかりでございます」  ほかの女連がフロントで預けたコートや荷物など受取っている間だから、倉垣左恵子とはそれだけの問答しかできなかった。ほかの女が怪しむようにこちらを見たので、左恵子はそそくさと仲間の列に戻って行った。光夫は、この肥えた女がもう一回一人で店に来るような気がした。  一週間経った夜の九時ごろ、果して倉垣左恵子は単独で現れた。彼女は友永を名指しでテーブルに着いた。 「今日はお一人でございますか?」 �友永�の光夫は、注文を聞く前に微笑して左恵子に云った。 「この前があんまり面白かったものだから」 「ありがとうございます」 「この前の連中を電話で誘ったけど、みんな忙しい云うて断られたのよ」  倉垣左恵子は言訳するように付け加えた。  光夫は肚《はら》で嗤《わら》ったが、彼女の言葉に関西弁のアクセントがあるのに気づいた。 「奥さまは大阪の方でいらっしゃいますか?」 「よく分ったわね。……実はそうなのよ。東京生れだけれど、向うに永く居るもんだから、自然と訛《なまり》がうつったのね」 「じゃ、こちらは?」 「ときどき遊びに来るの。この前、お店にお邪魔して帰った翌る日に大阪に戻り、今朝の飛行機で、またこっちイ着いたの」 「それはなかなかお忙しゅうございますね」  会話はひとまずそれだけで切れた。注文を聞き、酒を運ぶ。 「お一人ではなんでしょうから、誰かホステスでも呼びましょうか?」 「そうね」  彼女は光夫をちらりと見上げ、あまり気乗りがしない風だったが、話し上手の女の子を寄越してくれと注文した。  光夫は、彼女が多分事業を持っていて、それで大阪、東京間を頻繁に往復していると思っていた。肥った身体は、そういう仕事をしている中年女によくある精力的なものがにじんでいた。  その晩も十時四十分からはじまる最後のショーを見て女は起った。それまで光夫は四回ぐらいウイスキーを運んだので、彼女はかなり酔っていた。  テーブルについたホステスは一応フロントまで客を見送ることになっているが、光夫が心待ちにその辺をうろうろしていると、果して女の子が左恵子の言《こと》づけを伝えに来た。 「友永さん、お客さまがちょっと用があるそうよ」  光夫が傍にすり足で行くと、 「出口まで見送って下さらない?」  と、倉垣左恵子は頼んだ。  地下室になっているフロントから出口までは、坂のような長い廊下になっている。左恵子は歩きながら光夫に云った。 「あんた、明日の晩、忙しいの?」 「はあ、仕事ですから、店に出ればこんな状態です」 「帰りは遅くなるわね?」 「はあ」 「一晩くらい休んでもいいんでしょ?」 「………」 「そのぶん、わたしが補償さしてもらうわ。少しゆっくり話したいの。七時半にKホテルのロビーに来てちょうだい。いいでしょ?」 「はあ」  光夫は顎のくくれた彼女の顔に眼を据えてうなずいた。  中年の女がボーイに誘いかける下心はたいてい分っている。夕方、光夫は乃理子のアパートで洋服を着更え、新しいネクタイを鏡の前で結んだ。  クッションの上に横坐りした浜井乃理子が見咎《みとが》めた。 「あら、今夜はどこかにお出かけ?」 「いや、店に出るよ」 「怪しいわね。店の女の子に好きなのが出来たんじゃない?」 「あいにくと、ぼくの趣味に合う子はいないよ」 「やっぱりよその店ではあんたを働かしておけないわね」  光夫は六時半までに店に入らなければならない。乃理子は自由出勤だから、九時ごろまでに出かければいいことになっている。彼女の店のシステムでは月の水揚げが二十万円を越すと、それが認められることになっている。売上げに達しない者は出勤時刻が決められており、五分でも遅刻すると、百円とか、三百円とか収入から引かれるしくみになっている。  光夫は乃理子の疑うような眼に送られてホテルに急いだ。彼はタクシーの中で、あの女がどうして自分に興味を持ったのかを検討してみたが、自分の顔にそれほどの自信はなかった。しかし、なんとか納得できそうな想像は、二十八という自分の年齢が倉垣左恵子に適当しているということだった。  あの女の好みからいって、坊やのような若い相手では気がすすまないのだ。二十七、八の男だと、その年ごろに滲《にじ》み出てくる男臭い生理的なものに中年女が惹《ひ》かれるのであろう。  多分、あの女は事業のため夫とはあまり一緒に過していないと想像される。夫も適当に忙しく、またほかにも女がいるのかもしれない。  だから、この女は、大阪ではできないが、東京に浮気の相手を求めているのではなかろうか。それとも夫が老い過ぎているのかもしれない。いずれにしても、ふんだんに金を持っている女と踏んだ。  ロビーに入ると、倉垣左恵子は和服で待っていた。女が服装を更えて待つのは、男を引き寄せようとする動物的な努力である。彼女は濃いめに化粧をしていた。 「よく来てくれたわね」  と、左恵子は鼻の頭に汗を浮べて笑った。ちょっと気づかなかったが、笑うとかなり深い靨《えくぼ》が出る。真面目なときよりも存外可愛い表情だ。  特別な個室で食事をするのかと思っていたが、普通の食堂《ダイニング》で対《むか》い合《あわ》せになった。周囲には外人を交えた泊り客が身だしなみよく皿をつついている。  存外ふんいきの出ない女だと光夫は思った。それとも吝嗇《けち》なのかもしれない。 「主人は大阪で貿易商をしてるの」と、左恵子は打ち明けた。「始終アメリカに行ってるのよ。いまサンフランシスコにいるけど、来月でないと帰らないわ」  それで事態がはっきり光夫に呑みこめた。亭主は日本に居ない。女は長いこと放っておかれている。 「大阪で気晴しをしようと思ったかて、すぐにいろいろ云われるから、つい、東京に足を伸ばして昔の友だちを集めるようになるの」  それがこの前のグループだった。だが、いずれも東京で家庭を持っているので、いつも誘い出すわけにはいかない。亭主持ちはつまらないわね、と彼女は云った。 「わたし、東京のほうは実はよく知らないの。あんたの店や、ほかに、一、二軒のバーを知ってるだけ。行儀がいい店は飽きがくるから、今夜はあんたの知っている面白い所を少し連れて回ってちょうだい」  光夫は、大してその方面に知識はないが、よかったら二、三軒案内すると云った。 「あんた、迷惑じゃない?」と、左恵子は念を押した。 「奥さんはあるんでしょう?」 「独り者ですよ」 「じゃ、アパートに居やはるの?」 「そうなんです。いつ帰っても構いません」  彼は眩《まぶ》しげに眼を伏せた。女は軽く、そう、と云っただけで、それ以上は追わなかった。彼女は初めから遊ぶ気分なのだ。食事も軽く済ませた。 「東京では、いつもこのホテルにお泊りなんですか?」 「そうよ。五階の五二六号室やわ。たいていいつもそこに決めているの」  番号まで教えられた光夫は、ドアの鍵をポケットに投げ込まれたような気がした。 「ぼくはこんな高級なホテルに泊ったことはないんですが、どんな設備か、一ぺん見学してみたいですね」  彼は探りを入れた。 「そう。大したことはないわ。そりゃ入ったときは豪華に見えるかしれんけど、そのうち壁を見るのもイヤになるわ」  光夫は倉垣左恵子を伴れて「高級でない」バーを二、三軒まわった。彼女はそれほど酒は強くないが、女としては飲めるほうである。時間が早いせいか、どこも客が少く、彼女を刺戟するものはなかった。  女給たちは男客よりも同伴の女に気を遣う。彼女は女の子に髪のかたをほめられ、服装を賞讃され、指に嵌《は》めた二カラット以上のダイヤを羨しがられた。 「あんなところ、期待したほどではなかったわね」  外に出てから左恵子は云った。 「わたし、もっと殿方をとろけさすような雰囲気があるかと思ったわ」 「健康なものですよ」と、光夫は答えた。「それを家庭の奥さん方は、バーやキャバレーだというと、はじめから罪悪視するんですね」 「がっかりやわ」と、彼女は云った。「ねえ、もっと面白い所ない?」  この女はもっともっと刺戟を望んでいる。多分、アメリカで勝手な遊び方をしている亭主にどこか敵意を持ち、張合う気持になっているのかもしれなかった。  光夫は、新宿裏でもっと下品なサービスをする店を知っていたが、そこへ行っても、女たちはやはり女連れの客に遠慮して、いつもの面白さはないだろうと思った。  それに、そんな店は彼がまだ証券会社に勤めているとき遊んだ所だから、いま顔を出すのは拙い。かつての同僚が来ているかもしれないし、彼が来たことを女たちがあとで吹聴するかも分らなかった。彼は当分の間は過去と絶縁しておく必要があった。  光夫は、その新宿の裏にゲイバーが一軒あったのを思い出した。 「奥さん、少し変っているかもしれませんが、男ばかりがサービスをする店はどうですか?」 「ああ、ゲイバーいうのんやね。面白そうだわ。話には聞いているけど、一度も行ったことないわ」 「今までとは店の雰囲気ががらりと違って、お気に入るかもしれませんよ」 「でも、気持が悪くない?」 「さあ、どうですかね。ですが、水商売関係の女の人は面白がってよく行きますよ」  実際、銀座裏のバーのマダムも、よく客にせがんでゲイバーに行きたがる。  左恵子が興味を示したので、光夫は新橋の烏森《からすもり》近くにあるその種のバーを思いついた。名前は知っているが、彼もまだそこに足を入れたことはなかった。  新橋だとタクシーに乗るほどのこともなかったが、店が分らないので運転手にチップをはずみ、その店を探させた。運転手は新橋界隈をぐるぐる回り、ようやく聞き出した。  車から降りるときの女の脚は少し縺れていた。 「大丈夫ですか?」 「そんなに酔ったかしら。そうでもないでしょ?」  ドアを押すと、煙草の煙が渦巻いている中から、細縞の着物に角帯を締めた男が、いらっしゃいませ、としなをつくって迎えた。奥の深い家だった。  席に落着くと、髪を角刈にしたのや慎太郎刈にした若い男が、妙な腰つきをして群《むら》がって来た。揃って角帯を腰近くに結んだ男ばかりで、言葉は女であった。 「ご免なさい。わたし、中に割り込ませていただくわ」  二十二、三の、痩せた男が、腰をくねくねさせて、光夫と左恵子の間に坐った。 「あら、狡《ずる》いわ、お栄さん。じゃ、わたしはこちら」  二人の若い男が、急いで光夫の横と、左恵子の横に膝を擦りつけるようにして坐った。  テーブルの前にも三人が並んでいるが、どう見ても頑丈な男としか思えない。色の黒いのも咽喉の太いのもいた。顎の剃りあとも蒼かった。  光夫は、どうせ自分の懐ろは痛まないから、連中に好きな酒を注文させると、あら、うれしいわ、とか、頂くわ、などと嬌声《きようせい》をあげた。  大丸髷《おおまるまげ》の女が来たが、これがママだった。新派の舞台に出てくるような眼鼻立ちの派手な顔だが、もう四十に近い男である。帯の間から名刺をくれたが、やはり女名前が印刷されてあった。  ここのサービスは話に聞いた以上で、光夫を挟んだ両側の男は、彼に縋《すが》りついたり、ワイシャツの中に手を入れたり、股の間を探ったりする。 「おい、よせよ」  と云っても、彼女らは身体じゅうに手を伸ばしてきた。 「あら、あんたがた、いい加減になさいよ。お客さまが照れてらっしゃるじゃないの。……ねえ」  と、斜め前にいる倉垣左恵子に婉《えん》な眼を向けた。左恵子は赧《あか》くなって笑っていた。 「ご免なさい」  と、両方の間に挟まった角刈が左恵子にお辞儀をし、 「でも、この方、とてもセクシーなんですもの。少しわたしにもいじらせてね」  と、光夫の太股を両手で揉《も》んだ。 「ほんとに行儀の悪い人たちだわ。じゃ、あたしは奥さまの傍に坐ってしんみりと話すわ。……おスミちゃん、そこどいて」 「あら、ママ、いやよ。わたしは、この奥さんが好きなんだから」 「へん、おまえ、両刀使いなのね」  左恵子の横に大丸髷が坐った。ママは左恵子の着物の柄をしきりに賞め、女のように裾をめくって裏地の好みを賞め、帯の趣味がいいと云って撫でている。むろん、ダイヤの指輪も彼女の指から抜き取って眺めたりした。  だが、ここでは今までのバーと違い、男客に対うサービスに遠慮はなかった。言葉も卑猥《ひわい》となり、しぐさも大胆だった。  左恵子は咽喉が渇いたように、何度も酒のお替りをしていた。      4  翌朝、光夫がアパートに帰ると、浜井乃理子は頭から蒲団をかぶって寝ていた。  合鍵でドアをあけたり、ごとごと歩き回る音がするので、乃理子は眼を醒ましているはずだが、蒲団の中の身体は微動だもしなかった。不貞腐《ふてくさ》れて寝ている女の姿である。  光夫はネクタイを解き、洋服ダンスをあけて、ズボンを脱いだ。わざと高い物音を立てても乃理子は顔も上げなかった。台所で顔を洗い、椅子に坐って煙草をふかしていると、 「あんた、昨夜はどうしたの?」  と、はじめて乃理子の尖《とが》った声が飛んで来た。 「昨夜かい、友だちとマージャンしたんだ」 「嘘ばっかり」乃理子は言下に撥《は》ね返して「どこかの女と浮気したんでしょう?」 「マージャンだ」 「隠しても駄目よ」  女は蒲団を蹴るようにして起き上り、たくれたネグリジェのまま光夫の真向いに坐った。髪がくしゃくしゃになり、白粉気《おしろいけ》のない顔は眼ばかり光って蒼凄《あおすご》んでいる。光沢のない、ざらざらとした皮膚だった。 「あんたがいくら隠しても、そんなことわたしが分らないと思っているの?」  乃理子は脚を組み、両手で膝を抱えていた。 「ふん、蛇《じや》の道《みち》はヘビかい?」 「そうよ。あんな店に働いてるおかげで男の裏は全部知ってるわ。シロウトに云うようなごまかしを云わないで」 「まあ、勝手に想像をするさ」 「どこの女? バー? キャバレー?」  乃理子は軽蔑した口調で訊いた。 「………」 「つまみ食いもいいけどね、あんまり妙な女と関《かか》わり合いをつけないでよ。あたしの顔に関わるわ」  顎を反らせて空嘯《そらうそぶ》くように云う。ナイトクラブの売れっ子という意識だが、何様《なにさま》にでもなったつもりでいるのか。 「昨日、あんたが出かけるときから、おかしいおかしいと思ってたわ。十一時ごろ店に電話したところ、案の定、今夜は休みだと云うじゃないの。ははんと思ったわ」 「ときには、ぼくだって気晴しが必要だからね」 「結構よ。女に養ってもらって気晴しに浮気をすれば、世話はないわ」  乃理子は眼を怒らし、煙草の煙を空に向けて一直線に吐いていた。  光夫は、その晩も店を休んで倉垣左恵子と旅館で逢った。左恵子もKホテルでの密会を遠慮している。  左恵子は昨夜よりももっと光夫に執拗《しつよう》だった。この女は、亭主の留守中渇き切ったものを一どきに彼に求め、毎晩逢ってくれともだえた。夫との交渉が途切れた時期は、なんとか諦めをつけているが、一たびこんなことがはじまるともう抑えようもないと白状した。  光夫が店の仕事があるのでそうはつづかないと云うと、 「あんた、いっそ大阪にこない?」と、女は脂の浮いた顔で誘った。「今のところの給料だって知れてるでしょ?」 「そりゃそうですが」 「大阪に来なさいよ。わたし、どんなところでも世話するわ。これで大阪ではわりと顔が広いのよ」 「しかし、ぼくなんかもう中途半端な年齢《とし》だから、どこに行っても大した口はないでしょう」 「そんなことないわ。世の中はコネよ。相当な会社に入れてあげるわ。それとも、あんた、ボーイのような道楽商売が好きなの?」 「いや、好きではないんです。もともと前にはこれでも普通の会社勤めをしていましたからね。やっぱり堅い職業に就きたいですね」 「そんならなおさらやわ。あんたが大阪に来れば、わたしだってどんなにうれしいか知れへんわ。好きなときに逢えるんだもの。……あんたがこっちにいる限りわたしだってわざわざ東京までこなきゃならないし、とても不便やわ」 「しかし、ご主人がおられるでしょう?」 「大丈夫。主人は始終外国を往復してるんですから。大阪に居る間だって平気よ。どんな口実かて作れるわ」 「そいじゃ、ひとつ頼むかな」  光夫がそう呟《つぶや》いたのは、そろそろ乃理子にも飽きかけてきたからだ。このまま乃理子と一緒にいても先は知れている。それよりも、この金持の女の云うことを聞いて大阪に行けば、新しい天地が開けて来そうだった。 「そう、決心してくれる? うれしいわ」  蒲団の中でならんで腹匍っていた左恵子は汗ばんでぬるぬるしている身体の下に光夫をまた引き寄せた。 「いつ来るの?」  彼女は可愛くてしようがないように彼を締めつけた。肥ってぶよぶよしているし、乳も、腹も、腿《もも》も、暑苦しいくらいに大きい。 「そうですね、急というわけにもいかないから、あと三週間ぐらいで行きます」 「だってあんたは独り者でしょ。あんな店なんか辞めるのはいつでもできるはずよ。もっと早くこれない? それとも相談する親戚か何かあるの?」 「そんなものはありません。ただ、恥を云うと、いろいろ借金があるんです。アパート代だって三カ月溜めているし、洋服屋や友だちに借りた金もあるし、そんなものを整理しないと……」 「いくらあったら足りるの?」 「そうですね」  光夫は計算するような顔をし、どれくらい云い出したものかと考えた。 「さし当り二十四、五万円あったらいいと思います」 「そう。じゃ、明日、Kホテルにいらっしゃい。そのとき三十万円ほど上げるわ。いいこと?」 「けど、悪いな」 「遠慮しないでいいわ。ぜひその気になって」  その晩も、光夫は乃理子と大喧嘩をした。 「わたしたちの別れるときが来たわね」と、彼女は激しい口論の末に云った。「あんたもほかに好きな女が出来たようだし、わたしもそろそろ自由になりたいわ」 「ふん、自由になりたいというのは、別な男が眼についたわけだな?」 「そんなことはどっちでもいいわ。ねえ、別れようよ」 「別れてもいいが、おれもそうなると、今の店に勤めているわけにもいかない。また別なアパートも借りなきゃならないんでね、君の蓄めた金から少し貸してくれよ」 「手切金なの?」 「まあね。しかし、ぼくの都合がよくなったら返すんだから、まるきりの手切金でもないね」 「そんなことアテになるもんか。まるきり呉れてやるようなもんだわ。あんたのような能無しには金が蓄まるわけはないからね」 「何でもいい。そちらでばかにするのは勝手だ。こちらは金さえ貰えば、君が何をしようと文句はないよ」 「あら、文句を云うつもりなの?」 「君も困るだろう。せっかく立派な旦那を持っても、おれのような男が絡《から》んでいれば」 「あんたがそんな性悪な男とは知らなかったわ」 「簡単だよ。君の蓄めた金を少し出せばいいんだからね」 「いくら欲しいの?」 「そうだな、さし当り百万円でいい」  光夫は、それを高額な金と思っている。自分が現在蓄めている貯金の額とほぼ同じだったからだ。つまり、それが彼の実感としては最高だったのである。 「そんな金、あるもんか」 「そう来るだろうと思った。だが、ごまかせないよ。君の収入からすると、それくらいは小遣い程度だろう」 「とんでもないわ。これでいろいろかかるんだからね。そうね、三十万円ぐらいだったら出してもいいわ。それでもわたしには全財産に近い金よ」 「ごまかしても駄目だ。そいじゃ、君の預金通帳を見せてくれよ」 「そんなもの持ってやしないわ。三十万円の金だって友だちに貸してあるのよ。それを取ってくるんだから、どんなに少いか分るでしょ」  光夫は、乃理子の留守に彼女の荷物のあらゆるものをひっくり返して捜したことがあるが、遂に預金通帳は発見できなかった。大事な通帳を他人に預けることは考えられないから、よほどうまく隠しているらしい。むろん、三十万円が彼女の全財産に近い預金とは考えなかった。 「まあ、いい。おれはどうしても百万円は君から貰いたいんだ」 「ほんとにあんたは毛虫みたいな男ね。さんざ女に食わせてもらって金まで強請《ゆす》るんだから」 「そういう男と今後一切交渉が無くなるんだから、君だってせいせいするだろう」  その晩は、光夫は乃理子から離れてクッションの上に毛布を巻いて寝た。  翌日午前中には、乃理子がいつものように髪のセットに出かけた。その留守にアパートの管理人が銀行から電話がかかってきたことを報らせた。 「乃理子は今いませんが、ぼくが出ますよ」  銀行と聞いて、彼は急いで電話口へ出た。 「浜井乃理子さんはいらっしゃいませんか?」  銀行員の柔らかな声が訊いた。 「乃理子は居ませんが、ぼくは一緒に居る者ですから、帰ったら伝えます。どういうご用件でしょうか」 「失礼ですが、同居人の方ですか?」 「そうです、同居人です」  男の同居といえば、向うも内縁の関係と察したらしい。 「実は、お預りしている預金通帳に利子を記入しましたから、近いうちに一度いらしていただきたいんです。そうお伝え願います」 「待って下さい」光夫はあわてて訊いた。「そちらは何銀行ですか?」 「××銀行の渋谷支店です」  乃理子は預金通帳をずっと銀行に預けっ放しにしているらしい。いくら捜しても家の中に無いはずだった。乃理子も今までは独りで暮していたので、不用心を考えてそうした手段をとっていたのだろうが、判コだけを肌身放さず持っているらしい。 「利子と云われましたが、その利子とも全額いくらになります?」 「六十二万七千五百円になります」 「えっ、もう一度おっしゃって下さい」  光夫は聞き間違いではないかと思ったが、銀行員は同じ額を繰り返した。  光夫は部屋に戻ったが、がっかりした。乃理子の云った通りである。なるほど、彼女が三十万しか出さないと云ったはずだ。全財産の半分に当るわけだ。  光夫は予想が狂った。女は確実に五百万円以上は持っていると思ったのにたった六十何万円しかないのだ。彼はむらむらと腹が立ってきた。彼は彼女に騙《だま》された気持になった。  光夫は、乃理子がセットから帰って来ても銀行のことにはふれなかった。だがこの女の顔を見ると、無性に腹が立ってくる。  彼はいらいらして倉垣左恵子との媾曳《あいびき》に出かけた。今夜はホテルに来てくれというので、アパートの近くからタクシーに乗り、ホテルへ着いた。フロントの前を素通りし、この前教えられた部屋番号のドアの前に立った。 「よく来てくれたわね、友永さん」  と女はいきなり太い身体の中に光夫の首を抱き込んだ。何度も何度も彼の口の中に舌を差し入れた揚句、顔中ぺろぺろと舐《な》めた。 「今夜はここに居ましょうよ。外に出るの面倒臭いわ」  見ると、ベッドのカバーは取外され、いつでも横たわれるように支度が出来ている。豪華な部屋の上にベッドも普通のシングルよりは広い。 「だけど、ぼくたちがここでそんなことをしては、ホテルの者に変に思われるでしょう」 「昨夜はそう考えたけれど、かまわないわ。まだ時間も早いし、あんた、十一時ごろ帰れば大丈夫よ」 「しかし、女ひとりの部屋に男が三時間も居ては、やっぱり妙に思われますよ」 「もう覚悟を決めたわ。ここに居ましょう。鍵をかければ平気だわ。それに、十一時を過ぎるとボーイも寝てしまうから、あんたがいつ帰ったか分りゃしないわ」  左恵子はたちまち彼の眼の前で、持参の派手な寝巻きに着更えた。 「三十万円は帰りに上げるわ。それでいつ大阪に移れるの?」 「そうですね、一週間のうちに行きますよ」 「そう、そんならわたしがアパートを見つけておくわね。大阪に来たらすぐにわたしの家へ電話してちょうだい。アパートに案内するわ」 「そうします」 「楽しいわ。もう一軒自分の家が出来たみたい」  その鍵のかかった部屋で三時間を過した。光夫は浴槽で汗を流して出ると、頭の芯が抜けたようになった。彼は左恵子から一万円札で三十枚、封筒に入ったものを渡され、ポケットに入れた。 「あんた、それ、無くさないようにね。ちゃんとボタンをかけて仕舞っておくのよ。大丈夫?」  と、左恵子は上衣の上から叩《たた》き、子供に大金を持たせたように心配する。 「じゃ、待っているわね」  帰るときに左恵子は何度もしつこい接吻をした。  光夫はドアの外に出てサービスステーションの前を歩いたが、左恵子の云う通り、そこは真暗になっている。ボーイの眼にも咎《とが》められずエレベーターに乗った。ここも時間を過ぎているので、客がボタンを押すセルフサービスになっている。  フロントの前は事務員が睡そうな顔で雑談をしていたが、彼は泊り客のような顔でさっさと外に出た。別に事務員たちに変な顔もされなかった。  ホテルの前に待っているタクシーに乗った。客を拾うために四、五台ぐらい並んでいた。 「麻布の広尾《ひろお》」  と行先を命じて、五百メートルも走ると赤信号にひっかかった。すると、二列に並んで停っているタクシーの一台のドアが開いて、彼の車を目指して飛鳥のように駆け寄ってきたのがなんと乃理子だった。彼女は外からガラス戸を叩いた。みっともないので光夫がドアを開いてやると、彼女は横に飛び乗ってきた。ハアハアと息を切らせている。  光夫は乃理子がうしろから追跡してきたと知ったとき、この女はホテルの前で彼の出るのを見張っていたと直感した。 「見たわよ」彼女はいきなり云った。 「友ちゃん、あんたの女は大したものね。Kホテルに居るじゃないの」 「………」 「どの部屋に入ったかもちゃんと知ってるわ。金持の未亡人だか奥さんだか知らないけれど、あんたも、いい腕だわ。……それなのにわたしの金から三十万円も取上げようなんて、ひどい人ね」 「………」  光夫は仕方なしに煙草をふかしていた。 「でも、相手が分ったからには、今度はわたしがあんたに絡むわ。今までわたしがあんたを養っていたんだから、それくらいの権利はあるわ」  光夫は怒りがこみ上げてきた。この女、金があるように見せかけておれを騙してきた。その上、せっかく掴《つか》んだ機会を潰そうとかかっている。おどかしではない。この女のことだから、何をするか分ったものではない。 「ちゃんと覚悟してちょうだいよ」  乃理子はハンドバッグから煙草を取出し、光夫の顔を横目で見た。  光夫は、運転手が先ほどから女との会話を聞いていると思うと、車を変えたくなった。 「君、そこで降ろしてくれ」  青山の墓地の入口だった。      5  光夫は大阪に移り、夙川《しゆくがわ》のアパートに入った。部屋代三万五千円であった。このとき、彼の姓は友永ではなかった。  このアパートを見つけてくれたのも倉垣左恵子である。彼女は芦屋に居たので、あまり遠い所に彼が居住するのを好まなかった。夙川なら大阪へ出る途中である。アパートは川と松林の見える風雅な所にあった。  光夫は、そこで一日中何をすることもなく左恵子が忍んで来るのを待った。彼女は一週間に四度ぐらい訪れ、そのうち二回は泊って行った。部屋は二階にあったので、肥った彼女は、階段を気忙《きぜわ》しげに上って来たせいか、それとも男に逢いたさのために急いだのか、入口で息を弾ませた。  彼女は、極めて合理的に設計された台所で立働き、可愛い男のために食事の支度をした。小さな食卓に差し向いで坐り、彼の好みに合うように苦心したそれらの料理を両方からつつき合った。 「ウチでは一度もこんなふうにしてやったことはないわ」  と、彼女は云った。 「いつも女中まかせなの。女中は二人いるから、つい、わたしが手を出すのが億劫《おつくう》になるの。それというのも、彼に対して誠意がないのかもしれないわね」  料理を作ることが誠意の有無に関わるとしたら、左恵子は光夫にこよなき愛情をみせていることになる。もともと、彼女は光夫には母性愛みたいなものを持っていたから、身の周りのものも気を配って整えた。下着の洗濯など確実にやってくれた。彼の部屋はとうてい男の独身者が住んでいるとは思われないほど調度が揃い、豊かな家庭的雰囲気に満ちていた。 「わたしがこうして来るの、近所の人は変に思わないかしら?」  彼女はしきりとそれを気にした。しかし、アパートの生活は、居住者に好奇心は強くとも互いに干渉することはない。ほかでどのような蔭口が囁《ささや》かれようが、ここまでは聞えることはなかった。彼女は洋服を着たり、着物にしたり、そして、その柄を取替えたりして、いつも年若い男に新鮮さをみせた。 「これでも、アパートの人にちょっと気づかれないように変装してるつもりよ」  彼女は面白そうに云った。 「主人はまだアメリカから帰らないの。二カ月ぐらいはかかりそうよ」  貿易商だから、外国のほうぼうを飛び回り、その先々で違った女と接触していることであろう。 「前はいらいらしていたけれど、もう、どんな勝手なことをしていても平気だわ。金さえきちんきちんと送ってくれたら、それで何も云うことはないの」  彼女の口吻《くちぶり》から察すると、相当な送金がありそうだった。どのような商品を外国に売込んでいるのか、光夫は、ついぞ彼女の夫の商売の内容について説明も聞かなかったし、また質問をする興味も起きなかった。彼には直接関係ないことであった。  光夫は左恵子から小遣いと愛情を与えられた。どちらも潤沢だったが、愛情のほうは彼女自身を溺《おぼ》れさせるものだった。肥った肉体は光夫の中で歔欷《きよき》し、蠕動《ぜんどう》した。  光夫は、左恵子の希望する体位に彼女の夫の趣味を想像した。女は違う男と寝ることで夫を想い、不貞意識に浸るらしかった。  女がこない日、光夫はごろごろと畳に寝たり、近くの河原に下りて石を投げてみたり、映画館に入ったりした。そうした運動で彼は左恵子の重量の圧倒に耐える体力を作ろうとしているかのようであった。  しかし、光夫の関心は新聞だった。もっとも、近ごろではそれがだんだんにうすれている。  大阪に移った当座、彼は社会面を気をつけて見ていた。大阪の新聞は東京の事件をあまり扱わなかったし、載せても小さな記事にしかならなかった。それでも、ここに移った日の朝、次のような記事が眼についた。  それは東京の青山墓地で女が絞殺死体となって発見された事件であった。死体は夥しく並んだ墓場の一隅に俯伏《うつぶ》せとなっていた。検視の結果では、死後十数時間で、発見された日の前の晩に兇行がおこなわれたとあった。判明した被害者の名前は浜井乃理子といって、赤坂の某ナイトクラブに勤めているホステスだ。彼女は麻布の広尾のアパートに�友永�という男と同棲していたが、事件の晩から�友永�は行方不明になっている。この男は別なナイトクラブのボーイをしていたが、事件の起きる二、三日前から欠勤していた。しかも事件当夜から彼が行方不明になっているので、警察では�友永�を重要参考人として全国に指名手配している。──  光夫は、この記事を見て安心を覚えた。結果が出てこないと、どうにも不安なものだ。一つの行為をするからには具体的な結果を見なければならない。たとえ自分の手で乃理子の頸《くび》を絞めても、それきり誰にも知られないでいるとすれば、自分の行為が行方不明になってしまう。何ごとも分らないままになっているというのは不安なものだ。  とにかく光夫は、この記事をあまり自分の身近なこととは考えないで読んでいた。絞めたのは闇《やみ》の中で、近くのアパートの灯が層々《そうそう》と空に光っていた。そんな現実も、一夜が明けると頼りない記憶となっていた。  それに、この重要参考人は�友永�で、彼の本名ではなかった。また事件の起ったのは大阪から遠く離れた東京である。そんなことも彼に直接的な感覚を起させなかった。  もちろん、光夫は、�友永�が警察によって捜査され、住んで居た所や、働いて居た場所、乃理子を中心とする人間関係などに綿密な聞き込みが行われていることを十分に想像していた。  光夫は大阪に移るとすぐに�友永�の姓を�滝村�に変えていた。 「実は、ぼく、ほんとうは滝村というのです」と、彼は倉垣左恵子に云った。「友永というのは、ああいう商売は本意でないため仮りに名乗っていたのです」 「滝村のほうが素敵だわ」  と、無邪気な左恵子は云った。  滝村のほうが�友永�よりも�田島�よりも合法的な姓なのである。それで、アパートにも滝村名義で標札を出していた。  さらに一カ月経った。  彼の身辺には何ごとも起らなかった。捜査の手は彼から風のように逸《そ》れたか、あるいは�友永�の追及が途中で挫折《ざせつ》したかであろう。  彼がなぜ乃理子を殺したのか。確かにいえることは、乃理子の貯金が思ったほど無かったのが殺すほどの憎しみを起させたのだった。  青山墓地の前にタクシーを停めたのは偶然だったが、この偶然も殺人の環境づくりに手伝った。金の無い、用の済んだ女が、これからますます利用しなければならない金のある女を彼から妨害する理屈はなかった。 「いつまでも、そう遊んでいてはあんたも退屈だわね」  と、左恵子は遊びに来て云った。 「気晴しに働いてみてはどう?」 「そうだな」 「こんなことを云ったからって、わたしはあんたの給料をアテにしているわけじゃないわよ。わたしの負担を軽くしたい気持は全然ないの。でも、若い男が職業もなく毎日家に居れば、やはり近所の眼につくからね、みっともいいことではないわ」  近所の眼につく──なるほど、これはいいことではない。刑事の聞き込みは、挙動不審な人物に注意が向けられる。つまらないことに疑いを持たれて破綻《はたん》を呼びよせることはない。  光夫は左恵子の口利きで御堂筋《みどうすじ》にある某PRセンターに入った。もちろん、滝村光夫の名前だが、履歴書を書いただけで、別に戸籍謄本を求められることはなかった。小さな会社なので煩《うるさ》いことは云わなかったのだ。  滝村光夫は、そこでかなり有能に働いた。PRセンターの仕事というのは、各会社のPR雑誌の編集を請負ったり、広告文を作ったり、あるいはこちらから宣伝企画を立ててプランと下請仕事を売込むことだった。光夫はわりあい思いつきがよかったほうなので、彼のアイディアのいくつかは大会社によって採用された。 「成績がいいそうで、うれしいわ」  と、倉垣左恵子はアパートにやって来ては満足そうに云った。 「あんたはやっぱり頭がよかったのね。そんな素晴しい頭脳を持っているとは知らなかったわ」 「君のおかげだ」と、光夫は礼を云った。「君が居なかったら、ぼくはナイトクラブのボーイで道楽商売に身を持ち崩したかもしれない」 「素質がよかったのよ」  倉垣左恵子は脂の浮いた顔に眼を細めて、じっと彼を見た。 「わたしだって世話甲斐があったわ」  この頃になると、もう彼女の亭主が外国から戻って来ていた。彼女がアパートに来るのも前のようにはいかなくなり、まるきり一週間こないことがあった。しかし、実際に亭主と暮しているせいか、回数少く来る左恵子は、その不貞意識を募らせ、光夫に向って今まで以上の激しい欲望を行った。  給料は、彼の有能にも拘らず、その会社が小さかったので二万円ぐらいしか出なかった。むろん、それで彼の生活にヒビが入ったわけではない。左恵子は今まで通りにアパート代を払ってくれ、小遣いとして別に五万円を呉れた。 「浮気しないでね」  と、彼女は光夫に逢うたびに懇願した。 「あんたが知らない女と、わたしにしてるのとおなじようなことをしてるかと思えば、ノイローゼになりそうよ」  一体、この女はどれくらいの金が自由になるのだろうか。貿易商というから、亭主は相当な金儲けをしていて、財産もふんだんにあるに違いない。光夫はいま百三十万円足らず持っているが、いつでも同額ぐらいの金は左恵子から取出せそうである。  ここにも彼の現実意識があった。つまり、彼女の財産が何千万円あろうと、その金額は彼の実感に無かったのである。彼の財産がふえたという実際の感じを持つには、自分の握っている財産から桁外《けたはず》れに大きいものは適当でなかった。子供は百円玉を握ってこそ喜ぶが、一万円札を与えてもうれしい顔はしない。あんまり厖大《ぼうだい》すぎても実感に遠い。そのケチな意味では、光夫は貧しい生活の体験から、その意識が抜け切れてはいなかったのである。  藤沢市にいる滝村英子は、光夫が家を出てから半年くらいは彼が戻ってくるような気がして待っていた。出張にゆくと称して家を出たのは、すでに会社を辞めて計画的な逃走だった。それが分ったため妊娠したのを直ちに中絶した。それはあながち彼を諦めたからではなく、ほとんどは嫉妬に駆られたからだった。むろん、彼から騙されたのは、彼に女が居たからだと想像した。  両親は、光夫はもう二度と戻ってこないと娘に云い聞かせたが、英子にはまだ合点のいかないことがある。それは彼が自分の籍に入っていることだった。もし、騙すだけが目的だったら、入籍などはしないはずだ。光夫は気の弱いところがあるから、英子と一緒になる前から関係を持った女に責められて家を出たように思えた。  英子は当座こそ光夫に憤っていたが、日が経つにつれ次第に彼の帰りを待つようになった。  入籍していることが何より彼の気持を見せている。女に唆《そそのか》されてどこかで同棲はして居るが、とても永つづきはしないように思われた。あるいは一時の方便で、相手の女の気を静めるためそうした非常手段を取ったのだろうと思った。  英子の両親は娘が可愛いので、他人《ひと》に頼んで婿の行方を捜してもらったが、これは効果がなかった。光夫はどこに行ったのか。  英子は彼がやはり東京に居るような気がした。東京以外に就職するところは無さそうだからだ。ほかの会社に入れば、謄本か抄本を必要とするので、そんな請求はなかったかと、市役所の戸籍係の窓口に足を運んだが、そういう請求はきていないと係は言明した。  東京は広いから、光夫が住んで居る所を突き止めるのは困難だった。これは砂浜からケシの粒を捜し出すにもひとしい。それでも、あるいは光夫に往き遇うこともあろうかと、父親は一カ月ばかり東京の目ぼしい所を歩いたりなどした。  近所に体裁が悪くて仕方がない。新夫婦のためにわざわざ家も新築したのだから、すぐに別れたとは云えなかった。英子は近所の人に訊かれると、夫は会社の用事で外国に半年ばかり駐在していると答えていた。  その半年が過ぎた。近所でも妙な眼つきで見てくる。たとえ実際のことは分らなくとも、世間の人は敏感に真相を嗅ぎ取るものだった。英子さんは婿さんに逃げられた、という噂が密《ひそ》かに立つ。  半年経っても夫が戻ってこないのだから、もう半分は諦めざるを得なかった。ただ、困ったことに英子は再婚するわけにはいかないのである。戸籍面では滝村光夫の妻となっている。失踪届は生死不明が七年以上にわたらないと効力を発生しない。現在の期間では家庭裁判所も取上げてくれないだろうし、またそうすることは町中の噂になりそうなので耐えられなかった。  結局、英子は新居を別なサラリーマンに貸して両親の実家に戻った。出戻りということばはあるが、置去りを喰った妻は何と呼ぶのであろうか。  英子は夫のことばかり考えるのは諦めるようになったが、まだときどき思い出していた。彼女が銀行の窓口で扇のように札束をひろげていたときに、ドアを勢いよく押して入ってきた田島の姿、勤め帰りに喫茶店で落合ったときの彼の表情と話し具合、結婚してからの短い生活──そういう善良な彼ばかりが浮んでくるのだった。  一年がすぎた。光夫の消息は依然として分らなかった。このまま七年すぎて失踪届の効力発生を待つか、それとも別な方法で裁判所に離婚手続きを持ち出すかするほかはなかった。だが、一方はあまりに年月が長すぎ、一方はやはり世間体という壁に突き当った。  ──しかし、実は光夫が失踪してから半年ほど後に、彼のほうから或る接触が英子の近くまで試みられたのである。ただ、それは英子の両親も全く気がつかなかった。      6  姓を変えただけでも、人間は別な人格になった意識を起すらしい。少くとも光夫はそうであった。  英子と結婚して滝村という家に入籍したときは戸籍上の手続きだけで、彼はまだ田島という本来の人間のつもりでいた。つまり、英子にそれほどの愛情はなかったし、養子に行ったという気持はしなかった。  しかし、�友永�は全く自分でつけた名前だったので、その時から彼は友永という男になり切れた。はじめ、浜井乃理子と恋愛した際に本名を使わずにこの名前を使用した。それは相手がナイトクラブのホステスだったからだろう。水商売の女という意識が、のちのちの面倒を考えて姓を偽《いつわ》ったのである。  その偽名で乃理子とつき合っているうちに、銀行員滝村英子と恋愛し、その藤沢の家に入りこんだが、乃理子とも縁が切れず、結婚のことは隠して彼女のもとにも通っていた。英子との結婚を主体にすれば、こっちのほうが浮気になる。  英子のもとをとび出して、乃理子と�友永�の名で同棲した。別のナイトクラブのボーイとなった。客で来ていた倉垣左恵子を知った。彼は大阪に行き、左恵子の庇護《ひご》で夙川のアパートに住んだが、ここからは再び�滝村�となった。今度は入籍先の滝村でなく、彼自身が命じた姓であった。同じ姓でも前の場合とは人格が違っていた。  彼は�友永�の名で乃理子殺しの被疑者として警察から追及されている。そこで大阪で滝村と名を変えたのだが、なぜ、もっと別な名にしなかったのだろうか。たとえ、乃理子やその周囲の者が彼が滝村英子と結婚していたことを知らなくとも、この�滝村�姓を名乗ることは危険なはずである。もっと彼に関係のない、たとえば山田とか村上とか豊田とかいっぱい名前がある。それらをどうして使用しなかったのか。少くとも警察から追及される可能性の度合は、こっちのほうが低いわけである。  ところが、光夫は初めからの「遊び人」ではなかった。彼は学校を出るとある電機会社に勤め、次に商事会社に勤め、それから証券会社に勤めた。入社するたびに戸籍謄本か抄本かが必要であった。つまり、職業には絶えず戸籍面がついて回るしくみになっている。  大阪に移った光夫は、いつかは何かの職業につく意志を持っていた。倉垣左恵子に生活をみて貰うだけでは不安であった。彼が女に飽きっぽいように、いつ左恵子に見限られるか分らなかった。その点、彼は堅実な性格だったともいえる。また、その性格は、地道に金を蓄めてゆく彼のやり方にも通じていた。  いつ、戸籍謄本が必要になるか分らない──この漠然《ばくぜん》とした観念が、つい、「滝村」の姓を使わせたのである。戸籍謄本を必要としない入社先なら、ろくな会社ではない。  現に、大阪に来て最初にありついた職業はPRセンターだったが、ここでは謄本や抄本の必要はなく、簡単な履歴書だけで済んだ。履歴書だけなら、どんな出鱈目《でたらめ》でも書ける。その代り、ここは資本のうすい、いつ倒れるか分らない個人経営であった。  ところが、或る日、光夫にふいにチャンスが降って湧いた。  彼はそのPR会社で有能を認められたが、それが外部にも知れて、かねがねPRの仕事を出していた光明薬品株式会社から宣伝課員として入社しないかという勧めをうけた。  光明薬品なら大きな会社だ。将来性もある。殊に先方から見込まれて入社するのだから給与などの条件もよかった。 「素晴しいじゃないの。あんたの才能だわ。よかったわね。保証人なら、わたしの知った人にいくらでも頼んであげるわ」  倉垣左恵子は、脂肪の厚い大きな頸を動かして喜んだ。  光明薬品の本社は道修町《どしようまち》にあった。並木の傍《かたわ》らに白堊《はくあ》のビルがある。田島の滝村光夫は、自分を引っこ抜いてくれた宣伝課長に会い、次いで入社の手続き上、人事課員とも会った。もともと向うから勧められたので給料もよく、面倒な手間も要らなかった。ただ、履歴書に戸籍謄本を付けてほしいと人事課員は云った。  光夫は初めて自分の予感が的中したのを知り、滝村姓を名乗ってよかったと思った。彼はすぐに承諾した。  光夫が課長と話をしているとき、途中で人事課員はドアから出て行ったが、この会社は外観だけでなく内部もガラス張が多い。応接間から出て行った人事課員はガラス越しの廊下で、外から訪ねてきた男と立話をしていた。その男は鞄から書類を出して渡していたが、頭をペコペコ下げていた。人事課員とその男とは奥のほうへ歩いて去った。  光夫は、その様子から、いま人事課員に会った男は興信所の人間ではないかと思った。どうも渡した書類が何かの報告書らしい。相手が人事課員だから、人事に関する調査事項かもしれない。こう考えたときに光夫は思いも寄らない難関を意識した。彼は興信所員が人事課の依頼を受けて自分の身許を調査するだろうと直感したのである。 「ああ、あの人、見たことがあるようですね」と、光夫は咄嗟《とつさ》に宣伝課長に云った。「どこかで二、三度会ったような記憶があるんですが、この会社の人ですか?」 「いや、あれは違いますよ」と、課長は云った。「出入りの興信所の人でね、浪速《なにわ》興信所というんです。ぼくのほうも競争相手の会社のPRの実態を知るとき、あそこによく頼みます」 「では、あの人、最近、そういう所に勤めるようになったんでしょうか?」 「いや、あの男は古いですよ。奥村《おくむら》といってね、もう十年ぐらいになるんじゃないですか」  光夫は会社を出ると、並木の蔭に煙草を吸いながら立っていた。いま聞いた浪速興信所の奥村という男を待つためだった。それは三十分とはかからなかった。磨き上げられたガラス窓を透して見た男は、黒い鞄を抱えて光明薬品株式会社の玄関をひょこひょこと歩いてくる。彼はタクシーにでも乗るつもりらしく、きょろきょろと車の流れを見回していた。  光夫は彼の傍《そば》に寄った。 「奥村さんじゃありませんか」  四十二、三の、顴骨《ほおぼね》の張った、顔色の悪い痩せた男は、濁った眼で光夫を見返した。怪訝《けげん》な眼つきであった。 「ぼくはあなたを知っていますよ。久しぶりですね」  光夫はにこにこして云った。彼の微笑がひどく人なつこく見えるというのは女たちの一致した意見だった。 「どなたさんでっしゃろ?」 「滝村という者です。あなたは浪速興信所の方でしょう?」 「はあ、さよですが……」 「もう四、五年ぐらい前になりますかね、誰かの紹介で、喫茶店であなたに会ったことがあります。もっとも、そのときはお仕事のことでぼくの友人にいろいろ訊いておられましたがね」  興信所の人間は、仕事の上から、絶えず刑事のように聞き込みをおこなっている。だから、この男が喫茶店などで人と会い、材料を取っていることは極めて自然な想像であった。 「へえ、さよか。あんまり大勢の人と会っているさかい忘れてしまいました。いや、失礼しました」  興信所員は眼尻に皺《しわ》を寄せて会釈した。 「今日のお仕事はおしまいですか?」 「いえ、もう一軒残ってます」 「お急ぎでなかったら、久しぶりにあなたの顔を見たのです、南のほうでちょっと一ぱいやりませんか」 「は?」  興信所員はきょとんとしている。 「いや、これからぼくもこの光明薬品に籍を置くことになりましたんでね、宣伝課です、いろいろと仕事の上でおつき合いを願うと思いますから、ご一緒したいんです」 「そりゃ、どうも」  興信所員は相手が自分の得意先の人間になると知って心を動かした、光明薬品株式会社の宣伝課は彼の上得意である。  幸いなことに興信所員は酒が好きだとみえて一緒についてきた。まだ日は昏《く》れていないが、この繁華な家並みには賑かな灯が点《つ》いていた。光夫は彼を誘って小料理屋の二階座敷に上った。  光夫は、その男のために出来るだけ上等の料理と酒を運ばせた。 「こりゃ、恐縮だすな」  興信所員は顔をほころばして云った。毎日靴の踵《かかと》を減らして歩き回っている彼にはこういうもてなしはありがたいらしい。そこで光夫がどのような口の巧さで切り出したか分らないが、とにかく三時間も居た結果、彼は自分の身許調査には手心を加えてほしいという意味で、五万円の金を興信所員の奥村に与えた。  奥村は眼を細くしてうなずき、金を内ポケットの中に収めた。 「大事おまへん、滝村はん」  と、彼は大きく合点した。 「普通、いちいち原籍地に飛んでそこの評判を聞くわけですが、あんさんなら、そないな手間をかけなくてもよろしゅうおま。ちゃんと立派な報告書を作っときま。……戸籍に間違いがなければ、それでOKですわ」  戸籍面は絶対に間違えようがなかった。彼は歴とした滝村英子の夫である。田島から滝村家へ入籍したのだ。藤沢市役所の戸籍簿にはちゃんとそれが記載されてある。 「光明薬品さんからの依頼調査はほとんどわたしが主にやってまんねん。所長もすっかりわたしに任せっきりだす。なあに、わたしさえ心得とれば、ほかの者はなんもタッチしまへん」  奥村は請合った。 「その代り、滝村さん、あんさんが宣伝課にゆかはったら、なるべく仕事をたくさん出しておくんなはれ」 「ああ、できるだけそうしますよ。しかし、ぼくはまだ新米だから、そんな権限は無さそうですがね。だが、少し馴れてくれば、必ず仕事の上で課長の気に入るようになれると思いますから、課長を動かしてそういう線へ持ってゆきましょう」 「聞けば、あんさんはPRセンターから引っこ抜かれなはったそうやから、課長さんも初めからあんさんを嘱望しやはるわけでっしゃろ。なんちゅうても光明薬品はんは製薬界では大手よってに、あんさんの将来は磐石《ばんじやく》ですわ」  奥村は酔っ払っていた。光夫は、大丈夫かなと思って彼の顔を見たが、なんとか巧くいきそうであった。  戸籍謄本だとか抄本だとかを取寄せるのは簡単だ。これは市役所の戸籍係に郵送料と手数料とを添えて直接に申し込めば、依頼人のもとに直接送付してくる。滝村家には問合せもしないから、一切を知らないわけである。  光夫は藤沢市役所に宛て抄本の送付方を手紙で依頼した。滝村英子の側から云えば惜しいことに、それは彼女が市役所の窓口に問合せた一カ月後であった。のみならず、英子が問合せたときの女子係員は辞めていたから、滝村光夫の戸籍抄本を送ってくれという手紙が来ても、新しい係員はそれを滝村家に連絡することもなかった。  ──滝村英子は知らないが、田島光夫の接触が彼女の傍まで近づいたことがあると前に書いたのは、そのような意味である。  滝村光夫は光明薬品の宣伝課で、その有能ぶりを認められた。彼は無事に過した。  無事に、というのは彼の場合さまざまな意味がある。一つは浜井乃理子殺しの捜査が迷宮入りになり、捜査本部が解散になったという小さな記事を新聞で読んだことだった。それはまだ光明薬品に入社しない前だった。警察では�友永�までは犯人の指名はできたが、肝心の人間を喪失したのであった。光夫は全くその方面の煩しさから解放されることができた。  もっとも、捜査本部が解散すれば、あとはいわゆる任意捜査に切り換えられるが、たいていの場合、それは有名無実に終る。警察は大変に忙しい。事件は毎日のように彼らを襲ってくる。二、三人の刑事が糸の切られた一つの捜査をこつこつと追う悠長《ゆうちよう》さは許されないのである。  倉垣左恵子との間もうまく行っていた。光夫は会社では女房持ちだということは多少知られていたが左恵子にはそれを話す必要はなかった。左恵子と会社とは何の関係もない。彼は夙川のアパートに相変らず彼女を週に二回は迎えていた。 「あんたの給料は安いから、このアパート代ぐらいはずっとつづけてみて上げるわよ」  と、彼女は鼻の頭に脂汗をかいて云った。  光夫は慎重だったから、会社の者をこのアパートにこさせることはなかった。課の者と親しくなっても、決して自宅にこいなどというような誘いはかけなかった。それだけに彼自身も彼らの家に立寄ったことはない。一度誰かの家に行けば、必ずそのお返しをしなければならないからである。  光夫は、夜、バーや飲み屋を課の者と一緒に飲み回ることはあったが、どこでも独身で通った。彼はまだ若かったし、身装《みなり》もわりと洒落《しやれ》ていたから、それが信用された。会社の同僚ですら彼が妻帯していることを知る者は少かった。しかし、中には、 「どうして、奥さんを呼び寄せないんだね?」  と訊く者がある。すると、彼は決って、 「女房は病身なんでね。それにわがまま者だから、大阪など行きたくないと云うんだ」  と弁明した。それはそれなりに通った。東京の人間は関西に住むのを嫌う者があるから、光夫の説明は説得性を持っていた。 「その代り、月に一度ぐらい東京の女房のところへ帰ってくるよ」  彼はそんなことも云った。まるきり女房と離れているのは不自然に取られるからだ。その代り、土曜の晩から日曜にかけて、左恵子に連れられて近くの温泉地へ旅行に出かけることもあった。  光夫は関西に来てからあまり浮気をしなかった。それは倉垣左恵子に忠誠を誓ったためではない。浮気をすれば余分な金がかかるからである。左恵子とだけ交渉を持っていることは生活の上でも、貯蓄の上でも非常に助かるのである。また、左恵子の魁偉《かいい》な面相に眼をつぶりさえすれば、その脂肪にふくらんだ弾んだ身体は、それなりに若い彼を満足させたのであった。 「今度は一カ月ぐらいは駄目よ」  と、左恵子はときどき云った。彼女の夫は始終短い海外旅行を試みている。日本に帰ってきたと思えば、すぐ出て行くし、一カ月か一カ月半ぐらいでまた舞戻ってきた。一体、どのような種類の輸出入品を取扱っているのか。光夫は、左恵子の教えた雑貨類という抽象的なこと以上には分らなかった。また、それを根掘り葉掘り訊くほどの興味もなかった。ただ左恵子が夫の稼ぎで裕福な資金源になっていさえすればよかった。  光夫は左恵子から貰う「小遣い」のほとんどを貯金通帳の中に加えた。生活費は、アパート代がタダだから、給料だけで十分に賄《まかな》えた。その給料も彼の有能ぶりによって昇給していた。何度も云う通り、光明薬品は、その特殊製品の宣伝に大童《おおわらわ》だったので、宣伝課の有能社員である彼はそれだけ優遇されたのであった。  それから一年が過ぎた。光夫が乃理子を青山墓地で殺して大阪に来てから二年近く経っていた。この間、さらに彼にとって都合のいいことが二つあった。一つは例の興信所員の奥村が死亡したことである。この奥村については光夫は絶えず懸念しないではなかった。いざというとき、この男の口が癌《がん》になりそうな不安は拭《ぬぐ》えないでいた。そのために何かと彼のほうへ仕事が出るように仕向けたり、また個人的にもときどき飲《の》み代《しろ》を与えたりした。  その奥村が死んだと聞いたときは、実際天地が急にひろがった思いだった。奥村は胃癌であった。  もう一つは彼の地位が一階級上って係長になったことだった。彼の才能と精励ぶりとが認められて、この製薬会社では十分に彼の将来に期待をかけたのである。  すべては彼のためにうまくいっていた。      7  光明薬品は宣伝企画にはすこぶる力を入れた。新聞、雑誌の広告にも、テレビ、ラジオのCMにも費用を惜しまなかった。  営業成績を上昇させるためには、宣伝だけでは足りなかった。極力、販売網を拡張することである。そのためには特約店を優遇し、リベートを他社よりもふやすことだった。特約店はたいてい既存の会社のものだったので、それをこちらに寝返りさせるにはやはり報償制度というエサが必要だった。  これは特約店──つまり、大どころの問屋ばかりではない。小さな小売店にも適用された。どこの会社でもそうしているように、すべて売上げ成績は点数制度によった。すなわち、光明薬品の製品何点を売ることによって払戻しがあったり、観劇会があったり、温泉回りの旅行があったりした。この特典につられて、小売店も極力、客にその会社の製品をすすめることになった。  光明薬品では、その年の春に関東、東北方面の特約店に委嘱して、点数を稼いだ小売店を九州旅行に招待する企画を進めた。それは飛行機で福岡に着き、雲仙《うんぜん》、阿蘇、別府をまわって帰るという周遊順路だった。このコースは俳句の好きな社長の好みでもあった。  それらの企画を営業部の販売課と宣伝課とが共同で進めた。いかなる小売店を招待するかは、関東、東北方面の特約店が傘下《さんか》の小売店を、その売上げ点数によって選択することになった。春四月といえば、九州の温泉旅行には最適の季節である。特約店からは続々と招待小売店のリストが送られてきた。それは各都県に跨がって百十二店もの多きに達した。  一カ月前から本社側では行事の実行委員が決められた。滝村光夫は宣伝課の係長として、一行に随行する役を仰せつかった。もとより、彼一人ではない。常務も、部長も、課長も同伴する。  その招待状の発送が販売課のほうでまとめられた。宣伝課と販売課とは部屋が隣合っている。これまでは光夫も一切の進行に割合と無関心だった。つまり、彼は招待客の出発から働けばよかったからである。  しかし、販売課の何人かの手によって招待状の宛名が書かれているとき、彼は社内の食堂でふとこんな話し声を耳にした。 「今度の招待の小売屋は数が多いな。それだけウチの業績が上ったわけだろうが、ずいぶん小さな店も入っているよ」  ふいと光夫の頭に泛《うか》んだのは藤沢の英子の家業だった。薬店として大きくはないが、旧《ふる》くから営業しているので相当に繁昌している。もしかすると、この光明薬品の製品があそこでも相当な成績を上げているのではなかろうか。つまり、今度の招待の中に滝村薬店も入っているのではないだろうか。  彼はそんな心配が起きたので、販売課に行って係に頼んだ。 「招待のお客さまの名前を一応知っておきたいから、リストを見せてくれませんか」  随行する当人だから当然の要求だった。係は気軽に招待客の一覧表を手渡した。  それは、関東・東北各県別の表になっている。彼は神奈川県を探した。すると、県下十店の中に滝村薬店の名が見つかった。光夫は、それを黙って返した。  自分の机の前に戻ったが、しばらくは憂鬱でならなかった。招待日はあと一カ月足らずだ。  滝村薬店は必ず出席するだろう。誰が出てくるだろうか。英子だろうか、それとも親父だろうか。いずれにしても光夫にはちょっとした危機だった。もちろん、絶対に顔を合せてはならない。  だが、一行に世話役として随伴してゆく以上、当然顔は見られる。といって、この役を辞退するわけにはいかない。係長としての彼は有能で知られていたし、その厚遇のためにもせっかく云いつかった役目を抛棄《ほうき》することはできなかった。  弱ったことになった。彼は煙草を吸いつづけた。  万一の僥倖《ぎようこう》は、滝村薬店に何らかの差し支えが起って出席しないことだった。そういう例はほかの店にもこれまで無いことはなかった。社としては欠席した店には記念品を代りとして贈ることになっている。  どうかそういうふうになって欲しい。  だから光夫は、参加諾否の往復葉書が到着するまで何かに祈りたい気持だった。しかし、彼の期待は一週間ののち虚《むな》しい結果となった。  販売課に行ってみると、堆《うずたか》く積まれた返書の中に滝村薬店の「参会」が見出された。出席者も滝村英子となっている。  光夫は頭を抱えた。僥倖は破れたのである。  窮余の揚句、彼は出発当日直前に病気になることにした。これよりほかに対策はない。それも僅かな故障では役に立ちそうになかった。突然高熱を発するとか──いや、それだけでも困る。病躯《びようく》を押してという忠勤の見せ場が無いからである。したがって、どうしても出席できない不可抗力の条件を作らねばならなかった。たとえば、急に入院するような病気に罹《かか》るとか、交通事故に遭うとかである。  しかし、光夫は頑健だったから、そんな病気になりそうもなかった。交通事故は命がけだから怖ろしかった。  彼は一週間というもの、その対策に屈託した。  藤沢の滝村英子は毎日気のはずまない生活を送っていた。  突然夫が家出してから二年経っていた。それまで何度家裁に申請して光夫を除籍しようとしたか分らなかった。だが、前にも云う通り、外聞の悪いことでもあるし、その勇気もなかった。というのは、英子はまだ光夫の面影が忘れられないでいるからである。  近所には光夫の家出が気づかれそうになったので、大阪の貿易商に就職してずっと向うにいると再び云いふらしておいた。遠隔の地に夫を置くとすれば、大阪と云ったほうが最も適切である。なぜなら東京の次に大阪が大都会だからだ。そのほかの地方都市では見窄《みすぼ》らしく聞える。  貿易商というのは、内容が漠然としてよかった。これが鉄鋼会社だとか、銀行だとか、電気製品の会社だとか云うと、業種も具体的となって一流会社が限定される。そうすると、どこに関係者がいるか分らないのだ。  たとえば、A銀行というと、ああ、あそこならわたしの知り合いがいる、と云い出す者があるかもしれない。B製鉄というと、何部の何課ですかと訊かれそうである。その点、貿易商といえば、まだ誰の頭にも漠然とした知識しかなく、しかも近代的で知的な業種に聞える。  もう一つ便利なのは、普通の会社だとこちらから大阪に行く場合もあり得るし、夫が大阪から戻ってくる場合もある。光夫の場合にはそれが決して無かったので、貿易商にかこつけて海外駐在ということになればまことに好都合であった。  とにかく、世間体は糊塗《こと》してきたものの、英子の心は虚《うつ》ろなものがつづいた。失踪届の法的な効力が発生するまで、彼女は戸籍面だけの妻として暮さなければならなかった。  気持の転換を新しい恋人に求めることはあり得る。しかし、少くとも七年間は、その結果となる再婚を諦めなければならなかった。  そんな或る日、東京から薬問屋の外交員が回ってきた。そこは前から光明薬品の製品を大きく扱い、彼女の店にも売込んでいる。英子の父親は、光明薬品のサービス──主としてリベートの点だったが、それが他の製薬会社よりも有利だったので売込みに力を入れていた。 「お宅の点数が恰度《ちようど》、今度の九州旅行招待に入りましたよ。この際本社としても感謝の気持を表わしたいというので、ぜひ参加して下さい」  問屋の外交員は勧めた。 「四月の九州なら行ってみたいな。おいどうだ英子?」  と、父親は店先にいた娘を呼んだ。 「おまえも九州は行ったことがないから、この際遊びに行って来てはどうだい?」  毎日浮かぬ顔をしている娘の気持を少しでも引き立ててやりたい親心だった。実際、父親としてもこれはまことに困った状態だったのだ。 「そうね」  と、英子は生返事をした。こんな気持ではどこにも行きたくない。だが、父親がしきりにその後も勧めるので、だんだんに気持が動いてきた。なるほど、九州は未知の土地である。雲仙、阿蘇、別府といえば、愉しいコースに決っている。春の九州路も悪くはなかった。  外交員も傍から英子に勧めているとき、表から黒鞄を持った二人づれの立派な背広を着た男が入ってきた。そこで薬問屋の外交員との話が中断された。  二人の男は銀行員だった。英子がもと勤めていた同じ銀行だが、彼女の知らない人だ。というのは、この二人は本店の総務課の連中だったからである。  用件は、銀行が今度藤沢に支店を出す。それで、場所としてこの店のある所が最適地なので土地を買収したいというのだった。むろん、営業中の店舗を立退かせるのだから、土地の値段もさることながら、補償は十分に出すという条件であった。  父親は、この話に乗り気になっていた。土地だけでも現在の取引値の二倍は出す。これには盛業中の店舗の補償の意味が含まれていた。  父親は、この交渉にまだぐずぐず云っていた。 「銀行屋は儲かるからね」  と、銀行員が引き揚げたあと、彼は薬問屋の外交員に云った。 「もう少し金を出させよう。なにしろ、ウチは場所といい、将来の発展性といい、そう安く手放すわけにはいかないからね」 「もっともですよ、ご主人」と、外交員は答えた。 「たとえ二倍の値段を出してもらったところで、よそに移って商売がガタ落ちになればなんにもなりませんからね」 「ひとつ、時価の三倍ぐらいに頑張ってみるか」  父親は機嫌がよかった。そして英子に、 「せっかくのチャンスだ。おまえも今度の九州旅行にぜひ行ったらどうだ?」とすすめた。 「それがいいですよ。なにしろ、阿蘇は雄大ですからね。お嬢さん、ぜひ参加して下さい。ほかの人たちもみんな気のおけない方ばかりですからね。そこは同じ会社の品物を取扱ってるという連帯感で親しみが湧きます。それに、ついて行く本社の連中も至れり尽せりのサービスをするはずです」  外交員も傍から口を添えた。 「行ってみようかしら」  と、英子の心が動いた。  問屋の外交員が慰安旅行の打ち合せに大阪の本社へ来た。彼らは打ち合せが終ると、販売課で雑談した。 「世の中にはふいと思いもかけない儲けが転がり込んでくるものですね」  と、東京から来た問屋の男は話していた。 「藤沢に滝村薬店というのがあります。今度の招待にも資格があるんですがね。そこが今度銀行の土地買収に応じて時価の三倍で売渡す話を進めていますよ」 「時価の三倍? そりゃ凄い」  と、販売課の連中は眼をまるくしていた。 「なにしろ、近ごろの銀行といったら、やたらと目抜きの場所にデラックスな建物を建てますからね。金に糸目をつけないで、ここぞと思う所は決して外さないようです」 「銀行は」と、課長が横から口を入れた。「金融引き緊めだと宣伝しておきながら、自分のところの設備投資にはどんどん金をつかっている」  それから、しばらく銀行の話がつづいた。  恰度、このとき滝村光夫は販売課に来ていた。彼は藤沢の滝村薬店という名を聞いて神経をピリリと震わしたが、曾《かつ》ての婚家が店を時価の三倍で銀行に売るという話には、かなりショックを受けた。  彼は席に戻ってしばらく煙草を吸い、時価の三倍という値段が一体どのくらいのものか考えていた。実際は具体的な値段を知りたいのだが、横合いからあまり興味を持って質問したのでは危険である。滝村という姓が同じだという怯《ひる》みもあった。しかし、あの場所の時価なら、いま坪十万ぐらいするかもしれない。いや仮りに二十万円としても、その三倍だと一坪六十万円だ。あの土地はたしか百坪はたっぷりあったと思う。すると六千万円になる。  六千万円。──  彼は自分にとってこの夢のような数字にしばらく酔っていた。だが、例によってすぐには現実感は湧かない。しかし、彼が英子のもとに戻れば、将来、その金は彼のものになるわけだった。  人間、何が幸いするかしれない。滝村に入籍したのは時のゆきがかりで、それほどの計算も無かったのだが、全く幸運はどこに転がっているかしれないと思った。恰度、滝村薬店が突然銀行からの三倍の買収値に応じたのと同じようにである。  ──英子はまだ自分のことを忘れていないだろう。あれから自分を除籍したとも思われない。もっとも、ふいに家を飛び出したのだから、腹を立てていることは間違いない。しかし、その一方で彼が戻ってゆくのも待っているに違いなかった。女心というのはそんなものだ。……  青山墓地のホステス殺しはすでに二年以上経っている。むろん、迷宮入り事件として捜査はとっくに打ち切られている。新聞にはときたま五年も十年も前の殺人事件の犯人が逮捕されたということが出るが、それは捜査陣が意識的に動いて真犯人を突き止めたのではなく、何かの偶然から犯人が捕われたにすぎない。その最も多いケースは別な罪名で警察に捕われた犯人が「過去の犯罪の呵責《かしやく》に耐えかねて」自白することである。たとえば、留置場で魘《うな》されたとか、教誨師《きようかいし》の教訓に感動したとかいった類《たぐい》である。  自分の場合はどうだろうかと、光夫は考えてみる。もちろん、そんなばかな心理になりようはなかった。彼は殺した浜井乃理子に対して一片の同情も、罪の意識も持っていなかった。あんな女は生きていてもそれほどの価値は無いと思っている。事件後二年も経ってみると、彼の行為はまるで何かの幻影ででもあったかのように思われ、彼の体験という感じがうすれていた。  藤沢の英子は彼が浜井乃理子を殺したことなど知りようもなかったし、警察でも�友永�の彼をそこに結ぶことはなかった。もし、両方の関係を警察が知っていれば、とうにその噂が英子の周りに立つはずである。今の問屋の外交員の話を聞いても、そんな様子は欠片《かけら》も出なかったのは警察が英子の家に一度も向わなかった証拠だ。してみれば、彼は英子の家に戻っても安全なわけだった。  六千万円は悪くない。──彼は考えに沈んだ。これまで英子の家から金を取出したこともあったし、乃理子や左恵子からも小遣いを取上げたが、あれはあれなりに彼を満足させた。しかし自分の籍が滝村にあることで将来六千万円の財産が取得できるとなれば、今度はそれが次第に現実感を持たせてきた。つまり、これまで性格的に吝嗇《けち》だった彼だったが、それが他人から取上げる金ではなく、当然の「権利」としての所有感が現実的なものを持たせてきたのである。  彼はまだ英子があのまま戸籍上の妻でいることも分っている。なぜなら、外交員の話でも英子に夫がいるようなことはなかったし、英子自身が招待に応じたのは再婚していない証拠であった。彼女の再婚の妨げになっているのは戸籍上の問題だろう。失踪した彼が法律的に除籍されるとすれば七年間の期間が必要だし、訴訟を起すにもいろいろと面倒に違いない。  光夫がそんなことを考えたり、計算したりするうち、招待日の前々日となった。  彼はひどい病気に罹る方便もなく、交通事故に進んでひっかかる勇気もなかったので、意を決して会社に電話をした。急に風邪を引いて高熱が出たので四、五日休ませてくれと云った。せっかく招待の係を引き受けていながらまことに申し訳ないと課長に詫びた。  課長は、病気なら仕方がないから大事にしたまえと云った。そして、欠勤届に診断書を添えて郵送するようにとやさしく答えた。 「あら、今日、会社に行かないの?」  と、倉垣左恵子が蒲団にくるまっている彼の傍にやってきた。 「どうしたの?」  と彼女は大きな手で蒲団の端をめくり、光夫の顔を上からさしのぞいた。 「ふうん、狡休《ずるやす》みしてんのね」      8  倉垣左恵子は、寝ている光夫の額に大きな手をじんわりと当てた。 「熱も何も無いじゃないの?」  それから上体を屈《かが》みこませて彼の首を抱えるようにし、いきなりその口を吸った。 「ねえ、どうして休んだの?」  と、左恵子は細い眼でみつめ、ニタニタ笑っている。 「ときには骨休めしないとね、疲れるよ」  光夫は仕方なしに云った。 「今日だけなの?」 「二、三日出ないかもしれない。会社には電話でそう断ってある」 「まあ、よかった。じゃ、毎日でも、わたし、ここにこられるわね」  彼女は太い手を拍《う》った。これが細い身体だと少女のように無邪気にみえるが、彼女の腫《は》れあがったような手だから一向に可愛げがない。近ごろ左恵子はますます肥えて、その厚い胸が何段にも隆起している。 「いや、つづけざまにくるのは止めてくれよ。こちらは休養してるんだからな」  この女に連日やってこられてはたまらないが、左恵子はそんなことに頓着《とんちやく》せず、窓のカーテンを閉めると、勝手にブラウスを脱ぎ、スカートのバンドを外しはじめた。  光夫は、それをうす眼で眺めて、少々|鬱陶《うつとう》しい気持になった。奇妙なもので、会社を休み、滝村英子の眼から逃れているような状態だと、まるで隠遁《いんとん》生活をしているような気分になって、何をする気力も起らない。嘘をついて会社を休んだことも、そこを出世の場としているだけに寝ざめが悪いのだ。  殊に、倉垣左恵子にはもう飽き飽きしている。その左恵子は、彼の眼の前で背中に手を回してブラウスを外し、腰を折ってスリップの下からパンティを取った。若い男を愛人にしているせいか、それもうす桃色のレース飾りのついたものだ。  スリップの紐も肥えた肩から外して、 「もう少し向うに寄ってちょうだいよ」  と、ベッドの横から太い脚を入れてきた。  それから光夫は左恵子にさんざんオモチャにされたような具合になった。年上の女の庇護による生活をしていると、つい倒錯的な意識になってくる。  左恵子は身体じゅうに汗を噴き出して光夫の傍に静かになった。  こちらもぐったりとなっていると、左恵子はむくむくとベッドから起き上り、コップに水を汲んでくる。煙草に火を点けて唇に当てる、はては脚を揉んでくれるで、至れり尽せりのサービスがはじまった。  外から鉄橋を渡る電車の音と車のクラクションが懶《ものう》く聞える以外、カーテンを閉めているぶんには夜と同じだった。 「あんたと三、四日、こうして居られるのはうれしいわ」  と、左恵子は甘えた声を出した。どういうわけか今日は親切が念入りだし、声にも潤いがある。  このまま三、四日もつづけてこられては困るので、 「明日からちょっと旅行に行ってくるよ」  と、光夫は彼女の希望を外した。 「旅行? なら、わたしも一緒に行ってみたいわ。いいえその旅費、出すわよ。どこ? 東京? それとも九州なの?」 「金なんかどうだっていいんだよ。ひとりで行きたいんだ。どこか静かな山の中の温泉場にでもな」 「わたしを伴れて行かないの?」 「君と一緒に行けば、休養だか労働だか分らなくなってくる」 「憎らしい、あんなこと云って。あんたもだんだん大人になってきたわね」 「頼むから、明日から放っといてくれよ」 「そうじゃないわよ。あんたが独りになりたくても、なれない事情が起ったのよ」 「なんだって?」 「ねえ、何を聞いてもおどろかない?」  左恵子は細い眼の真ん中に瞳を据えて光夫をみつめた。これまでついぞそんなことも云わなかったし、こんな思い詰めた表情もしない女だった。 「何かあったのかい?」 「ねえ、おどろかないと云ってよ」 「何だか知らないが、大変なことらしいな」 「そりゃ大変よ。覚悟してもらいたいわ。……わたし、あんたと一緒になりたいの」 「何を云ってるんだい。一緒になりたいと云ったって、君には……」 「亭主が居ると云うんでしょ。あれ、嘘なのよ」  左恵子は口先では軽く云ったが、表情はかえって硬《こわ》ばっている。 「嘘? じゃ、亭主は居なかったのかい」 「居ないわ」 「そんなばかな。じゃ、君はどうして生活してるんだ? しかも贅沢にさ。芦屋にある家だってまさか君ひとりで建てたわけじゃないだろう?」 「わたしなんかに何が出来ますか?」 「じゃ、やっぱりそうじゃないか?」 「ううん、違うのよ。そうじゃないの。……わたし、あんたに匿して悪かったわ。堪忍してちょうだい」 「ああ、そうか」  と、光夫も初めて気がついた。ここまで云われると、よほど鈍感でない限り事態は呑み込める。 「そうなのよ。その貿易商とは正式な夫婦仲じゃないの。いってみれば愛人だったのよ」 「つまり、二号さんか」 「いやな言葉だけれど、世間並みに云うとそうだわね」  左恵子は光夫の手を握りしめると、その裸の肩に顔を押し当てた。 「わたしたちの間は永かったのよ」  と、倉垣左恵子はすすり泣きながら告白した。 「もう十年以上にもなるわ。そのころ、わたしは彼のオフィスで働いていたの。彼の仕事が繁栄したのもわたしの助力があったからよ。そりゃ、わたしは誠心誠意彼のために尽したわ。彼はどんなにわたしに感謝したかしれないわ」 「彼々って、一体だれだい?」 「名前は云えないわ。とにかく、わたしがこんなふうに気楽な生活になったのもここ二、三年ばかりの間よ。それまでは、それこそ骨身を惜しまず尽したのよ。彼の奥さんというのはうすぼんやりしたつまらない女でね、彼のためには何の役にも立たなかったの」 「そんなによくして上げたのなら、君もそのまま居据《いすわ》ったらいいじゃないか。ぼくなんか君と結婚しても、とても現在のような生活はできないよ。彼だって君の心尽しに感謝してるんだ。もっともっと贅沢さしてもらっていいわけだよ」 「違うのよ」と、倉垣左恵子は悲しそうに云った。 「わたし、彼と別れる決心になったの。もう彼と一緒に居ないわ」 「どうしたんだい? 喧嘩したわけでもないだろう。まさか君はぼくがいるために彼を振る気になったんじゃないだろうな?」 「それとも違うの。……はっきりいうとね、彼の仕事がうまくいかなくなったの。それで彼のほうから別れてくれと云われたの」 「なんだって?」光夫は眼をむいた。「じゃ、君は捨てられたのかい?」 「くやしいけれど、結局、そういうことになったのだわね。わたし、どこにも行き場がないわ。これであんたが居なかったら、わたし、自殺したかもしれないわ」 「冗談じゃないよ」と、光夫は思わず半身を床の上に起した。「ぼくはとても君を受入れるだけの気持にはなれないね。……そりゃ君からはいろいろとよくしてもらった。感謝している。だが、それとこれとは違うよ。とにかくぼくは駄目だね」  光夫は早口に云ったが、道理で今日の彼女はいつもと違ってしおらしく下手《したで》に出ていると思った。 「駄目なの?」  彼女は恨めしそうに光夫を見た。 「駄目だね。……君、考えてみろ。君とは年齢《とし》も違う。また君がこれまでしてきた贅沢はぼくのような者にはとても叶《かな》えられそうにない。それから根本的には、つまり、その、なんだ、ぼくが君に愛情を持っていないことだよ。愛情のない者が結婚したって駄目なことは初めから分っているだろう」 「分っているわ」と、左恵子は案外に憤《おこ》らずに答えた。 「いいえ、分っているというのはあんたがわたしに愛情を持っていなかったということよ。はじめはわたしがあんたを誘惑したのね。あんたはわたしへの愛情というよりも、自分の都合で大阪に来たことがよく分るわ」 「それだけ分っていれば無茶を云わないはずだ」 「でも、わたしは行き場がないのよ。誰を頼ったらいいの?……この年齢《とし》だし、こんなふうに人一倍肥えているし、技術もないし、何をして働いたらいいの?」 「しかし、君はしこたま蓄めているだろう。それにさ、別れたって相当な手切金が入るだろう。それを元手に何か商売をしたらいいじゃないか。……たとえばさ」  光夫はそう云いかけて、待てよ、この女、莫大な金が手に入るはずだ。今までの生活からみて、まず一千万は下るまい。これは、あんまり無愛想にもできないなと思った。そう考えながら舌はひとりでに動いた。 「たとえばさ、君は客商売に向きそうだから、きれいな女の子を雇って大阪か神戸かでバーを開くとか、美容院を経営するとか、どこかのお茶屋さんを買取るとか……」  しゃべっているうちに、この女が持前のアクの強さでぐんぐん金を儲けてゆくさまが泛《うか》んだ。一つの金づるである。むげに彼女を拒絶できなくなった。 「そのためにぼくもいろいろ研究してきたことがある。どんな商売を開いたらいいか、またやりはじめたらどういう方法が繁昌のコツか、軍師となってあげてもいいよ」  彼は彼女に希望を持たせるために明るい顔つきと快活な声になった。 「違うのよ」と、倉垣左恵子は彼の声を遠くで聞くような顔をしていた。「彼はとてもそんな余裕なんか無いわ」 「じゃ、手切金はうんと少いのか?」 「少いというよりも、まるきり無いのよ」 「なんだって?」と、光夫は眼をむいた。 「そ、そんなばかな。君は一体何年彼と一緒に居たのだ? また、これだけの贅沢をさせている彼の資力だ。いかに最近仕事が思わしくないといっても、一文《いちもん》も手切金を呉れない法はない」 「だって、仕事が躓《つまず》いたんだから鼻血も出ないと云ってんのよ」 「ひどい男だな。……しかし」と、光夫はまだ見ぬ彼女の芦屋の家を頭に泛べた。「君の芦屋の家は相当広いだろう。ほら、いつか君からその家のことをさんざん聞かされたじゃないか。芦屋の高級住宅街にあって、四百坪もの地所がある、建物は八十坪ぐらいで、広い庭と、凄い車を入れたガレージ付きだってね。そいつぐらいは君に呉れるだろう?」 「あのときはそう云ったけれど、地所はそんなに広くないのよ」 「じゃ、半分としても二百坪か。二百坪だって大したものだ。あの辺だと坪当り三十万以上はするだろうからな」 「とてもそんなには無いわ。車だってわたしに呉れっこないの」 「一体、どのくらいだ?」 「そうね、あの地所は百坪ぐらいかしら。建物はせいぜい三十坪ね。同じ芦屋といっても、そんないい所じゃないの……。ご免なさい、嘘を云って」  光夫はがっかりした。彼女にどのように謝られても、哀れな顔つきをされても、気持が急速に凋《しぼ》んでゆく。 「それにしても、君は大きなことをぼくに云ったもんだね」 「あの場合仕方がなかったのよ。だって、それぐらい云わなきゃあんたがわたしに魅力を持ってくれないもの。まさかこんなことになるとは分らなかったから」  ばかな女だと思ったが、その百坪の地所でも売れば或る程度の金にはなる。 「それも駄目なの。彼が借金の抵当に入れてしまったので全部向うに取られることになったの」 「なんだ、ばかばかしい。……じゃ、君は貿易商に贅沢をさせてもらったんだから、宝石とか、絵とか、いろいろ持っているだろう。宝石だって凄いのが相当あるんじゃないか。それを売ったってかなりな金額になるだろう」 「それもね」と、ばかな女は眼を伏せた。「この前から彼が来て二つ、三つずつダイヤだのルビーだのを持って行ったの。近ごろは回転資金が窮屈だから、ちょっと融通させてくれと云ってね。今から思うと、あれ、計画的だったのね」 「今になってそんなことに気づいてもはじまらない。……君は預金のほうはどうだ、相当なヘソクリをしているだろう?」 「そんなものあるもんですか。だって次々貰ったものはぱっぱっと使っちゃったんだもの。それもあんたを喜ばせようと思ってみな吐き出したわ」 「やれやれ」  と、光夫は哀れな女を見まもった。この女から金を除くと、醜い肉塊でしかない。  これはいけない。うかうかすると、こいつの虜《とりこ》になる。これまで「よくして貰った」だけに、よほど上手に切り抜けないと、こっちまで生涯沈まなければならない。せっかく会社で芽が出かかったのに、こんなところで醜い年上の女を背負いこまされてはたまらないと思った。 「とにかく」と、光夫は云った。「君は最後まで彼に頑張るんだね。こんなところで無駄に抵抗してもはじまらない。彼のほうはこれまで君に精いっぱいの贅沢をさせているから、君に対する報酬は十分だと思っているだろう。下手に騒いで第三者を動かして抗議をしたり、訴えたりしても、先方は取合わないだろう。それよりも哀訴嘆願し、できるだけ彼と別れるのを悲しんでみせることだね。男は女に泣かれると、やはり弱い。できるなら、さっき君が云ったように、自殺でもしかねまじき芝居を打ってみるんだね」  左恵子は初めのうちは、とてもそんなことはできないとか、意地でも彼に負けられないとか強がりを云っていたが、結局、少しでも金が取れるほうが利口だという光夫の意見に屈した。 「しおらしくするんだよ」と、光夫は付け加えた。 「しくしく泣いて飯も咽喉に通らないような恰好をするんだね。そして、彼をおどかすためにわざと睡眠薬の瓶でも見せびらかすんだな。……自殺をほのめかすような言葉を近所の人に云いふらしておくのも悪くはない。男は女から直接聞くよりも、ほかの者から伝え聞いたほうを信用するからな」  光夫は倉垣左恵子を宥《なだ》めすかしやっと帰した。  結局四日間休んで、光夫は会社に出た。九州の招待旅行に随行していた係が今朝帰ったばかりだと睡たげな顔をしているのに会った。  光夫は、それとなく滝村英子のことを係から聞き出そうとしたが、彼は滝村薬店については何も知っていないようだった。無理もない。滝村薬店などは招待客の中でも小さな存在だし、百店以上もある中では問題にもされていないのだ。  多分、本社側が機嫌を取ったのは大手販売店や特約店の連中だけであろう。係の言葉によると婦人もずいぶん来ていたというから、英子もその中に入っている。  光夫は安心した。彼はもしかすると、本社の者が英子と話し合っているうちに彼のことを洩らし、それから英子が気づきはしないかと気遣っていたのである。  次に彼は、この会社に引き抜かれるに当って誰も保証人になっていないことに思い当った。もともと彼の才能を見込んでこの会社が引っ張ったので、面倒な保証人の手続きさえ必要なかった。例の戸籍抄本も形式的にしたいと云ってくれたほどである。  もし、その保証人が倉垣左恵子か、彼女の「彼」だとすると、光夫の計画は挫折せざるを得なかったであろう。つまり、光夫と倉垣左恵子との関係は外部で誰も知る者がなかったのである。アパートの人間は、肥った中年婦人が彼のもとにしげしげと出入りしていることを目撃してはいたが、その素姓がどのような人物か分っていなかった。会社の者も彼の住所さえのぞいていない。  光夫は腹を立てていた。倉垣左恵子はいかにも大金持のようなことを云っていたが、それは悉く彼女の嘘であった。正確には彼女もかつてはそうだったが、今は無一文になっているわけだ。光夫は自分が思い込んでいたことと現在の事実とが全く違っているので、やはり女に騙されたとしか思えなかった。      9  光夫はさすがに憂鬱になった。倉垣左恵子をなんとかしなければいけない。なんとかするというのは彼女をこの世から居なくすることだ。でないと取返しのつかない障害になる。会社での出世にも都合が悪いし、滝村英子のもとに復帰するのにも邪魔になる。  だが、今度は前の浜井乃理子のようなわけにはいかなかった。なぜなら、倉垣左恵子は相当な交遊関係を持っている。彼女が死体となって現れた場合、その関係から、どんな拍子に光夫の線が手繰《たぐ》り出されないとも限らない。しかも、今度は乃理子の場合と違い変名ではないから逃亡もできない。逃亡どころか、彼はその戸籍上の名前で英子の財産を受継ごうというのだ。  そのために彼は左恵子にふだんから厭世的な言葉を撒き散らすようにすすめておいた。彼女もその方法で今のパトロンから捨てられるのを防禦《ぼうぎよ》できると思っているだろう。自殺の雰囲気は十分だ。  しかし、さし当り適当な手段が見つからなかった。彼はアパートに居ても、会社に出ても、その方法ばかりを考えていた。  幸い倉垣左恵子はその後も来て、光夫のすすめた方法を使ってみたら、パトロンがおどろいて自分を警戒するようになったと報告した。そのために今すぐ別れるのがもう少し先まで延びそうだとも話した。 「でも、どうせ長つづきはしないわ。せいぜい今の家に粘ったところで、二、三カ月ぐらいだわね……あんた、ほんとにその間にわたしの身の振り方を考えてよ」  と、彼女は迫った。  光夫は彼女に自殺の惧《おそ》れがある様子を今後もつづけるようにすすめ、同時に、 「ぼくの所にはあまりこないでくれ。今まで以上にぼくとの関係を他人に知られないようにするんだ。でないと、もし君と一緒になった場合、ぼくが他人に嗤《わら》われるからね」  と強調しておいた。 「そうね、ほんとにそうだわ。わたしもあんたと結婚してから、前の立場を会社の人にでも知られたら恥しいわ。あんたの云いつけ通りするわ」  とにっこり笑って請合った。  二、三カ月といえば、もうすぐだ。その間に早くいい処置を考えつかなければならない。いっそ毒入りのジュースでも飲ませて、その辺に死体を転がしておこうかと思ったが、死体が出ると警察の活動がはじまるので危険な気がした。警察がうまく自殺ということで騙されるとよいが、万一擬装に気づかれた場合、危険この上ない。  いちばんいい方法は、その死体が他人の眼にふれないことだ。これだと、たとえ彼女の姿が或る日忽然と消えても、パトロンはすでに別れるつもりになっているので、警察に捜索願を出したりするような熱心さはないに違いない。いや、それどころか、かえって女のほうから消えたことでせいせいするだろう。  いかにして死体を消滅させるか、これが大きな困難だった。古来、殺人犯人がいちばん苦労している点は死体|隠匿《いんとく》だ。この方法に苦しむあまり死体をばらばらに切って地中に埋めたり、火を放って焼却したり、濃硫酸に漬けて死体を溶かしたりしている。  だが、そんな「残酷」な方法はとても光夫にはできなかった。第一、そのやり方からして途中で発見される危険性が十分にある。死体を細分化して地面に埋めるとしても、切り刻むのに必要な場所がなくてはならず、運搬の途中に発見されないとも限らない。西洋では死体を灰にした例はあるが、それも適当な設備が必要だ。また濃硫酸に死体を溶解させるといっても、それに入用な薬品を買込まなければならない。そこから足がつかぬとも限らぬ。  いろいろ考えたが、どうもいい工夫がつかない。倉垣左恵子のことだから、相手から最後の宣告を受けると、あの図体をさっさと彼に引き取らせにすべり込みそうだった。  そんな重苦しい日々を送っているうち或る日、光夫は会社で社内報を読んでいた。この社内報というのも宣伝課の仕事の一つで、編集やら印刷の世話までしている。型の如く社長の言葉からはじまり、社内異動の辞令、社員の感想、趣味、家族の動静といったものがうすっぺらなパンフレットになっている。  光夫は出来上ったその印刷物をぱらぱらとめくっていたが、例によって巻頭に社長の言葉がある。そんなものは頭から軽蔑していたが、前の机に居る同僚が、 「社長の俳句はちっとも上達しないね」  と云った。  この社長は若いときから俳句をやっていて、自分ではかつて俳句界の大御所だった鎌倉の故高村|祇子《きし》のもとに何度か伺ったことがあるというのが自慢だった。その号にも社用で旅行した先の俳句が並べてあった。素人が見ても月なみなものばかりだ。  が、ふと、光夫の頭に或るアイディアが閃いた。  彼は、その晩、単独で阪神沿線の岡本にある社長邸に伺候した。宣伝課の一係長の身では大それたことだが、彼には社長から素気なく追返されないだけの自信があった。  社長は係長などが自邸に不意にやって来たのに怪訝《けげん》な顔をして、応接間に現れた。五十過ぎだが、頭の毛は既に真白い。 「なに、わしの句碑を建てたいって?」  社長は光夫が彼の句を賞めた末に申し出た言葉にびっくりすると同時に照れ臭い顔をした。 「たいへん立派なものですから、ぼくは感動しました。社長、いちばんお気に入りの句をどこかの石に遺《のこ》しておかれたほうがいいと思います。その句でどれだけ平凡な景色が引き立つか分りません」  社長は、とても恥しくてそんなことは出来ないとか、他人《ひと》に嗤われそうだとか云って機嫌よく辞退した。  だが、光夫は粘った。世間にはずいぶんとくだらない歌碑や句碑を建てている人がある。だが、それらは専門の歌人や俳人か文化人で、その虚名におぶさったものが多く、句自体は貧弱だ。  そこへゆくと社長の句は立派なものであるから、決して非難されることではない。むしろその句碑を見て俳人としての社長が世間に認識されるに違いないと力説した。 「うむ、それほど云ってくれるなら、君に任せるよ。作ってる本人には佳い句か悪い句か分らないからね」  と、社長は折れた。人間だれしも賞められるのに悪い気はしない。まして「俳人」なら誰でも一生に一度は句碑を立てたいところだ。  およそ句碑というのはあまり賑やかな所にはない。風光|明媚《めいび》だが、夜ともなれば淋しい場所にあるのが普通だ。丘陵の斜面、山湖のほとり、そそり立つ海岸の断崖の上、そんな所に多い。  社長はよく日本全国を旅行する、それは社内報を繰ってみてもよく分る。工場視察や販路拡張などで、北は北海道から南は九州まで足跡が亙っている。俳句は下手糞《へたくそ》だが、よくまあ小まめに回ったものだ。そして寸暇を偸《ぬす》んでは旅行先の景色のいい所に車を走らせ、たちまち十句や二十句は作る。  社長は翌日光夫を社長室に呼び出した。彼は切り抜いて貼り込んだスクラップ帳を出して、社内報に載っている句を選んでいるところだった。 「きみイ、どの句がええと思うんや?」  社長はふだんとは違う顔つきでにこにこして訊いた。 「そうでございますね、やはりこれまで知られなかった景色を世の中に紹介する意味で、なるべく辺鄙《へんぴ》な土地を詠《よ》まれた句がいいでしょう。たとえば、この近所だと熊野だとか、鳥取県の山間だとか、北陸の海岸だとかはいかがでしょうか?」  みんな大阪から近く、しかも人があまり行かない所だった。光夫は、実はそれを期待して自分でも適当な句を選り抜き、手帳に控えていた。 「これなど結構でございますね。中国山脈の荒涼とした風景が眼に泛ぶようでございます」 「そら、あかんわ」と、社長は顔を顰《しか》めて云った。 「わしは鎌倉のほうに碑を建てたいと思うとる」 「えっ、鎌倉でございますか?」 「鎌倉は祇子先生が居やはった所や。わしは祇子先生の謦咳《けいがい》に何べんも接しとるさかい、先生をえろう崇拝しとるんや。口はばったいようやが、わしは祇子先生の直弟子やと思うとる。そやよって、なるべく先生のお住居に近い場所に句碑を建てたいのや」  光夫は少しあわてた。鎌倉だと藤沢が眼と鼻の間だ。彼はおもむろに、そんな遠い所よりも、いつも出かけて拝見できるような場所に句碑を建てたほうがよいと云った。 「阿呆《あほ》云いなはれ」と、社長は叱った。「わしの俳句と社員とは全然関係が無い。俳句はわしの趣味や。社長の趣味に倣《なら》って機嫌を取ろうとする奴にろくな社員はないわ。公私混同したらあかん」  公明正大な意見なので光夫は降参するほかなかった。それにしても、鎌倉はどの辺に句碑の場所を択ぼうというのであろうか。 「それは腰越《こしごえ》のほうや。ええか。十二、三年前、あそこの丘陵に立って作った句がある。わしはそれほどうまい句とは思ってへんが、恰度、祇子先生とご一緒に吟行したときの作やさかい愛着がある。……汐の香を江ノ島に落して秋の風」  社長は、それをわざわざメモに書きつけて見せて註釈した。 「きみイ、分るか?」 「はあ、浜辺から吹いてくる風に乗った汐の香は、江ノ島にさえぎられて衰えている、という意味でございましょうか」 「そや、そや」と、社長は俄かに満足そうにうなずいた。 「この�江ノ島に落して�の字句が効いとるやろ。先生が亡くなられてからは、わしにとって思い出深い句や。な、滝村君、ぜひ腰越のこの場所にわしの句碑を建ててくれ。あの辺は別荘地やから、まだ句碑ぐらい建てる余地はあるやろ。地所はどんなに高うてもかめへん。三坪ほど買うてんか。ええか。句碑の周りには、適当な植物でも植えたほうがええやろな」 「その通りにいたします」  光夫はおじぎをし、その場で自然石のかたちや大きさを打ち合せ、すぐにも句碑の染筆を社長に頼んで帰った。  その日、彼は早速外に飛び出して庭師や石屋を回った。社長はさすがに照れて、あまり立派な石にしてくれるなと云った。  庭師の家に適当な大きさの自然石《じねんせき》があったので、そのかたちを二、三個手帳に写して、次に石屋では文字を彫るのにどれくらい日数がかかるかを見積りさせた。石屋はそれだけの手間さえ見てくれたら三日間で彫り上げると云った。  また帰社して社長に手帳の石の写生を見せて報告すると、社長は早速庭師の家まで検分に行った。 「これなら恰度よかろう」と、社長も気に入ったようだ。 「早いとこ造ってくれ」  庭師が大体の設計図を書いた。これも社長の気に入った。なにしろ、一度話が決ると、一日でも早く完成したところを見たいらしい。  社長の特命で光夫は、その晩の汽車で鎌倉に向った。社長から貰った略図を頼りに翌朝から腰越のあたりをうろつくと、別荘の上に恰度いい具合に狭い山林が残っていた。地主に話すと、はじめは渋っていたが、時価の三倍をはずむということにして話をまとめた。  光夫は、ほっとしてしばらくその場所に佇《たたず》んだ。眼の前の江ノ島を見ていると、社長の下手糞な俳句が泛んでくる。が、それよりも、彼の関心は丘陵の背後にある方向だった。広い平地の向うには一筋の白い道がついている。それは江ノ島と藤沢を結ぶ国道であった。  その晩の夜行で大阪に着いた。なにしろとんぼ返りだから疲れた。  アパートに戻ると、朝っぱらから倉垣左恵子がちゃんと来ている。 「なんだ、どうしたんだ?」  彼は靴を脱ぎながら訊いた。 「疲れたでしょ?」と、彼女は早速熱いタオルを持って来て、顔や手を拭いてくれた。「東京に出張だったんですってね?」 「どうして分った?」 「昨日、用事があって会社に電話したのよ。そしたら東京と聞いたもんだから……」 「あんまり会社に電話をかけてくれたら困るな」と光夫は不機嫌な顔をした。「あれほど堅く止めておいたのに……」 「それがね」と、彼女は眉を寄せて答えた。「彼があと一カ月限りで芦屋の家を出て行けというのよ。もうわたしの自殺の素振りもあんまり効きそうにないわ。だから、心細くて仕方がないの。……ねえ、あんた、一カ月あとにこっちに越して来てもいい?」 「………」 「あんただって準備があるだろうから、前もって報らせたかったの」 「ふん、予告かい」 「あら、そんな意地悪な云い方をしないでよ。彼に捨てられたら、わたしはあんたよりほかに頼る人が居ないわ」  左恵子は奇怪なことを云った。  光夫は一カ月という期間を考えた。一昨日から独楽鼠《こまねずみ》のように走り回ったおかげで句碑の建設は万事順調に運んでいる。社長はたちまち、碑に彫りつける文字の下書きをするだろう。石屋は三日間でそれを彫刻するという。大阪から腰越に運ぶには五日間もあれば十分だろう。  一カ月の余裕があるから、少々延びても余裕は十分だ。 「分ったよ」と、彼は左恵子に頼もしげに返事した。 「それでは、いよいよ君をこっちに引き取るよ。だが、ぼくのほうとしてもそれだけの受入態勢をつくっておきたいから、一カ月より早くなっては困るよ」 「うれしいわ」と、彼女は肥えた顔に小さな口を開いて叫んだ。「これでわたしもやっと安心したわ。もし、あんたがいやだと云ったら、あんたの云う通りほんとに自殺しようかと思ったの。でも、自殺はいやだわ。わたしはあんたが最後の男だから、無理心中でもして一緒に抱き込むわ。こうなったら、あんたが独りでわたしから逃げようたって逃がさないわよ」  光夫はいよいよ決心の臍《ほぞ》を固めなければならなかった。 「久しぶりに東京に行ったが、やっぱりいいな。懐しかったよ」  彼は左恵子がしつらえてくれた蒲団の中に手脚を伸ばしながら云った。 「そう。わたしも長いこと行かないから、行ってみたいわ」  左恵子は窓のカーテンを引きながら云った。 「そうか。じゃ、今度三日ばかり休暇を貰って一緒に東京へ行ってみようか」 「ほんと?」  と彼女は小さな眼を輝かした。もっとも、その瞳に当った光源は朝の陽光ではなく、ベッドの端にあるピンク色のスタンドだった。 「あんたはほんとにいい人ね。わたしが惚れ込んだだけあるわ」  彼女は、その厚い顔の肉を光夫の頬にこすりつけてきた。  光夫は、女の重量を受止めながら、心の中では全く別なことを考えていた。あるいは計算していたともいえる。  ──あの丘に立って観察したところでは、そこから藤沢の滝村英子の家は十キロぐらいはあろう。ただ眺めただけではあの辺が藤沢だという程度で、街の屋根は遙か向うに霞んでいた。これがもっと近い距離だったら、句碑建立作業に従っている光夫は藤沢の滝村一家に気づかれるかもしれない。が、あの距離なら大丈夫だ。それに、著名人の句碑ではないから新聞にも出ない。もちろん、近所の噂にもなるまい。  それからもう一つ、これは最も大事なことだが、句碑を建てる前の準備作業──それはもう一つの目的を持っているのだが、この点は絶対に大丈夫だ。夜のことだし、近所の別荘にも気づかれない。  はじめ社長がどうしても句碑を腰越に建てると云ってきかなかったとき、光夫は弱ったが、現地を見て、あれなら安心だと思った。無理に社長に逆《さか》らわないでよかった。これで社長のご機嫌は取れるし、左恵子の処置はできるし、一石二鳥である。さらには、その上で堂々と英子の家に帰り、あの家の新しい財産を継ぐことができる。  はじめの間こそ、滝村の家では彼の出奔《しゆつぽん》を恨んだだろうが、彼さえ戻れば今までの非難も泡《あわ》のように消えるに違いない。とにかく、こちらは戸籍の上では英子の正当な夫なのだ。謝って帰るぶんには先方が宥《ゆる》さないはずはない。 「いやに今日は元気がないのね」  と、左恵子は苛々《いらいら》して彼の身体をまさぐった。 「やっぱり東京出張で疲れてるのね?」  左恵子は、不服そうに鼻を鳴らした。      10  社長の句碑の染筆が出来てから二週間ばかりで万事の建立準備が完了した。石は厳重な菰包《こもづつ》みにし、貨車で鎌倉駅に発送された。  それが現地に到着するのを見計らって、大阪の庭師が鎌倉までその工事に赴くことになった。二日遅れて、社長は除幕式に出向く手筈となり、社の幹部数名と、東京の特約店関係者も出席することになった。  いよいよ石が明後日あたり鎌倉に着くと思われるころ、光夫は倉垣左恵子を誘って東京行の旅客機に乗った。もともと句碑建立は彼から云い出したことなので、その工事現場に立会いのために出張を命ぜられたのである。ただし、これは汽車だったが、飛行機にしたのは左恵子が金を出したのだ。 「ほんとにあんたと一緒に東京へ旅行しようとは思わなかったわ」  左恵子は飛行機の中で下界を眺めながら喜んだ。 「あっちのほうはどうした?」  彼はパトロンのことを訊いた。 「あんたの云う通り黙って出てきたの。実は明日家にくる予定だったわ。来てみてわたしが居なくなってるから、さぞびっくりするでしょう」 「女中には何と云って出てきた?」 「これもあんたが云った通りよ。九州のほうに遊びに行ってくるからと云い置いたわ。しつこく行先を訊くから、今度は独りで遊びに行くから予定が分らないと云っておいたわ」  それでいいと思った。左恵子がこっちの云う通りに行動してくれただけでも、半分はもう成功したようなものだった。  羽田に着いたのが午後一時ごろだった。タクシーで都心に向う途中、彼は車の中で云った。 「ぼくは出張だから、先に会社関係の用事を済ませなければならない。あとで会うよ」 「そう。何時ごろになるの?」 「六時ぐらいになるかな」 「その間、わたしはどうしていればいいの? つまんないわ。今さら独りで東京見物でもないでしょ」 「その通りだけれど、社用で来たんだから仕方がないよ。なるべく早く用事は済ませるけれどね。……そうだ、こうしたらどうだろう」  と、彼は思いついたように云った。 「今夜は鎌倉にでも行ってみるか。気分がよかったら江ノ島あたりで泊ってもいい」 「まあ、うれしい」と、彼女は手を拍って喜んだ。 「わたし、こんど鎌倉に行けば、十年ぶりぐらいよ。ずいぶん長いこと行く機会がなかったから。あんた、いい所を思いついたわね。ぜひ行ってみたいわ」 「では、七時に鎌倉駅で落合おう。東京からだと、どうしてもそのくらいの時間になる。それからぶらぶらと歩いてみよう」 「七時ね。いいわ。もし、江ノ島に泊ったら、翌る日、八幡さまや大仏さまを見て、鵠沼《くげぬま》の海岸をドライブしましょうね。江ノ島の橋のところから平塚までのドライブウェイがとてもいいと聞いたわ。もう先《せん》、わたしが行ったときはそんなもの無かったもの」  佐恵子は太い手の中に光夫の指を握りしめ嬉々としていた。  タクシーを田村町の角で捨てた。左恵子は、それまでの時間有楽町に行って映画でも見ると云った。それがいい。あんまり余計な所をうろつかれては困るのだ。万一ということもある。映画館のような雑踏の中だと、かえって人目につかないので安全だ。  光夫は金物屋に寄り、そこで手ごろなシャベルと鍬《くわ》とを買った。これを厳重に包ませ、外から見ると、ちょっと何がくるまれているか分らないようにさせた。金物屋は神田まで行って、忙しい店を択《えら》んだ。  それから、彼はジュースを二本買い、公園の片隅で|大切な準備《ヽヽヽヽヽ》をした。  さて、これからだが、電車に乗ると目立つので、タクシーで品川に行った。そこから車を換えて横浜に行き、横浜からまた別のタクシーで鎌倉に向った。東京から直行だと、あとで手がかりになるかもしれない。用心するぶんに行過ぎはなかった。  彼は鎌倉の町を素通りして、由比《ゆい》ヶ浜《はま》の海岸を真直ぐに腰越のほうへ向った。 「旦那、江ノ島ですか?」  と、運転手のほうから訊いた。 「そうだ。今夜は、あの辺に泊って釣でもしようと思ってな」 「それ、釣道具ですか? わたしは何だろうと思いましたよ」 「釣竿だとか網だとか、いろいろなものが入っている」 「道理で釣竿だけにしてはかたちが違うと思いましたよ。でも、結構なご身分ですね。わたしなどは釣が好きでも、せいぜい十日に一度くらい近所の釣堀をのぞくのが関の山ですよ」  そう見せかけるために彼は江ノ島の橋の袂《たもと》で降りた。チップは与えなかった。運転手にも余計な印象を残しておかないほうがいいのだ。  もう六時になって海の上は暗くなりかけている。江ノ島の黒い形に旅館の灯が瞬《またた》いていた。  光夫は道具を担《かつ》いで腰越のほうへ歩いて戻った。この辺は車ばかり多く、人があんまり歩いていない。大きな家が多いので、外をのぞいている者も居なかった。彼は二十分ほどして、この前きた丘陵の地点に立った。  上から見下ろすと、江ノ島は完全な夜景になっている。ここは別荘の灯も遠く真暗だった。彼は用意した懐中電灯を点け、包みを解いて鍬を取出した。  光夫は七時過ぎに鎌倉駅に現れた。すでに倉垣左恵子の肥った身体が構内の片隅に立っていた。 「待たせたね」  その大きな肩をうしろからつつくと、彼女は生き返ったようになって何かしゃべりかけようとした。それを抑えて彼はそそくさと外に出た。 「どこに行くの。直ぐに江ノ島なの?」  彼女は息をはずませて訊いた。 「そうだな、ちょっと八幡さまをのぞいてみようか」 「でも、こう暗くては何も見えないでしょ?」 「灯ぐらいあるだろう。せっかくここまで来たのだ。引き返さないかもしれないから拝んでゆこう」  実はまだ時間が早いので、それまでの道草だった。長い参道を拝殿の近くまで往復すると、たっぷり四十分近くかかった。  タクシーに乗り、夜の海岸を突っ走った。右側に江ノ電が灯を点けて走っている。極楽寺のあたりを越すと、江ノ島の灯が海上に浮城のように見えてきた。それが次第に近づいてくる。 「イカスわね」  左恵子は有頂天になっていた。曇っているので空には星もなく、暗い中に渚《なぎさ》の波が仄白《ほのじろ》く見えるだけだった。  再び江ノ島の橋の袂で降りた。片瀬側のほうにはレストハウスの灯などが見えている。橋を渡ってみようという左恵子の提案も斥《しりぞ》けた。余計な所で他人《ひと》に見られたくはない。昼間サザエなどの土産物を売っている掛茶屋も戸を閉めていた。もちろん、レストハウスなどに入る必要はない。 「あんな所よりも、ぼくが途中でジュースを買ってきたから、あの山のほうに行ってしばらく休もう。上からだと、江ノ島の夜景が一段ときれいだぜ」  彼は誘った。 「そうね、それがいいわ」  左恵子は躊躇《ちゆうちよ》なく従ってくる。  さっきから二時間ばかり経ったのに、山の斜面を登る別荘地帯は人っ子ひとり通っていなかった。遠くにはホテルの灯が賑やかに点いているだけだ。二人は斜面についた石段を登ったり、路を拾ったりして、こんもりと茂った松林の中に入った。 「ほんとにいい眺めね。江ノ島がまるで真珠の飾りものみたい」  左恵子は彼の指を捉えて感嘆していた。 「汐の匂いがするかい?」 「そうね、遠いせいかあんまり匂わないわ」 「汐の香を江ノ島に落して秋の風……という句を知ってるか?」 「芭蕉《ばしよう》でしょ?」  左恵子は彼の顔の前に顎を仰向かせた。これが最後のサービスだと思って、光夫は入念にその口に舌を入れてやった。 「さあ、少し咽喉が渇いたね。その辺の草の上に腰を下ろしてジュースでも飲もうか」  彼は両方のポケットに入れてきたジュースの瓶を一本ずつ出した。右と左を間違えたらえらいことになる。左々と心の中で確めながら左恵子に渡した。 「あんた、気が利いているのね。いつ買ったの?」 「君を鎌倉駅に待たせている間だ。……さあ飲もう」  どれどれ、と云って持参の栓抜きを王冠に当てて、いかにもそれを抜くように音を立てた。が実際は一ぺん抜いた栓を手で押えていただけだった。栓は指で難なく取れた。 「うまいな」  と、光夫は右のポケットから出したジュースをラッパ飲みにした。 「そう。……わたし、あんまり咽喉が渇いていないんだけど」  左恵子はあまり欲しくなさそうだった。 「まあ、飲んでみろよ。こんな所でラッパ飲みをするのも面白いよ」 「そうね。女には昼間出来ないことだわ」  左恵子は誘われたように、その瓶を口に持って行った。光夫の心臓は騒いだ。  左恵子は咽喉を鳴らした。たしかに水音が彼女の咽喉の中から聞えている。が、すぐに瓶を口からぱっと放し、 「なんだか変な味ね」  と、瓶を暗い中に翳《かざ》した。もちろん、色も見えない。 「そうかい。そうでもないだろう。ぼくのはうまいよ」 「そうかしら? じゃ、気のせいかしら」  左恵子は、今度は舌で味を確かめるように用心深く一口飲んだ。 「やっぱり変だわ」  光夫の心が時計のセコンドを刻んでいた。さっきの飲みっぷりからして三口か四口は飲み込んでいる。青酸カリの致死量には十分だった。四十秒前後で彼女は今の身体をゆっくりと横たえるはずだった。  五秒……十秒。  光夫はしゃべった。 「ぼくはここには夏にきたことがあるが、そりゃ大変な人間でね、全く人と人の間に水がこぼれているという感じだね。もう東京近郊は海水浴場がだんだん消滅してゆくね。このぶんでは今年の夏、外房にでも行ってみようか。九十九里浜だったら、まだ静かだろう。あの辺は……」 「あっ」  と、横の左恵子は頓狂《とんきよう》な声を出した。 「咽喉が焼けるようだわ。あんた、そっちのジュースを飲ませて……」 「どうしたんだ? え、どうしたんだ?」  光夫は、自分の片手の瓶を彼女の手に渡したが、それを握らないうちに女の身体は風に倒れるように前に崩《くず》れた。  光夫は、用意していたシャベルと鍬を使って予定地に穴を掘った。この作業にたっぷりと二時間はかかった。穴の深さは二メートルもある。彼は左恵子の死体を曳きずって穴の中におさめた。大きいから、そこに入れるまでに一苦労だ。それに、人間も死体となると二倍ぐらいの重さになるようだ。  また一時間ぐらいかかって、その上に土をかぶせ、以前の通りにした。上から足で踏んで土を固めた。だが、そこだけはまだ上が柔らかい。彼は新しく四方にもう少し掘り拡げなければならなかった。埋葬した個所をごまかすためにである。ただし、今度はそれほど深く掘らないでもすむ。  二本のジュースの瓶を拾い、山を下りて海の中に棄てた。始末に困るのは彼女の持ってきたスーツケースやハンドバッグだったが、うっかりとその辺に埋めて置くわけにもいかない。仕方がないので、鎌倉駅に行き一時預けにしておいた。十一時すぎだった。  その晩は本当に江ノ島の旅館に泊り、翌朝、鎌倉市内の或る旅館に行くと、大阪からきた庭師が到着していた。これは前からの打ち合せ通りだ。光夫は親方に昨夜は東京に泊ったことにして、一緒に鎌倉駅前の運送会社に行き、石が貨車で到着しているかどうかを訊いた。それは昨日のうちに着いていた。  そこで、庭師が前から手配しておいた市内の人夫を集め、石をトラックに積み、腰越の例の丘の下で降ろした。句碑にする石だからそれほど大きなものではない。人夫たちが集って菰《こも》に巻いたままのものを上に担ぎ上げた。 「おや、ここはどないしたんでっか?」  と、大阪の庭師は掘った跡の赤土の露出を見て光夫に訊いた。 「それは場所の目印と、それから、少しでもあんたがたの手助けになればと思って、ぼくが大体のところを掘っておいたんですよ」  彼は考えた通りの説明をした。 「ああ、そうでっか。そらご苦労はんですな」  庭師は口先では云ったが、そんなことをしてもあんまり役には立たないと云いたげであった。つまり、素人の余計な世話だと嘲《あざけ》っただけで、別に不審は起さなかった。  今度は、庭師の指図で土をまた掘り返した。このときが光夫の最大の危機だったかもしれない。もしかすると、土の下の異変が発見されるかも分らないからだ。だが、句碑を置く程度だから、庭師もそれほど深くは掘らせなかった。 「あなたはえろう深く掘りはったね。こないにせんでもよろしゅうおましたのに」  ここでも庭師は素人の無知を嗤《わら》っただけだった。  石の据わる狭いぐるりだけ木の枠を四方につけ、その中に小さな砂利を敷き、上からコンクリートを流した。それから句碑の礎石を真ん中に島のように浮かせた。  今日の作業はそれだけだ。明日コンクリートが乾いてから、その上に黒い那智石《なちいし》を玉砂利のように敷きつめる。ぐるりには石の柵《さく》を設け、さらに買取った土地の広さだけ別な貨物で到着した庭木を植える。それで万事が終るのだった。  ようやく、その作業が済んで、一服入れた。大阪からきた庭師も人夫も江ノ島の俯瞰《ふかん》に見惚れていた。うしろを振り返ると、黒っぽい自然石に社長の句が刻み込まれてある。馬子にも衣裳というのか、こうして見るとなかなか立派そうだった。 「除幕式に来やはる社長はんもえろう喜ばはりまっせ」と庭師は請合った。「あなたももちろん、その式には参列しやはるでっしゃろな?」 「ぼくは責任者だからどうしてもね」  と云ったが、光夫は当日もまた休むつもりでいた。  その晩は宿に戻ったが、光夫は左恵子のスーツケースとハンドバッグが気になるので、一時預けからそれを受取り、蓆《むしろ》で包み、縄がけにして、改めて自分のアパート宛に鉄道便にした。  翌日はいよいよ工事完成だ。この作業も何の支障もなく行われた。親方をはじめ人夫一同、まさか句碑の下に女の死体が埋まっていようなどとは夢にも想像していない。  ところで、この二日間の作業は、光夫の予想した通り誰からも注目されずに終った。ただ近所の人が珍しそうに見にきただけで、それもほんの五、六人程度であった。この別荘地帯は、どこにもある気風で、他人のことにはあまり関心を持っていないようであった。  すべては無事に終了した。  光夫は親方と一緒に汽車で大阪に戻った。  アパートで一睡りし、社に出ると、早速社長室に駆けつけた。 「なかなか立派なものが出来ました」と、彼は報告した。 「すぐに除幕式においで願いたいのですが」 「そらご苦労はんやったな。待て待て」  と、社長は日程表を繰り、その日を今度の日曜日に決定した。そのときは本社からほかに四、五人ついてゆくことになった。日曜日というと三日のちである。 「いろいろ準備があるやろから、君、誰かを連れて前の日に先発してんか」  社長は命じた。 「承知いたしました。その式が済んだあと、ちょっとしたお祝いが必要でしょう」 「そやな。ま、あんまり大げさにせんほうがええ。どこぞ、あの辺の仕出し屋から弁当をつくらせ、まず、その場で祝宴をしよう。あとは大阪に戻ってからでもええやないか」  と、社長は渋いところをみせた。  社長は、それからもなおくどくどと、建てた句碑の感じなど根掘り葉掘り訊いた。  その自分の句碑の下に女の死体が埋まっていると知ったら、この社長はどんな顔をするだろうと、光夫はおかしくなった。  この地上から一人の女が消えても誰も騒ぎはしない。倉垣左恵子のパトロンは、彼女がいつも別れ話に悄気《しよげ》ていたから、突然、家を出てどこかで死んでしまったくらいにしか思うまい。その男もこの世から彼女が消えたことを喜んでいる一人であろう。  彼は鎌倉からアパート宛に到着した蓆包みの女の荷物をばらばらにして埋めたり、焼いたりした。      11  光夫は社長の句碑の除幕式には出席しなかった。庶務課のほうで、除幕式には東京の特約店と鎌倉、藤沢、平塚の販売店が招待されると聞いたからである。  そうなると、この前の九州旅行の例の通り、滝村薬店も相当の成績を上げているから、除幕式には招待組の一人に入るであろう。光夫は弱った。あの父親がくるか、英子がくるか、それともおふくろがやってくるか分らないが、いずれにしても一ぺんに彼の顔を見られてしまう。とんだところで愁嘆場がはじまっても困るのだ。彼はあとでゆっくり滝村家に了解をつけて戻るつもりにしている。  彼は今夜社長一行が東京に汽車で出発するという日の朝、宣伝課に電話をして、急に具合が悪くなったから休ませてくれと申し出た。自分としては式にはぜひ出たい、実際の準備実行委員だから行かなければ義理が済まないが、昨夜から下痢がひどく、どうしてもお供ができないと言訳をした。  彼は、その日も、次の日も一日中、夙川《しゆくがわ》べりのアパートの一室にごろごろしていた。  ベッドに仰向いて寝ていると、今にもドアをノックして、あの図体の大きい倉垣左恵子が、ニヤニヤしながら現れそうな気がする。こうなると、あのしつこい女がちょっと懐しくならないでもなかった。気分はたしかにさっぱりとはしたが、あの女が深情けで親切な世話をしてくれるのも満更ではない。部屋に現れると必ず、あの大きなゴムのような胴体に抱き寄せられるのはかなわないが、小遣いをくれたり、うまいものを作ってくれたりするのはありがたかった。  今日は午前十時から除幕式だ。時計を見ると十時半だから、今ごろが式の最中であろう。社長の手でするすると碑を蔽《おお》うた紅白の幕が取除かれ、拍手と同時に碑面が現れる。 「汐の香を江ノ島に落して秋の風」  光夫は呟《つぶや》いて、ふんと鼻で嗤《わら》った。 「秋の風」などという文句を最後に持ってくるのは明らかに芭蕉の真似だ。よくもあんな下手糞な俳句を臆面もなくあそこに遺す気になったものだ。末代までの物笑いとはこのことであろう。いや、物笑いどころか、土地の人にとっては大変な迷惑だ。風光明媚な景色を冒涜《ぼうとく》する俗物である。  しかし、光夫自身にとってみれば、彼は社長にたしかに点数を上げたといえる。句碑をすすめたのも彼だし、それを成就させたのも彼だった。日ごろは直接にものを云うことのできない社長にじかに口が利けるようになったのもそのためである。社長はたしかにおれを徳としている。いずれ論功行賞があるだろう。ひょっとすると、今年のうちには課長にしてくれるかもしれない。今の課長は無能だから、その可能性は十分にありうる。  入社して間もないのに、並み居る同僚や先輩を追越して課長となるのも悪くはない。その上、藤沢の英子の家の土地が銀行に買収されて相当な金を貰ったら、悠々と家に帰って相続権を確保する。その際は今の会社を辞めるのも惜しいから、英子を伴れて大阪に移ろう。あの女もおれの名が戸籍に残っているばっかりにほかの男とは結婚もできず、可哀想であった。  だが、あと、そんなふうに親切にしてやれば、彼女はどんなに感謝するかしれない。  光夫のうまい空想は無限につづく。  彼の耳には今ごろ句碑を前にしてお世辞たらたら述べている参列者の声が聞えていた。その中には多分滝村の親父も入っているであろう。まさか、その社長の部下におれがいるとは夢にも想像していまい。  乾杯の音頭を取る常務の声や、万歳の唱和さえ聞えそうだ。賑やかなことである。あの句碑の下に眠っている倉垣左恵子の魂を呼び醒ますかもしれない。 (ねえ、光ちゃん、どうして、あんた、ここに来てくれなかったの?)  そんな左恵子の声まで耳の底に忍び込んできそうだった。  しかし、光夫が考えているほど社長の印象はよくなかった。  社長は夜汽車の中に滝村光夫が居ないのをふしぎに思って同行の者に訊いてみると、今朝彼から電話がかかって、病気のため参加できない旨を断ってきたと告げられた。 「病気なら仕方ないけど」と、社長は不機嫌そうに云った。 「今度の句碑建立は、あの男から云い出したんや。わしは感謝しとったにな」  その呟きは、光夫が病気のために不参加を余儀なくされた事態を残念がっているのではなかった。つまり、彼は当事者だから、少しぐらいの病気は推しても除幕式には出てくるべきだという強い不満であった。社長は、腹下し程度は休むほどの病気だとは思っていない。殊に今度は彼がすべて責任を持って建設準備から実行にかかっている。その本人が少しくらいの病気で怠けるとは何ごとか、と云いたいのだ。  この社長は一代で今の事業を築いてきただけに、若いときは刻苦精励だった。それこそ四十度の高熱を冒《おか》しても働いてきたものだ。いわゆる立志伝中の人物で、努力は人並み以上だ。  その社長の不満そうな表情と口吻《くちぶり》が常務の眼に映って、 「君」  と、傍の庶務課長に云った。 「滝村君はどの程度に病気がひどいのか、大阪に帰ったら、よく調査しておきなさい」  と命じた。常務はもとより社長の追随者だ。 「ああ、君、そんなことせんでええわ。滝村君も大方、句碑の建設でくたびれて身体を悪うしたんやろからな」  社長は鷹揚《おうよう》にそれを止めさせた。  社長一行は無事に句碑の除幕式を済ませて、翌日の夕方大阪に戻ってきた。  しかし、社長は上機嫌である。彼は句碑も気に入ったが、その建ててある場所がひどく心を満たしたのだ。ただに景色がいいだけではない。社長にも一つの感慨があるからだ。  彼が句碑に刻み込まれた句を詠んだころは、それほど事業は発展していなかった。つまり、今からみると、まだまだ規模の小さい事業主だったのだ。だから、当時の自分がそこに立って「汐の香を……」の句を詠んだかと思うと、その場所がひどく懐しくなったのである。この心理を分析すると、成上り社長の優越意識とナルシシズムとを認めることができる。 「この辺はまだ土地が空いてるな」  と、社長は、句碑の除幕式の日、あたりに残っている松林や空地を見回して云った。 「なあ、常務」  と、彼は側近の役員を呼んだ。 「君ひとつ地主さんに交渉して、この辺の空いてる土地を全部買うてんか。いま買わんことにはたちまちほかの者に買われてしまうさかいにな。そないになったら、わしの句碑かて可哀想や。他人の狭い邸の外に邪慳《じやけん》に扱われるやんか」 「ごもっともです」  と、常務はうなずいた。 「わしはな、白浜のほかにもう一つ別荘を持とうと思うとったんや。ここは恰度ええ。どやな?」 「はあ、社長の思い出の土地でもありますし、句碑が建っていれば、俳句通りの風景が始終庭先から眺められることになりますね」 「そやそや。あんた、ええこと云うわ。ほんなら、早速当ってみてんか」  それから社長は常務に耳打ちした。 「この話はまだ社員の誰にも洩らさんといて。そやないと、その辺から伝わって地主が値段を吊り上げんとも分らんさかいな」  つまり、交渉は隠密裡《おんみつり》にやってくれというのだ。  この別荘建設のことは光夫には知らされなかった。むろん、課が違うから、その必要はないわけだが、とにかく句碑建立は光夫の発案だし、それを建てたのも彼のお膳立である。したがって、そこに別荘を社長が造るとなれば、担当が違うとか、課が関係ないというようなことを離れても、彼に話すのが順当だった。しかし、それはされなかった。  交渉はすべて常務の意を受けた別な者が地主のところに行っておこなったのだが、その者も光夫には報らさなかった。彼は別に光夫だけには話すなと口止めされているわけではないが、なるべく交渉がまとまるまで内聞にしておくという方針に従ったのである。  だが、もっと大きな原因は、同僚が光夫に対して反感を持っていたからだ。つまり、その土地に句碑を建てるよう進言したのも、一切の建設工事をやってきたのも光夫だとは社内の誰もが知っている。だから、その別荘用地の買収交渉を光夫に報らさないことは彼の鼻をあかすことだった。憎い相手に対してはまことに痛快である。  ところが、光夫のほうは社長が帰社してから早速社長室に伺ったものだ。さぞかし社長は機嫌がいいであろうと思ったところ、光夫の顔を見るとむっつりとしていた。 「社長、どうも除幕式には参列できませんで申し訳ございません。急に身体の調子が悪くなったものですから、申し訳ないことになりました」  彼は如才なく謝った。しかし、その如才なさを社長は冷たい表情で弾《はじ》き返した。 「身体の具合が悪いいうたらしょうもないな。身体は大事やさかい、気イつけんとあかん」  社長は言葉に似ず笑顔も見せなかった。 「それで、いかがでございましたか? ほかの人から聞くと、ずいぶん盛大だったそうで」 「ああ、おかげでな」 「句碑の位置、それから形、また句碑を中心とした庭木の配置などいかがでしょうか?」 「そやな、あれでええんと違うか」  社長は急いで秘書を呼び、ほかの事務を云いかけたので、光夫は仕方なく引き退った。  彼には社長がなぜ不機嫌か分らなかった。まだ自分の不参加が社長の不興を買っているとは気づかなかった。  しかし、彼が気づかなくとも、次に、もっと社長の不機嫌を買う材料が社長の耳に入ったのだった。 「どうも滝村という男は奇妙な奴ですな」  と、庶務課長は云った。 「調べてみると、ほら、いつか九州への招待旅行がございましたね。滝村君は、そのとき世話係として一行に付いてゆくことになっていたのに、やっぱり出発間際に病気だと云って断ってきたんですよ」 「ほう、そんなことがあったんか」 「それに今度のことでしょう。あの男は、どうしてたびたび出張を断るんでございましょうか?」 「おかしな男やな。君、滝村君にはええ女がいるのんと違うか。そんで、面白くもない出張するよか、病気になって女子《おなご》と遊んだほうがええと思うたんやろ」  社長は女にはそれほどもてる男ではなかった。だから、社員のそういう風紀関係にはまことに厳しかった。 「君、滝村君はどっから通うているんや?」 「はあ、なんでも、夙川のアパートに居るそうで。社員の誰もが遊びに行っていませんが……」 「そらおかしいな。本人に云わないで、ちょっと調べてみたらどうや。案外、そこに隠し女を置いとるかも分らへんで……」  もし、このとき、もう少し社長も庶務課長も念を入れて滝村光夫の履歴書を調べてみたら、彼の籍が藤沢にあることを知ったに違いない。そして、藤沢には滝村薬店という彼と同姓の販売店があることに気づいたに違いない。さらには、光夫が二回とも出張を忌避したのは何か藤沢の滝村薬店を避けようとする意志があったのではないかと推測したかもしれない。  しかし、彼の身許をそこまでは調べなかった。それは、社員というものは身許を十分に調査し尽して入社させるのだから、今さら改めて履歴書を見るまでもないという既成観念がこの上役たちに出来ていたからであった。  不幸は光夫の側にあった。  一切が彼の関知しないところで進行していた。調査した者は、光夫のアパートに妻でない女がよく来ていたという噂をアパートの居住人から聞いて帰った。だが、それは大したことではない。それだけならまだよかったのだ。  最も悪いことは、彼には何ら報らされることなく社長の別荘が句碑のある地所を中心に建設されたことだった。土地購入の交渉もうまく行った。社長は大阪の一流の建築技師を呼んで自分の意図を語り、設計図を引かせた。  これらは一切社内では行わず、自宅に当事者を呼んだ。社長は公私の別を厳しく云う人である。別荘建設はむろん私事だった。  建築技師は一日腰越の現場に行き、地取を写して帰ってきた。 「どうもあれでは句碑が邪魔になりますね」  と、設計士は意見を述べた。「もう少し東側のほうに句碑を移しますと、そこが恰度庭先に当りますので、恰好がよくなります。あれでは家を建てるのに邪魔で仕方がありません」 「さよか。どのくらい移したらええのんや?」 「約五メートル移せば、恰度いい位置になります」 「ほんなら、そうしてんか。ただ、句碑は江ノ島がよう見える所に置いとかなあかん。そら、ええな?」 「もちろん、そのつもりにしております」  社長は、それなら万事任せると云った。  腰越の現場には多勢の人夫が入り込んだ。請負の建築屋は設計通り、まず句碑を五メートル東側に移すことから手をつけた。そうしないと家を建てる基礎も出来ない。  ついこの前除幕式を挙げたばかりの句碑は一応横にのけられて、下のコンクリートが叩き壊されることになった。コンクリートの上には那智石がきれいに敷詰められてあった。それも一時|叺《かます》に戻された。  コンクリートは破壊された。下の赤い土が出てくる。 「おや」  と、一人の人夫が云った。 「親方、これはおかしいですね。土がずいぶん柔らかいようですよ」  人夫は地下足袋《じかたび》でとんとん地面を踏んでみせた。土は、その僅かな力でもへこんだ。 「本当だ。このぶんでみると、相当下のほうまで掘っている。どうしてこんなことをしたんだろう? 句碑ぐらい建てるのに、そんなに下まで掘る必要はないのだがな」 「大阪から庭師が来てやったそうですが、仕事がよく分っちゃいないんですね」  人夫は悪口を云った。 「とにかく、そんな柔らかい土ではどうにもならん。もう一ぺん掘り直して固い土を混ぜ、埋め直そう」  その工事がはじまった。鶴嘴《つるはし》が土を掘って行った。 「これは大ぶん深く掘ってある」  と、人夫たちは云った。 「おかしなことをしたもんだな。どうしてこう深くやったんだろう?」  恰度昼休みの時間がきたので、その掘り返し作業は少しばかり手がけられただけで弁当になった。  人夫たちは江ノ島の見える場所に集り、そこで弁当を使った。 「いい景色だな、江ノ島もこういう場所から見ると、本当に名所だと思うよ」  人夫たちは前面の風景に見惚れていた。  すると、人夫の一人が変な顔をした。 「おい、何か臭いな」  聞いたほかの人夫が、 「おまえもそう思うか。おれもさっきから変だと思っていた。おれは鼻が悪いから気のせいだと思ったんだがな」 「そういえば、いやな臭いがするな。おいその辺に犬の死骸《しがい》でもあるんじゃないか」  一人が犬の死骸と云ったので、ほかの人夫のなかで顔色を変えて起ち上る者がいた。その男は別なことを想像したのだ。  彼はいきなり鶴嘴で途中まで掘りかけた柔らかい土を掘りはじめた。臭気はいよいよ強くなった。ほかの人夫が顔色を変えて、その鶴嘴の尖《さき》をみつめていた。 〈底 本〉文春文庫 昭和五十年八月二十五日刊